生存者と悲しみ
瑠璃の家に相川が泊まったその日の夜。相川は瑠璃と同じベッドで眠りながらも他人の気配を察して起きた。
「んぅ~……? といれぇ……?」
「……俺は排泄しないんだが……まぁ今はそんなことどうでもいいとして、誰か来たぞ。」
そう言って警戒して体を探る相川。ギミックは体の中にも入れてある。この世界で言う武術の達人たちでなければ逃げることくらいは可能だろう。
寝惚け眼を擦る瑠璃は気配を察してその正体を小さく欠伸した可愛らしい口で告げる。
「麻生田さんだよ……遊神拳流の……」
「凄く殴って来そうだな。」
「うん。早いよ? それと……!」
瑠璃は跳ね起きた。その様子に相川は驚きつつも瑠璃に手を引かれてそのまま連れて行かれる。
(何つー馬鹿力……! いや、俺が普通にひ弱になってるだけか……)
「お母さんが……ママが、ママがぁ……」
「腕が取れる!」
抗議する相川だが、瑠璃は一向にこちらのことを気にせずに道場の方へと相川を引っ張って行く。そこにいたのは血塗れの人々だった。瑠璃はその中の一人に向けて駆け出す。
「ママぁ!」
「瑠璃……」
重傷の人々の中でも意識不明の2人を見て相川は冷静に判断する。
(パッと見は多分瑠璃の母親さんと思われる人が一番重傷かな。基本的に白魔法使うからあまり白外法は得意じゃないんだが……あ、奥の人の方が大変かな? うむ。あっちの方が大分不味い。いや、でも母親さんの処置をしてからでもギリギリ間に合うな。)
ギミックからメス、鉗子、把持器、挟子、持針器、針、糸、剪刃、携帯型低圧持続吸引器などを取り出して相川は誰からオペるか考える。
(薬は……俺用のだったらあの瑠璃父みたいなの以外には普通に効くみたいだし……まぁ、効かないかもしれないし下手したら何かなるかもしれないけど実験も兼ねて適当にやりますか……)
自分に負担にならないように瑠璃の下に近付いて相川は尋ねる。
「よ。オペ、やろうか?」
「で、出来るの!?」
「一応。」
瑠璃がお願い! と言う前に大男が相川の前に出て睨みつける。
「お医者さんごっこは余所でやれガキ! 瑠璃……お前の母親がどうしても渡したいって言ってたもんだ。受け取れ。俺は行ってくる!」
「ふぇ……? 麻生田さん……?」
麻生田と呼ばれた大男は瑠璃の母親らしき人物を担いでこの場をもの凄い勢いで後にして行った。それを呆然と見送りつつ相川は呟く。
「あーあ……ローアンドゴーは高エネルギー外傷の時には鉄則だろうに……あの大男は……」
「ねぇ、ママ、大丈夫なの……?」
「さぁ? 搬送先の処置が良ければ大丈夫。応急手当てくらいはしておきたかったんだけどね。あっちの女の人は見捨てられたみたいだからあっちの手術してくる。」
傍目から見るとそこまで外傷もなく、気絶している以外にはそこまで問題はなさそうな女性の方へと歩いて行く。そして服を剥いでその内部を見、普通に考えればどうやっても助からないレベルの酷い怪我であることを理解し、馬鹿だなと思いつつ相川は薄緑色の術衣を身に纏って女性の方へと移動する。
「うっは。内出血が凄いね~見ろよこれ。腹部が出血でぽちゃぽちゃしてる。こりゃナートじゃ間に合わんな。ステープラー使うか。はーいドレナージですよ~……何か意識高い系みたいだな……」
酷い出血で患部が見えないので把持器で開いて排液を行い、相川は手術を開始する。
「はい、挟子。……手伝ってくれてもいいと思うんだけど?」
「わ、わかんないよぉ……」
「……血管クリップ。」
「……むりだよぉ……これと違うの……?」
「そっちは縫合クリップ。……一人でやった方が早いか。」
どう考えても5歳児には無理なことを要求して相川は呆れた。
「……麻酔無しでも普通に目覚めないレベルの昏睡状態だから大丈夫だと思うんだけどねぇ……でもある程度輸血したい。俺の世界から持って来た奴で行けるのかな? まぁやってみようか。この人血液型は何?」
「AB型……」
「なら最悪なんとでもなるか。どうせ見捨てられた命なんだ。頑張れ。」
