帰省
奏楽との試合の後、しばらく瑠璃とクロエとの距離感が生じたがそれも時と共に殆どなくなった頃。相川たちは長期連休の為に一度帰省することになった。
『去年は寮にぽつんと残ってたけど今年は相川の家に行けるから楽しみ!』
「またドイツ語になってんぞ。」
「ごめんなサーイ!」
瑠璃たち遊神一門は既にスクールバスに乗って帰っている。この場に残っている相川とクロエは迎え待ちということで学校に残っているのだ。
「ヤーパン、町、楽しみデス!」
「俺は俺が居ない間に自宅付近がどうなってるか非っ常に心配だな……一応大丈夫だと思うんだが洗脳が解けてたらなぁ……」
相川がぼやいていると学校の前に車体の低い一台の黒い車が停まった。そんな急停止に近い形で停まった車から降りて来たのは相川の知人だ。
「おう社長。迎えに来たぜ。乗んな。」
「……いつこんな物を買ったんだ……もう……」
「どうせ稼いだ金を税金に取られる位なら使っちまおうってな。乗り心地は良いぜ~? 後ろから車が来る前に早く乗っちまえ!」
周囲に気遣いが出来るようになったんだなぁ……と思いつつ目を輝かせているクロエを先に車に入れてから相川も乗り込んだ。それを見て男も乗り込んでから車を発進させる。
「ところで、飯食ってねぇんだよな? ヤスんところ寄ってくだろ?」
「やっさんのとこ? 別にどこでもいいけど……」
相川と男が話をしているとクロエがそれに控えめに割って入り、相川に耳打ちしようとしてもの凄く離れられたので微妙に不満気に小声で尋ねた。
「ししょー、やっさん、何?」
「知り合いの蕎麦と天ぷらの店だよ。」
「てんぷら! 私、行きたいありマス!」
先程の不満気な顔はすぐにどこかに消し飛んでクロエは興奮し始めた。相川は家では油物を滅多に作らないのでクロエは天ぷらを殆ど食べたことがないのだ。
「……まぁ戻るんだし顔見せるくらいはした方が良いか……」
「よっし。じゃあヤスんところに行くか。その前にどっか寄りたいところとかあるか?」
信号機前で右折して裏道に入りながら男は相川に質問する。それに対して相川はクロエに尋ねた。
「どっか行きたいところは?」
「うぅ……分かりません……」
「そこだけ流暢だよな。何回も言わせたからだろうが……」
「じゃ、取り敢えずヤスんところでいいな?」
相川が頷くのをバックミラーで確認した男はスピードを上げて相川の自宅付近へと飛ばした。
「いらっしゃ、おっ! 相川戻って来たんスね! 2階で待っててくれやスか!?」
「お~大盛況だなぁ……」
男に送ってもらい、卸して貰った先の店内は満席状態だった。しかもその殆どが天丼を目当てに、そして次の客層としては丼ものを食べているように見える。
「……ま、上がっとくかね。」
「もう少ししたらピーク過ぎるんで待っててくださいッスね!」
「泰志! 喋るのはいいが手ぇ動かせ! 坊主は2階に上がってきな。」
ランチタイムに開業するのに反対だった蕎麦屋のオーナーも元気そうだ。揚げたての天ぷらとタレが室内の照明の光を反射し、宝石のような輝きを生み出しているのを見てクロエが思わず唾を嚥下するのを見つつ相川はクロエを連れて2階へと上がって行った。
「ししょー! どれ、美味しいデス!?」
「ここの店主にその質問したら不味いもん出す訳ねぇだろ全部美味いわって怒られるから気を付けな。オススメは旬の魚とかだったが……豚天とかでもいいかもね。」
「いっぱい、食べたいありマス!」
「食える範囲で、苦しくならないようにな。」
クロエがメニューを見ては漢字が読めないと相川に質問してどんな味なのか尋ねてくるのを相川が捌いていると短髪に刈り上げた若い男性が2階に上がって来る。
「お~しばらく見ないうちにまた大きくなったんじゃないッスか? 今日は山菜盛りとか、魚は真鯛とかで鉄板の舞茸とエビ、それから大葉とかまぁたくさん盛るから楽しみにしてろよ!」
「うん。」
「そっちの子は、外国の人か……取り敢えずジャパニーズ……何て言うんだ? 天ぷらでいいのか? まぁそんな感じだから楽しみにしててくれ!」
「楽しみ、デス!」
それだけ言うと彼は1階に引っ込んで行った。相川が時間潰しも兼ねてクロエに日本語を教えていると下の混雑具合も緩和したらしく短髪の男が相川たちを下に呼びに来た。
「今、相川たちの分も揚げてるからな。今日は天ざるな。」
「ほぉほぉ、いいね……一応確認。食べ切れる量だよね?」
「残しても怒りゃしないからいいだろ。食べきれない位食っとけ食っとけ。」
下に降りながら会話していると、下の客たちが殆どいなくなった1階に着いた。今日も企業戦士たちは短い時間でエネルギーを掻き込んだのだろう。
「……そう言えば客層も変わってたなぁ……何かスーツの人が多くなってたし。」
「何か口コミで広まったらしいッスよ。昼間のランチセットは儲けは少ないッスけど在庫が売り切れになるからいい感じに進んでるところッスねぇ……」
「上がったぞ。」
店主が相川たちに天ざるを出すとそれを見た他の客が孫か? などと軽い会話を始めた。店主が応じるがもうしばらくすればランチタイムも終わりになるので彼らも出て行き、店内にはクロエと相川、それと蕎麦屋の親子だけになる。
「で、どーッスか?」
「これやっさんが打ったの? 美味しくなったね?」
感想を聞かれて相川がそう答えるとやっさんと呼ばれている彼は悔しそうに膝を叩いた。
「っかーっ! まだ分かるってことッスか!」
「当たり前だろ。こっちはお前が生まれる前から蕎麦打ってんだ。そう簡単に抜かれてたまるかよ。」
店主がにやりと笑って無言で相川に一品贈呈してくれる。そんな中、クロエは甘ダレと天丼に夢中でご飯を勢いよく食べていた。
「いや、話は変わるが、坊主……お前のお蔭でな。俺も孫を見れそうでよぉ……」
「え、やっさんヤッたの? 相手は?」
相川の問いに答えたのは店主だ。やっさんが止めるも聞かずに続ける。
「梵っつー幼稚園の先生でなぁ……いや、これで俺も安心してな。まぁまだ現役だが、人生に区切りが一つ着いたって気分でな。報告は終わりだ。まぁお前が大人になるくらいまではウチでタダメシ食わせてやるよ。贔屓にな。」
それだけ言うと彼は店の裏にある自宅に帰って行った。言いたいことだけ言いやがってと呟きつつやっさんは相川に告げる。
「いや、まぁ……そんな感じで、こんな感じのことがあったんだよ。」
「いやどんな感じなの?」
「……今年、多分の夏過ぎくらいに結婚する。まだ早い気もしたんだけどさぁ、梵さん綺麗じゃん? 誰かに盗られたくないじゃん? で、告ったら……まぁ、流れで。まだ付き合い始めて1年半なんだけどさぁ、大丈夫かな? 後悔はしてないんだけどな。幸せにできるかなぁ……」
「惚気かよ。はいはい、蕎麦だけでもご馳走様って気分だからそれ以上は要らないよ。」
「美味しかった! デス!」
話をぶった切るタイミングでの食事終了宣言にやっさんが吹き出しつつこの場は和やかに終了していった。