退院
「ママ!」
「瑠璃……!」
母娘の感動の再会と抱擁。それを見て麻生田は涙ぐむ。
「悪ぃ、妙さん……俺が付いていながら……」
麻生田の様々な感情が込められた表情と共に発されたその言葉に、妙は施術室内での相川の言葉を思い出し複雑な心境になりながらも首を振って静かに尋ねた。
「麻生田さん……あなたは、あなたなりの最善を尽くしたのですよね……?」
「つーか、あんたら滅茶苦茶な復帰したことに突っ込みはないのな。」
麻生田が妙の質問に答える前に施術室の扉が開き、相川が現れる。周囲の状況を見ながら外に出てきた彼は微妙な顔をしていた。
「仁くん! ありがとぉ!」
「あー悪いが……」
相川は無垢な瑠璃の瞳に対して正直な現状を答えようと思ったのだが妙の優しいながらも強い視線に制されて口を閉ざす。
そうしていると麻生田が相川に目線を合わせて謝罪して来た。
「ガキ……見た目で判断して悪かったな……」
「……まぁ、俺は別に誰にどう思われようともそこまで構わないんですがねぇ……」
(つーか悪いと思ってなさそうな目をしてるしなこの人。そっちの方がムカつくわぁ……)
そう言って相川は意味ありげな視線を妙に向ける。彼女は軽く目を伏せ、儚げに首を振っていた。
「ふむ。まぁ言わないでおきますか。それはそうと、今目の前にいるあなたも重傷なのでいい加減、安心院先生の手術を受けてくださいね。」
「あぁ……だが、そうも…………」
相川は渋るかのような素振りを見せた麻生田に対して問答無用で目線を合わせるために近くに来ていた頸静脈に注射器で薬を打って強制的に落ち着かせる。そしてにたりと笑った。
「ビックリするほど即効性。ドルミール!」
「麻生田くん!」
「はい、魔酔は済みましたよ~オペの準備をお願いしますね~」
昏倒させた麻生田を相川は個人的にムカつくのでこっそり殴ってからたった今施術室から出てきた医者たちに麻生田のことを任せて相川は瑠璃に言う。
「じゃあ、道場に戻りますか……」
「うん!」
「……えぇ。瑠璃? お母さんが抱っこしてあげる。」
「だいじょーぶなの?」
瑠璃は相川の顔を見る。相川は瑠璃に逆に尋ねた。
「あんた今何kg?」
「18!」
「……じゃあ大丈夫だな。」
相川がOKを出すと瑠璃は妙に甘えて抱っこしてもらう。瑠璃を抱えた妙は愛おしそうに腕の中にいる瑠璃を見た後、手持無沙汰な相川の方も見た。
「……抱っこしてあげましょうか?」
「何で? ……もしかしてあそこで寝てるおっさんみたいに飛んだり跳ねたりして帰るつもりじゃないだろうな……?」
何となくこの後の妙の行動を察した相川がジト目に近い普段よりも更に沈んでいる淀んだ目でそう尋ねると妙はおっとりと、心底不思議そうに首を傾げた。
「えぇ……? 駄目なんですか……?」
「……常識って物を考えればすぐに分かると思うんだが?」
困りましたねと呟く彼女にこの人面倒臭いな……と相川は溜息をついて公衆電話の場所まで移動し、問答無用でタクシーを呼ぶ。
近くに来ていたようですぐに病院の玄関前に停車したそれを見て相川はそちらに移動し、運転手に確認を取ってから二人の下へと戻って来て告げる。
「これに乗って行きましょうか。」
「ですけど……手術費の為に家計を……」
「俺も乗るんで、俺が払っときます。」
「でも、子どもに……」
面倒なので一本行っとく? 的なノリでギミックから注射器を出す。そうすると渋々といった態で納得してくれたらしく妙は瑠璃を抱えたままタクシーで病院から道場に戻った。
道場に戻って、瑠璃はすぐに元気になった妙と遊ぼうと走って自室に戻り人形を手にして戻ってくる。
「ママ~おままごとしよ~?」
「そうね~瑠璃ちゃんは何の役?」
「瑠璃はねぇ、お母さん! ママ、子どもやって? それでねぇ、仁くんがお父さんやるの!」
「……いつの間に俺は参加することになってんだ……」
何か物事を調べるにはこれがいいと妙に教えられてネット、という何か良く分からない物でこの世界、特にこの国のことを調べている相川は瑠璃に呼ばれてままごとを始めることになった。
しかし、相川は調べごとに戻りたいので人形を受け取るとすぐに瑠璃の持つ無駄に精巧な乙女の人形に腹話術で告げさせる。
「瑠璃、悪いな……今日も残業だ……」
「えぇ……? え? 今、仁くんが……?」
「すまないが今も会議の間に電話をかけて……トイレと言って出て来てるから長電話は出来ない。夕飯は先に食べてていい。妙によろしくな。お休み。」
相川はそう言ってお父さん役らしい変な人形を持ってパソコンの方に移動して行こうとして瑠璃に怒られた。妙はそれを苦笑して見守る。
「それじゃおままごとにならない~! お家帰ってきたところから!」
「……ただいま。」
「パパおかえりー!」
「おかえりなさいあなたー!」
仕方ないのでままごとを開始する相川。瑠璃は妙と楽しく遊んでおりしばらくすればフェードアウトしてもいいだろう……そう思いながら遊んでいたのだが瑠璃は器用に二人同時に相手をして相川を逃がさない。
しかし、そんな瑠璃にも体力の限界が来たようだ。前日からの無茶な行軍だ。無理もない。うつらうつらし始めた瑠璃を妙は寝かせてその上にタオルケットを被せると険しい顔をしていた相川の方を見た。
「この度は本当にお世話になって……」
「俺も、眠い……ごめ、その話は明日で……【守護方陣】……」
魔力のない世界でありながら魔術構文を用いて防御陣を張り、眠りに落ちる相川。当然のことながら魔素がないのでそれは成り立たなかった。
「……こうして見ると、本当にまだ幼い子どもなのにね……」
非常に疲れているらしく、眠りに抗えなかったはずの相川だが、その眠りは非常に浅い。妙が近付くだけで呼吸のリズムが乱れるほどの警戒している眠り方に妙は相川のバックグラウンドを見た。
「…………魔力。」
おそらく、自分たちが考える魔法の根源だろう。妙は知らないが彼女の夫である遊神は人外の、不思議な相手と戦うこともあるという話を聞いているので魔法はないとも言い切れないし、現実に自分はその不思議な力で回復している。
ただ、この子はどのような生活を送っていたのだろうか。
察するに、少なくとも一般的な幸せとはかけ離れた生活だっただろう。この幼い体に命一杯の知識を詰め込み、鬼気迫るほどの集中力でこの世界に適応しようとしている。
そんな子どもは普通の生活では生まれ得ない。単純に傍目から見れば異常なほど優秀だと思えるこの子だが、妙は見ていて痛々しかった。
「触れると起きそうね……なら、『消命』……」
気配を完全に消した妙は相川を抱えて瑠璃と一緒にベッドに運ぶ。瑠璃は安心しきった様子で、相川は警戒したまま何やら違和感を覚えて一切の動きを止めたが目覚めずに抱えられてベッドに横になった。
「……残された命で、足しにもならないかもしれないけど……深くかかわることで、却って傷つけるかもしれないけど……それでも、何もしないでいることは……」
そう呟きつつ相川と瑠璃の間で添い寝をし、そのまま眠りに就く妙。そんな3人を夕暮れは血のように朱く照らしていた。