健康診断
自宅を建設し始めた翌日、相川はドイツ語でクロエに宣言する。
『さて、昨日は瑠璃の部屋に泊まることになったが……今日からは別の所を探す必要性が出てきた。』
『ひつよーせー?』
『別の所に住まないといけないってこと。』
『どうして? 二人は凄く仲睦まじいよね?』
昨日、キングサイズのベッドで3人仲良く川の字で寝た相川たち。しかし、相川はどこに行っても瑠璃が追跡して来て暑いからソファに逃げた。
そして本日ソファで目を覚ますと隣には安らかに眠る瑠璃の姿が。相川は朝からシャワーを浴びることになったのだ。しかもクロエが妙に照れているのが癪に障る。
『お前、勘違いしてるだろ? 瑠璃は奏楽っていう立派な彼氏がいる。』
『おぅ! 瑠璃さんやり手ですね……』
『俺は一時期母親代わりに面倒看てたから離れないが……正直そろそろ離れてもらわないとなぁ……』
(一時期っていつ? あなた6歳だよね?)
クロエは一瞬そう思ったが、まぁ相川が大概変わっている人だとは嫌というほど理解しているのでもう突っ込まなかった。
『ついでにクロエに日本語の練習もさせないとな。』
『おぅ! お願いします!』
「じゃあ放課後は殴り込みに行こうか。」
「なぐりこみ! どういう、意味デス?」
『喧嘩売りに行こうってこと。今日は予防接種とか検診で学校が終わりだからその後にね。』
何で急に? クロエは瑠璃の家から登校しつつそんなことを思った。
しかし、放課後の予定を立てたのはいいが、相川は定期健診で回って来ていた高須に捕まった。
「……何だよ。」
「いや~……瑠璃ちゃんに注射するのマジ怖い。相川やって。」
「仕事しろ。」
話はそれだけかと相川は高須を見上げる。しかし、高須は引けなかった。
「……BCG打つんだよ……ここじゃハンコ注射、知ってるか?」
「はぁ? まだ学校でやってんの?」
高須のぽつりと漏らした言葉に相川は微妙な顔をして応じた。相川はこの世界のこの地域ではその注射は感染の可能性が低いので生後6ヶ月の間に済ませるようにして小学校でするのは廃止されていたと思っていたのだ。
BCG注射は結核に対する予防注射だ。先端部に針が9本付いており結構な力で押し付けるので泣き叫ぶ子どもたちや怯える子どもたちを見て結構な罪悪感が生じるぶつでもある。
「一応、な……それが問題なんだよなぁ……あんな天使に一生の傷つけるとかお前出来る!?」
「余裕だけど……やるとめっちゃ面倒そうだな……」
全力で抵抗を受ける図を想像する。相川は別の器具とウシ型結核菌を弱めた生ワクチンではなく少々特殊な薬を持っていると言えば持っているので痛みなし、傷跡からの抗体の判断も注射後の炎症2日~3日程度の者で判断できる上に傷跡自体も消えてなくなる技法もあるがやれと言われても困るし彼の仕事じゃないのでそれは言わない。
第一、普通に作っても高いしこの世界にあるかどうか知らないのだ。
そんなことは置いといて、高須は項垂れる。
「ただでさえ嫌なのによぉ……依怙贔屓はダメだと思うよ? でも、正直瑠璃ちゃんにねぇ……遊神流の血を引いてるし氣の質的に免疫が強力だから大丈夫ってことで今年も検査パスさせようかな……」
「仕事しろ。……ん? 今年もって去年も誰か……」
【氣】による治癒能力を考えるとある程度の基準を満たしている物には注射をしなくていいらしい。瑠璃はそれを満たしているので別に注射はしなくてもいいらしいと言う説明を聞かされつつ相川は去年という言葉に引っ掛かって高須に尋ねる。
「クロエ何とかかんとかって子。西洋から来てるみたいだし言葉通じないし受けてたとすれば皮内注射だろうけどわかんないし、二度も受けさせるのもアレだし可愛過ぎるからまぁいっかって……」
「マジ仕事しろ。ツベルクリンやれよ。訴えられても文句言えんぞ?」
「……学校の健康診断の時に無料で受けられるから親が適当に受けさせてるだけであって強制じゃないからなぁ……しかも、その子親いなくて言葉分からないから本人が何かを訴えながら拒否反応を示してると強制はできないんだよ……しかも本当に天使みたいなんだぞ……? ついでに言えば武術の名門の一族らしいし別に打たなくてもいいんだよなぁ……」