適当に励まして静脈留置魔針から闇逆の灯で拒否反応を起こしそうな成分を排除した血を大量に送りつつ相川は頑張ってオペする。
「疲れた……そうか。俺……この世界だと体力すらないのか……」
「が、頑張って……!」
「汗くらい拭いてくれるとうれしいな。」
「拭く!」
相川はギミックを用いて4時間に及ぶ手術をやり遂げた。
「……あー……朝か……ねみぃ……」
恐ろしい程の集中力で最後までやりとおした相川はいつの間にか眠っていたらしく瑠璃と一緒に道場に倒れていた。
「んぅ……うぅ……」
「可愛いねぇ、あんた……さて、そんなことより……患者は……?」
身を寄せ合うようにして眠っていた相川だが、患者の女性を見て笑顔を浮かべる。
「……大丈夫そうだ。クック……頑張った甲斐があるってもんだねぇ……ネクローゼも起こしてない……くぁ……この世界での実験も、まぁある程度把握したし、これで治療費をきちんと請求できる…………ん? 今、この人何か言ってなかったか……?」
女性は誰かの名前を呼んでいる。意識はないようだが、今村は驚いた。
「この回復力……凄いなこの世界の人々は……」
苦笑して、もう一眠り行きたいところだ……そう思ってベッドがあった部屋はどこか……と移動を開始しようとしたところに誰かが息せき切ってこの場所に飛び込んできた。
「瑠璃……すまねぇ……」
「……何か凶暴そうな名前の人……」
相川はそれだけ覚えていたが、それ以上は思い出せなかった。それに対してその男は相川に構っている暇などなさそうに眠っている瑠璃を起こす。
「んにゅ……? 麻生田さん……?」
「妙さんが……呼んでる。今は意識があるがもう……」
「……仁くん……治せる……?」
瑠璃は心配そうに相川の顔を見ながらそう尋ねる。相川は事実を述べた。
「診てみないと分からん。」
「……来てくれる……?」
「瑠璃、親族と関係者以外は面会謝絶だ。……そこの得体の知れないガキを連れて行くことはできねぇ。」
「え……でも、お医者様……」
「ガキ……お前の無責任な発言で瑠璃を傷つけるな……! 瑠璃、お前はこいつに騙されてるんだ。行くぞ。」
「や、待っ……」
有無を言わさずに麻生田は瑠璃を連れて病院と思われる方に高速で飛び上がり移動して行った。
「……まぁ、ムカつく奴だこと。あんな奴が依頼人の無駄にリスキーな仕事は背負わないに限るね。」
相川は瑠璃は可哀想だなぁ……と思いつつ見送り、患者の女性を見て思い出す。
「そう言えばアレだったわ。病院にこの人連れてかないと……一応2~3日は死なないようにオペったつもりだけど精密検査しないとわかんないし。」
そう呟いて相川は救急車の番号ってこれでいいのか……? と思いつつ直近の通話履歴の電話番号を押して病院に連絡した。
「お母様!」
「……瑠璃……」
ママは顔を真っ白にして私のことを見てくれた。麻生田さんは何も言わずにママとボクを病室に残して部屋から出て行く。
「ママ……大丈夫……?」
ママは無言で笑いかけてきた。そして首を弱々しく振ってボクの問いかけに答えた。
「大丈夫、と言いたいのだけど……ごめんね……?」
「す、すぐお医者様呼んでくる! だいじょーぶだよ! 治してくれる……」
慌ててボクが走り出そうとしたのをママは呼び止めた。そして近くに来るように優しく言ってボクの頭を撫でてくれる。
その手は、冷たく、動きは酷く緩慢だった。
「ごめんね……もっと、あなたの成長を見てあげたかった……」
「ママ……」
「もっと愛してあげたかった……」
ママが泣き始めた。
「教えてあげたいことがたくさんあった……っく……一緒に、いたかった……こうして抱き締めて、キスをして……そして……」
「どうしてそんなこと言うの……? ママ、戦いの前、絶対死なないって約束してくれた……」
「ごめんね……瑠璃を悲しませることだけが……心残り……瑠璃、約束……守れなくてごめんね……」
唐突に妙の体から力が抜ける。瑠璃はその意味を察して泣き叫んだ。
「ママ……ママぁっ!」