変化
「さて、授業登録期間が終わったことだし、授業に励むとするか……」
「ありがと、デス!」
去年、クロエが殆どの単位を取得できなかった要因である履修届を終えたところで相川はクロエに尋ねる。
「……ところで、日本語喋れるようになったんだからそろそろ同学年の友達作ったら?」
「授業、取れてないありマス……友達、無理デス……」
要するに授業が違うから話しかける機会もなく、グループワークも無理だとのことだ。更に言えば相川が襲撃した時に嬉しそうにしていたこと、それまで言葉が通じなかった時にされていた仕打ちが実は普通じゃなかったことを知ってDクラスの連中とはあまり絡みたくないらしい。
「……まぁ、友人を作る気もねぇ俺に言われるのもアレか。単位に関してはこっから頑張れば卒業までの単位はギリギリ取れるみたいだから頑張れよ……?」
「頑張るデス!」
そんな会話をしている二人。それに対して別クラスで瑠璃は怒っていた。
「ふーんだ……ボクだって、お友達できたもん……」
「……どうしたの?」
「仁くん、Dクラスで上がる気ないって言って、瑠璃と同じ授業取らなかったんだ。もういいもん。」
瑠璃が怒っている理由は彼女が述べた通りだ。必修科目のレベルも違うことで接点がかなり減っているのが瑠璃にとってのかなりの不満らしく、拗ねていた。
「新藤ちゃん、もう授業終わったし、行こっ?」
「うん。今日は私の部屋ね……?」
そんな二人を見る影が。
「……クッ、今日も謝れなかった……」
奏楽だ。
彼は瑠璃に好意を持っていながら素直になれずに周囲に合わせて悪戯を仕掛けては気を惹こうとして失敗し、今日まで来ていた。
「……はぁ、今日も瑠璃を連れて行けずに乱れ稽古だなぁ……」
奏楽はそう呟きながら寂しそうに今日もトレーニングに励むのだった。
「うわぁ……何か、凄いね……」
その頃瑠璃は新藤の部屋にいてその景観に驚いていた。
「私、氏神流だからね……」
「そうなんだ~」
達筆な文が並んだ札や呪いに使うための様々な器具。生薬や動物、鳥居などが渾然としているその中で学校の備品である何も手を付けられていないベッドに瑠璃は進められるがままに腰かけた。
「あ、今日はね……お姉ちゃんも来るから。それで、瑠璃ちゃんにお願いがあるんだけど……」
「なーに?」
「私のこと、名前で呼んでほしいの。」
少しの間。次いで新藤が慌て始めた。
「その、深い意味はないよ!? ただ、お姉ちゃんが来るから……」
「いーよ? 何で慌ててるの?」
「る、瑠璃ちゃんが黙ってたからだよ!」
「名前、思い出そうとして聞いてないなぁって思ってたの。」
「亜美だよ。」
「じゃあ亜美ちゃんね。」
瑠璃の笑顔と共に放たれた言葉に亜美は顔を赤くして逸らしてしまう。そこにノックが響いた。そこから現れたのは小学生ながら大人びた容姿の少女だった。
「亜美? 入るわよ~? ……あぁ~! あなたが瑠璃ちゃん? 可愛いね!」
「あ……初めまして。遊神 瑠璃です……」
「聞いてるわ。あの遊神流の本筋の娘さんでしょ? 氏神流、新藤 美香よ。よろしくね?」
「はい。」
しばらく、3人で緊張をほぐすために自己紹介を兼ねた世間話を進める。瑠璃は新藤姉妹の物の見方が若干、ズレている気もしたがそれも個性と言うことで割り切って話をしていく。
「……それでね、今日もDクラスの人と……しかも、男の子なんだよ?」
「Dクラスの男の子! 瑠璃ちゃん、それはよくないわ。瑠璃ちゃんが可愛いから騙そうとしてるのよ! もうお別れした方が良いわ!」
「そう、かな……?」
断定的な発言に瑠璃は自信がなくなってくる。確かに、最近はあまり構ってくれない。それを思うと瑠璃の胸はきゅっと縮む思いになるのだ。
「嫌な思いでしょ? それなら、きっぱり別れて別のことを考えた方が有意義だって!」
「そうそう、瑠璃ちゃんは可愛い女の子なんだから身体は大事にしないと狙われまくりなんだから! その男のことはすぐにお別れした方が良いよ!」
「……わかった。ボク行ってくる……」
善は急げと言うことらしいので二人に急かされるままに瑠璃は相川の下へと駆けて行く。相川は普通に新居に居た。
「……こんにちは。」
「どうかしたのか? まぁいいや丁度いい。ちょっと今大量にクッキー焼いてるから上がって行け。」
「クッキー!」
暗い面持ちで俯いていた瑠璃の顔が一気に明るくなって跳ね上がる。それに対して相川は何だったんだろう今の、フェイントかなと思いつつ現状を告げた。
「うむ。ハードタイプからソフトタイプ。どの種類でどの焼き加減と水加減、バターやその他の組み合わせが至高か決めようと思ってな。果糖を煮詰めて塗ったりしてる。」
「瑠璃も、食べていい?」
「寧ろたくさん食ってくれ。」
瑠璃は先程までお別れしようとしていたことは取り敢えず彼方へ投げ捨てていい香りの漂う相川の新居のキッチンの中へと入って行った。その後ろ姿を見て相川は首を傾げる。
(……何だ? 呪術か? 何か良く分からんが……切っておくか。)
瑠璃の首下から何かが漂っていたので新居に入れるのは気に入らないと人差し指と中指を素早く立てて揃え、刀印を作るとそれを断ち切って払って玄関の外へと捨てる。
「おぉ~! この茶色のは何?」
「それココア、あっちが紅茶葉入りでそれがプレーン……まぁ色々あるから食って試してみろ。」
「うん!」
先程までの暗い雰囲気はどこかに行って、何故お別れしようとしていたのかなんて思いながら瑠璃は目の前にあるクッキーたちを頬張る。そこでふとある存在がいないことに気が付いて相川に尋ねた。
「クロエちゃんは……?」
「知らん。勢いよくどっか行った。何か用があるか走り込みにでも行ったんじゃね?」
「ふーん……」
瑠璃は何となく優越感のような物を感じた。しかし、それが何なのかは本人はよく分かっていなくて今はクッキー美味しいという物と相川と一緒が楽しいという二つの感情で殆ど埋められている。
因みに、クロエが走り去った理由はクッキーに使われている砂糖とバターの量が思いの外、尋常じゃなかったこととどうしても美味しそうだったので少しだけ食べてその分ダイエットするために走り込みに出掛けたのだ。
「美味しいよ! 瑠璃はね、このピンクのが掛かったのが好き!」
「……それか。ソフトクッキーに果糖塗った奴。ちょっと名前忘れたな……何だったっけ? まぁいっか。それが好きならたくさんあるから持って帰れ。」
「やったぁ!」
「ついでに他のもあげる。」
ここから帰る時、瑠璃は相川とお別れしようとしていたことなどすべて忘れて添い寝をおねだりして断られた後も元気に手を振って自分の部屋へと帰って行った。
「……むぅ、何かズルいありマス……」
「お、どこ行ってたのか知らんが……今日の夕飯はクッキーな。なぁに惣菜っぽいピザ味のもあるから安心しろ。」
そして瑠璃がいたことを何となく女の勘で感じ取ってもやもやしてしまうクロエはクッキー地獄を前に胸のもやもやよりも胃のもやもやの方が深刻な状態になって一時的に全部どうでもよくなってしまうことになる。