「知るか、打たなくてもいいと思ってんなら後悔してねぇだろ。今言ってるってことは打った方が良いと思ってんだから仕事しろ。」
泣き言を言う高須に相川は呆れてそう返す。そんな相川に高須はにたりと笑って告げる。
「……お前には全力で押し付けてやんよ。」
「生憎だが俺はこの年の時点で受けられる重篤な病気に対する全ての抗体を持ってるから受けない。」
「あ~……じゃあ注射の時間暇だろ? 代われよ。報酬は払うよ。手伝え。最悪瑠璃ちゃんのところだけやって。マジ遊神さんどうこうより瑠璃ちゃんにガチ嫌われでもされたら結構ショックだ……」
「……あ~もう、面倒な奴だなぁ……問題になっても知らんからな。100万払えるなら受けてやるぞこの野郎……」
「え~……20万じゃ駄目か?」
吹っかけてみたら思いの外高額の申し出があったので相川はやってみることにした。
身体測定、内疾患などの検査が綿密に行われ、とうとうBCG注射の時間になった。
阿鼻叫喚の体育館。目の前で打たれて泣いている同級生を見て打たれる前に半裸でも逃げようとする子どもたちを取り押さえる教員や抵抗するのを抑え込む看護師たち。
そして、武人相手の医療のエキスパートである高須の下に特Aクラスの出席番号が最後である瑠璃が来ていた。因みにその前は奏楽で涙を見せないように既に体育館を去った後。後ろに前年度受けていなかったクロエも待たされている。
散々子どもたちが泣いていることで恐怖心を掻き立てられつつも良い子の瑠璃は軽く怯えながら服を脱いで左腕を出し、身体を服で隠しつつ涙目で上目遣いに高須を見てお願いする。
「う~……高須さん、ボク、痛いの嫌……」
「ぐふっ……だ、大丈夫だ……俺は何もしないからね? ……頼んだ。」
「……どうしたんですか?」
20万はどう考えても痛手だと分かっていた高須だが、久し振りに見た瑠璃の顔と涙目プラス恐怖心の上目遣いにロリ道に引きずり込まれかけて金は惜しくないと引き下がり相川に後を託す。
瑠璃は相川が出てきたことに疑問符しか出せない。相川も気まずい雰囲気だが任された仕事なので仕方なく不思議なまでに綺麗な注射器を出す。瑠璃は相手が変わったことを察知して体を強張らせた。
「仁くん……瑠璃、痛くないようにしてほしい……」
「はーいぶっすり行きまーす。諦めろ♪」
瑠璃は相川が瑠璃と話したりするときに自ら楽しそうに笑ったのを初めて見た気がした。でも、このタイミングでは見たくなかった。
「痛くないよね? 痛くない? 大丈夫?」
「知るか♪」
迫る六角形の頂点と中心に配置された針。瑠璃は全身に力を入れて抵抗を示して高須がいざという時の為に取り押さえ、瑠璃は目を力いっぱい閉じる。
「……ま、痛いのは冗談だ……つーか組手とか稽古の方が何十倍も痛いと思うんだが……終わり。」
「…………あれ?」
相川の気の抜ける言葉に瑠璃が驚いて目を開けると手に思いっきり注射が突き刺さっていた。でも、痛くない。……見ていると何となく痛くなってきたが。
「おい、肉に減り込むまで力込めて押さないと……」
「高須さん、ボクのこと嫌いなの……?」
瑠璃が酷いことを言うと目で訴えかけてくると高須が狼狽える。
「いや、そうじゃなくてな……そうしないとお薬が効いてるか分かんないからね……?」
「まぁ使った薬と器具がちょいと特殊だから接種部位の変化は俺が診るけど……普通のヤツより発症率は低いぞ。当社比だが。」
相川はそう言って瑠璃から注射を引っこ抜いた。針が細く、長い。そしてところどころ穴のようなものが開いておりかなり特殊な構造をしていた。
この国の医療基準では針が折れる可能性から到底認可を受けないような物だったが、相川の存在自体がかなり違法行為的なのでセーフと言うことにしておく。
「ありがとー! 仁くん!」
「うん。出来れば笑顔じゃなくて痛そうに出て行って。肩を抑える感じで。そうそう。もうちょっと下。肩に打つのは法律で確か禁止されてた。」
「ばいばーい!」
演技をして去っていく瑠璃。この後相川はドイツ語で接種の有無を確認した後、予防接種の種類などわからないと首を振るクロエにも同じようなことをして高須から金を受け取った。