何て変な引きだろう
「……ここで、いいんだよね……?」
「ここなの?」
梵は地図通りに自らの車を運転して治安が悪いとされる相川の住む地域へとやって来た。
しかし、その場所は他の地域よりもむしろ綺麗なのではないかと感じられる場所だった。
「……うん。間違ってない……えぇと……まぁ、今は関係ないか。瑠璃ちゃん行こう。ここからは歩きになるからね?」
「うん!」
元気な瑠璃ちゃん本当に可愛いと思いながら梵は車から降りて瑠璃の小さな手を取り、細い路地裏を歩いて行く。
(……何か、すっごく綺麗なんだけど……)
梵はそんなことを思いながら周囲を見つつ瑠璃の手を引く。
高圧洗浄機を先日プレゼントしてもらい、面白がって清掃をしていた皆がそれを使うことで相川の家の周辺は新品レベルできれいになっている。
そして今では殆どの人たちは飽きたが、自分の家の目の前付近で綺麗な壁と汚い壁の境界があると何だか気に入らないので自分の見ている範囲内は掃除して満足し、次がまた気に入らないという感じでどんどん綺麗な地域が拡大していた。
そんな前来た時とのギャップに驚かされつつも梵は使命を果たすために相川の家の前に着く。瑠璃がインターフォンを押した。
「……出ないね。」
「ピンポンもっと押した方が良いかな?」
瑠璃は連打し始める。少しだけ間が空き、扉が開いて中から絶賛不機嫌な相川が現れた。
「……ぁに? 誰?」
「きゃー!」
「……げ、何で瑠璃が……」
インターフォンを押すために飛んでいた瑠璃が梵とドアの間から割り込んで相川の家に飛び込む。相川は眠気を覚まし押し倒されないように踏ん張った。
不審者向けのギミックの起動スイッチを仕舞うと相川は梵を睨み上げる。
「……えぇと、何の用ですか……」
「様子を見に来たのよ~仁くん大丈夫かなって。」
「あ、はい大丈夫です。……もういいですか?」
眠たい相川。瑠璃がもう二度と離さないとばかりに抱き締めて来るのは無視する方向で大人にそう告げる。
「ふぁ……みゅぅ……瑠璃、眠い……」
「何しに来たんだよ……えぇと、瑠璃ちゃんが眠いみたいなので連れて帰った方が良いんじゃないですか……?」
「うーん……その辺はちょっとだけ、問題があってね……」
連絡帳では瑠璃は最近不眠気味だったはずだ。園内でもあまり眠れていない。しかし、相川に会って抱き着きものの数分でおねむ状態に入っている。
「瑠璃ちゃん、仁くんと一緒じゃないと眠れなくなってるみたいなの。」
「……えぇ……俺、幼稚園休むって連絡入れましたよねぇ……?」
「仁くんは幼稚園に来るの嫌なのかな?」
「……朝起きるのが嫌です。」
正直に言ってみた。眠くて思考があんまり回っていないのだ。そうしていると物珍しげに相川の家の前を見て来る人々が集まり始める。
今更ながら言うと、梵は瑠璃という名の超可愛い女の子を連れていると親子に間違えられるほどの美女だ。つまり、かなり人目を引く。
「……あんまり外にいるとあれなんで、ウチ入りますか……?」
「あら、そうさせてくれる?」
相川はギミックを片付けていない部屋の中に二人を連れ込んだ。
「……そこにある飲み物を適当にどーぞ。」
「あ、ごめんね? ……お家の人はいないのかな?」
「医者ですからね。毎日忙しいですよ。」
現在の後見人は安心院になっている。彼はこの家の存在すら知らないが、実質的に高須が面倒を看ているという設定なので特に問題はないだろう。
「そっか、仁くんお留守番出来て偉いね~?」
「……そんなことよりコレ、外して欲しいんですけど……」
相川はそう言ってソファで凭れ掛かった状態から倒れ込んで来てその上でしがみ付き、相川を押し倒した状態になる瑠璃を指して横になったまま梵にお願いする。
「……モテモテだね?」
