蕎麦屋?
「はい、天綴じ丼あがり!」
「……おぉ、ちゃんとしてる……」
「ふっふっふ、完璧ッスよ。まぁ、煮え滾る油の中に手ぇ突っ込んで温度を調べるみたいな親父のマネはしてないですけど……」
「アレはマネしない方が良い……」
相川の目の前にはエビが3本、キスが半身、シイタケ2つ、ニンジンとレンコン、そして葉物と玉葱が入ったかき揚も2つ、それに豚、大葉、舞茸などが所狭しと盛られた天綴じ丼が出て来ていた。その器は相川の顔どころか相川と瑠璃の二人の顔が入りそうな程大きい。
「……ところで、揚げ物が上手くなったのはいいんだけど……量は考えて出してるよね……?」
「もっちろんッスよ。大体揚げ物は玉子に綴じられてる分だけッス。全部1つずつの予定で、キスもその半分って所ッスかねぇ……豚肉は載せない方向で。お値段はランチタイム限定で700円! いつもなら800円で!」
「うん……なら、十分だ。」
それはいい。ネタも別の所に興味を持った元不良たちがやけて売り物にならない魚や形の悪い野菜などを持って来てくれる手筈なので問題ない。
ただ、今の問題として目の前にあるのはメガ盛りもいい所だ。
「瑠璃、食べる……?」
「え、いいの? ひゃーん!」
ちょっと食べきれないだろうなと判断した相川が隣に座っている瑠璃に食べるかどうか確認すると瑠璃はその可愛らしい口を大きく開けて相川に見せる。
「……虫歯は、ないみたいだけど……?」
「違うよ! あーん!」
口を閉じてむくれ、文句を言う瑠璃に相川は首を傾けて言った。
「あぁん?」
「……あっついッスねぇ……今鍋に入ってる天ぷら油より熱いんじゃないッスか?」
微笑ましいやり取りを見ていた店の男性はそう苦笑しながらそう言って仕込みに戻る。梵も相川に言っておいた。
「食べきれなさそうだったら、先生に言ってね? ご飯と卵、それからシイタケとかき揚くらいは貰ってあげるよ? 出来れば舞茸とエビも……」
「えぇと……じゃあ、どうぞ……」
「きゃ~……! ウチってお昼はがっつりしたのってあんまり食べられないのよねぇ……いただきます。うん、美味しい……」
相川は梵がそう漏らすのを聞いて横目で店の男を見る。マスクで隠れているものの、彼が会心の笑みを浮かべているのはすぐに分かった。
「瑠璃も~あーん!」
「いや、自分で食えや……」
「いじわるー」
瑠璃が拗ねて膝の上に乗って来るので鬱陶しいと相川は諦めて今持っている食べかけのシラギスの天ぷらを瑠璃に与えた。瑠璃はご満悦だ。
「ん~……おいしーね?」
「……あ、言い忘れてたけど先生に宣伝。この店、昼に少し開いた後、夜に2階で宴会とかやってます。勿論、1階で普通にも開いてるし、両方とも割と安く設定してあるから気に入ったなら来てほしいな。……って、凄い食べますね……」
「え~? あはは、私って結構大食いなのよ……これ全部の量で丁度いいくらいだからねぇ……だから天ぷらとかの高い外食はあんまりできないのよ……好きなんだけどね……あ、園での忘年会とかだったらどうか分かんないし、幹事とかになったら考えとくね?」
相川はエビを食べながらにやりと笑い、鳥の雛のように口を開けて待っている瑠璃にご飯とエビと卵を少しだけ息で冷まして与えると裏メニューの存在を明かす。
「端切れ丼があるんだよね……」
「え?」
「……ここ、蕎麦屋なんで本当はソバ食って欲しいんスけど……」
会話を聞いていた男性は複雑な心境の顔で相川にそう告げるが相川は未熟者の意見には取り合わない。
「客を確保してからそういうことは言うの。ねぇ先生……ここに、こんなに大きいどんぶりがあるってことは、この店は商品としても大盛りの丼を出してるって気付かない?」
「でも、ああいう2000円のやつでしょ?」
相川は芝居がかった風に首を振り、店内に飾られている写真付きの札を指さしている梵に告げる。
