睡眠時間的に
「……ふふ。可愛いものよね……」
後部座席で言い争いをしていたべったりくっ付く瑠璃と嫌がる相川が少し車に揺られている間に眠っているのを見て梵は笑った。
ただ、その顔は不意に歪むことになる。
(でも、仁くんの方は浅い……凄く警戒してる……)
車が僅かな段差に乗り上げるだけで薄く目を開ける相川。時折、意識は薄れているのは分かるが、薄れるだけで消えることはない。
対する瑠璃は本気でお昼寝モードだ。園内ではほとんど見たことがない。余程疲れていたのだろうか?
(……そんな無粋な理由じゃないわよねぇ……どう考えても仁くんのことが好きなんだろうけど……やっぱりお母様の問題かしらね……?)
瑠璃は客観的に見て凄まじく可愛らしいし、性格も良い。これまで問題など起こしてこなかった彼女が相川に関してだけ暴走気味になる。梵はこれを問題視していた。
(……仁くんを見ると瑠璃ちゃんに何か変なことをしていてもおかしくないと思うけど、どう見ても嫌がってるのよね……時々甘やかしてるけど、それも抵抗が面倒になったから感が凄いし……)
現在のバックミラーを単に見るのであれば仲良しだ。しかし、その位置は先程よりも若干ズレている。相川が引いた分、押されているのだ。
(……仮に瑠璃ちゃんが仁くんのことを純粋に好きだとしたら、奏楽君はどうするかな? 瑠璃ちゃんも前途多難だし……)
「もうすぐですね……?」
「ううん? まだだよー? もう少しかかるから寝ててね?」
「いや、もう少しなら起きます……」
梵が園内維持に頭を悩ませていると相川が目を覚ました。そして瑠璃から身を離そうとしてドア際まで追い詰められる。
「起きてるんじゃねぇのかこいつ……?」
「んー! んー!」
逆側に逃れようとするとしがみ付いてぐずるので相川は諦めた。その顔はまるで夜泣きで起こされ、やっと寝かしつけて在宅の仕事に取り掛かろうとしたら再び泣き出された時の母親のようだった。
「……ん……」
「熱い……窓開けていいですか?」
「いいわよー、後、子どもはそんなに気を遣わなくていいの。敬語もまだ早いからいいのよ?」
「……距離感的に面倒なのでこれでいいです。」
「……そういうのは、言わない方が良いかな? 距離を置かれたいって勘違いされるよ?」
その通りなんだけどと思っても相川は黙る。隣のお姫様が眠らせてくれないので酷く眠いのだ。もう何か全体的にどうでもいいと思って口が滑るくらいに眠いのだ。
「はーい、到着~あ、ちょうどトーナメントが始まってるわよ。急いで急いで! 間に合わなくなっちゃうよ!」
「とーなめんと……あ! 行こ!」
別にそんな嬉々として行くものじゃない気がすると相川は思ってもこの幼稚園に居る連中にはそんな思考回路が存在しないので黙った。
(まぁ、いつもみたいに適当に流すか……どうせ勝てないし……)
道場に着いた相川はそんなことを考えながら楽しそうな周囲を睥睨する。
見えてはいるが、避けられない。その為全然楽しくない3分間なのだ。銃火器やナイフを使用していいのであれば簡単に勝利できるが、素手に限定されている。いや武器などなくても仮に、相手を殺してもいいのであればその辺の相手であれば相川はギリギリ勝てるが真っ当な試合では勝てないのだ。
勿論、普通にやって勝てる相手もいる。そのため相川は中の下、というランク付けをされていた。普通で面白くないと思いながら相川はふと自分の状態を考える。
(……さて、心構えはそんなんだけど……どうも思考がなぁ……眠いから理性が弱り気味かも……アレだよね、俺って眠いと凶暴性が上がるんだよね……)
いつもと同じような説明に欠伸が出る相川。少し離れた場所では奏楽が瑠璃と喋って楽しそうにしている。二人とも優勝候補筆頭だ。