「いや、そういう冗談は良いんで……俺、眠いのに上に乗はへて……ふぁ……あの眠いんで……うん……幼稚園行かない……」
「じゃあお昼寝して午後から出てみよっか? お家の人がいない状態で放っておけないしね。」
「いや、結構です……」
「遠慮しないの。」
遠慮じゃないんだけどなぁ……そう思いつつ善意の行動にケチ付ける程元気じゃないからいいかと瑠璃と一緒にそのまま眠……れない。
「あの、部屋の中をじろじろ見ないでくれませんか?」
「……ごめんね? でも、少し落ち着かなくて……何で、こんなに防御システムが張られてるのかな……?」
「……良く分かりますね……まぁ、その問いの答えは死にたくないからですよ。あぁもう、面倒臭いなぁ……やっぱ今から幼稚園行った方が楽なのか……?」
梵が何をそんなに警戒しているのか尋ねる前に相川は起き上がる。それでも瑠璃は眠ったまま離れようとしないので柔らかな乳白色の頬を往復ビンタして3往復目辺りで起こすと立たせる。
「ふぁ……あぁ……ダル……」
「ほっぺ、痛い……」
「我慢しろ。」
「……瑠璃、良い子だから我慢する。」
梵は鬼かと思ったが咎める前に瑠璃が我慢したので言葉を告げる機会を逸し、相川の着替えを見守った。ついでに瑠璃を見ると彼女も凄く見守っている。
「……瑠璃ちゃん、ちょっと見過ぎかな~?」
「でも、見てないとどっか行くんだよ?」
「……出口塞がれてるから行かねぇよ……はい、準備できた。」
準備と言っても着替えて帽子を被るくらいしかやることはない。相川は首を回しながら瑠璃に腕を取られ、梵を伴い家を出る。
「あぁ、ご飯……うん。ちょっと寄り道していいですか?」
「えぇ……大丈夫? お金持ってるの?」
「それなりに……」
慣れた様子で車の場所を少し過ぎて別の通りに入ると準備中という看板が掲げられた店に入る。梵は慌てて止めた。
「仁くん、そこは準備中だからね? まだ入っちゃダメなの。」
しかし、抱きかかえられる相川に対して扉の開く音で入口を見た髪の毛を短く刈り上げ、マスクを付けた若い男は気安く声をかける。
「お、相川じゃないッスか。……ランチタイムには少し早いッスね。けどいっか。何にシやすか? オススメは天ざる……」
「天丼の卵とじ。」
「うぉおう……スゲェ、俺っちの意見ガン無視……まぁいーッスけどね。」
天丼入りましたー! と一人で嬉しそうに騒ぎ、鍋の火を強くして揚げ物の準備を始める男に梵は申し訳ありませんと謝罪するが揚げ物の音に掻き消される。梵は眠そうに子ども用と思われるカウンター席に掛け、瑠璃と並ぶ相川を見て叱る。
「仁くん。こういう風に来るのはお店の人に迷惑なんだよ? 困ったなーされて怒られるんだからね?」
「ん? いや別に怒らないッスけど……そう言えば、あんた誰ッスか?」
天ぷらを揚げてる間、少し話をしようとして戻ってきた短髪の男性に相川は水を飲みながら告げる。
「やっさん、客に対する口調。」
「おっと、相川と話す感じでやっちまった。いや~でも、美人さんですね。で、相川これ誰?」
「俺の通ってる幼稚園の保母さん。」
「よーち、えん……? …………あぁ、幼稚園? ……え……幼稚園? 相川が……?」
(何でそんな不思議そうな顔をしてるんだろう……というより、仁くんは何をしてるんだろ……)
梵はごく当たり前のことを考えるが、一先ず挨拶をしておく。その後瑠璃の方に男性の視線は向かった。
「おぉ……相川の女か? それ、やるなぁ!」
「違う。こいつは……何だ?」
「瑠璃だよー?」
「それは知ってるけど……まぁ、知りあい。」
瑠璃の「瑠璃だよー」という発音と笑顔に男性は軽くロリコンに堕ちかけて顔を俯かせ、梵も魅了されかかり、水を静かに置いて顔を俯かせた。
天ぷらの揚がる音だけが静かにこの場を支配する―――