「いいアシストです。でも、端切れ丼のお値段はなんと……その80%オフなんですよ!」
「………………えぇと?」
「先生、400円だよ~?」
相川は褒めて欲しそうにしている瑠璃を撫でてご飯を与え、少数の計算ができる瑠璃は凄いなと思いつつそんな瑠璃に負けるこの先生はちょっとアレだなと思いながら説明を続ける。
「驚異のお値段の理由は端切れ食材を使うこと。作ったのはいいけど少し余分になった物とか調理途中で千切れてしまった物とかのロス予定だった在庫、天かすなどを卵で綴じてネギを散らし、処理するという物です! 本来は賄いで出してるんですけどね。」
「……どんなの?」
「まぁ、俺の昼飯予定でしたらこんな感じですけど……」
店員は少し冷蔵庫の方へと移動して先程相川の食事の際についでに揚げた天ぷらを持って来る。
「豪華すぎない……?」
「一昨日の相川の引っ越し祝宴会にゆとり持たせてたんで……まぁそれにこれは賄いですからね……普通は2、3品に薬味、天カス、玉子でやりますかね……」
今日のはイワシ、玉葱、白身魚、豚肉、獅子唐が入ってますけど……あぁ、魚は割と入れること多いですねなどと説明していく店員。梵はだんだんと熱が籠り始めた。
「……ガソリン代を考えると……いや、仁くんを送るためと称して経費で落とせるかな……? ……行ける……」
「あ、でもこの辺りは相川の所為で割と治安が良くなって来始めてますがまだ微妙に悪いんで……」
所為ってなんだよと相川は思ったが梵はそんなこと気にしていないとその細く白い首を振る。
「大丈夫。竜虎幼稚園の採用試験は前提条件として最低総合武術3段だし、私は6段だから……」
「お、おぉ……」
この世界特有の制度、総合武術は5段で10メートルくらいの距離で撃たれた通常の銃弾を躱せるというレベルだ。
因みに最高10段だが、そこまで行くとバズーカが直撃しても効かないまさに化物レベルになる。
店員がこんな美人でそんなに強いのか……と軽く引いていると梵は笑っていた。
「うふふふふ……これで微妙にお腹が空いた毎日とはおさらばよ……給食の時間についつい食べ過ぎて園児たちから変な目で見られることもないわ……ちょっと油を摂りすぎかもしれないけど大丈夫かしら?」
「あぁ、別メニューにも裏はありますよ? 最近ここ、蕎麦より丼もので売り出し始めてますし……」
「あーん♡ ん~♪」
「ウチ、蕎麦屋なんですけどねぇ……折角、最近蕎麦打ちが楽しくなって来たのに……」
微妙に哀愁漂う店員だが、ソバ打ちはそんな甘い物ではない。相川がこの店で彼に蕎麦を頼むようになるのはまだ先のことだろう。
というよりも、この辺りの需要的に腹が膨れるものだったり素早く食べられる物として丼ものの受けがいいのだ。相川が介入した時点で拘りで潰れるようなマネジメントはさせない。
尤も、外部から口出しした所為でこの店の大将は相川が嫌いだし、相川が提案したランチタイムのオープン時には出て来ない。ただ、何も言わないのは一人息子を改心させ、親子間のいざこざを治めたことだけ感謝しているというところだろう。
「ふぅ……ご馳走様。」
「瑠璃眠い……仁くんおんぶして~」
「俺のが眠いわ。」
食事を終え、お腹いっぱいで眠くなり凭れ掛かってくる瑠璃を嫌そうに支えながら相川がそう言うとご飯と卵などの殆どを平らげた梵が笑いながら二人に告げる。
「うふふ、じゃあ私が仁くんを抱っこして瑠璃ちゃんをおんぶしよっか? あ、その前に相川くんお勘定……」
「あ、相川から金は取らないッスよ? 少なくとも向こう1年位は。うちの親父もそん位の働きはしたっつってますし。あ、でも何をしたのかは企業秘密ッスけどね。」
「言わなきゃ聞かれないから黙っておいた方が良いよ。ご馳走様~」
「美味しかったです!」
「……いいのかな? また来ますね~今度はお客さんとして~」
3人が去った後、店内ではにやりと笑った店員が小さくガッツポーズしていた。