「……まぁ、実験するかなぁ……眠かったから手加減できなかったとか、そんな感じの適当な理由で誤魔化せるし……手加減……? 違う……何だろ……あーそうだ、睡拳的な……何か、違う……?」
眠たい。中途半端に寝たのが悪かった。お腹もいっぱいになり過ぎない程度で凄く丁度いい。昨夜の疲れの残りに加えて瑠璃の所為で微妙に疲れた。本日の天候。絶好の、睡眠日和。最高の睡眠コンディションだ。
「……我が睡眠を邪魔する者に死の鉄槌を……」
そんな相川は独り言を言っていないと眠るのではないかと思うほどに眠くなってきたが、怪我はしたくないので無理矢理戦闘状態に持ち込む。すると何か妙に楽しくなってきた。深夜のハイテンションに近い物がある。
「おー……一回戦で仁くんかぁ~……」
対戦相手が出たらしい。相川は第4グループの2回戦。対戦相手は瑠璃らしい。彼女はてこてこ相川の方に歩いてやって来るとこそこそ耳打ちする。
「ねぇねぇ? 瑠璃が勝ったらちゅーしていいよね?」
「……勝てるもんならやってみろや。わっちゃあ眠いんじゃ……我が眠りを妨げる者に裁きの鉄槌を!」
超変なテンションだ。瑠璃はやったぁとだけ呟くと相川を連れて今の場所から斜めに少し離れた枠へと移動する。すぐに開始された第1回戦は開始数十秒で決着が着いた。
そして瑠璃と相川が試合場に上がる。瑠璃は遊神流の構えを見せ、相川は歪んだ笑みを見せながら口の中でキーワードを転がす。
「『仙氣発勁』……さぁ、始めようか。」
「お願いします。」
瑠璃は気絶しない程度に飛び蹴りを放って速攻で勝負を決めに掛かる。それに対して相川はタイミングを合わせて左足を出し、右の逆手突きを入れた。
「んにゃっ!?」
「ぉらぁっ!」
まさか反撃を喰らうとは思っていなかった瑠璃が逆手突きを喰らう瞬前にこの歳から同学年に比べて長い脚で地面を蹴り、バックすると相川は右足を一歩詰めて突いた右手を変化させて肘で瑠璃の顎を目掛けてアッパーを入れる。
「あぅっ! いたぁ……」
「……結構決まったと思ったんだけど? 脳震盪とかナシなの?」
「うん。鍛えてるからね! えへへ~……今度は、ボクも行くよ?」
少しだけ嗜虐的な笑顔になった瑠璃は何事もなかったかのように後ろに飛ぶと着地と同時に横に跳ね飛ぶ。相川がそちらを見た時には既に至近距離で右手の手刀モーションに入っていた。
「遊神流・羅刃断!」
横薙ぎの手刀が相川の首を狙う。それに相川は最短距離からの正拳突きを打ち上げた。
「毒我流・鉄拳撃ち!」
「おぉ~! お~! きゃはっ!」
手刀を殴り飛ばされた瑠璃はご機嫌でその衝撃のままに下がり、次の一手を繰り出す。相川は「今俺なんか変なこと言ったな……」と思いながらもそれに対処していった。
「そろそろこっちからも行こうかね。螺震脚!」
「むっ! にゃはっ!」
手と手を組み、踏ん張っていた瑠璃の足を踏み抜こうとして外され、相川は逆の足を払われる。しかし、狙い通りだ。落ちる力に加えて腕力と氣力で瑠璃を崩し、瑠璃の上に乗る。
だが、瑠璃は素早く足を上げて相川の首を取りに行き、相川はそれを感知して前傾姿勢になるとその隙に瑠璃は抜け出した。
「凄い凄い凄ーい! 何でいっつもそれでボクと遊んでくれないの?」
「疲れるから。おらよっと。」
「痛っ……お喋りしてる時は攻撃しないでよ~痛っ、ねぇ痛い……」
「痛くしてるからな。任脈斷!」
「おっと、仁くん。その技はダメです。減点1」
経脈を絶ちにかかった相川の技は禁止だったらしい。正中線への連続攻撃はアリなのに……と不満気に思いながらも一時中断され、相川の手で解穴を済ませると再び開始線から仕切り直しが行われた。