おこ瑠璃さん
「お父さん! 起きて! お稽古!」
「ん……? 寝坊したか……?」
遊神は瑠璃に起こされて慌てて身を起こして時計を見る。しかし、まだ4時過ぎでそろそろ遊神のいつもの時間にセットされたアラームが鳴るだった。いつもより30分ほど早い。
「……早く起きたのか……ちゃんと寝たのか?」
「んーん。あんまり……仁くんいないし……でも、早起きして早く幼稚園行ってお昼寝とかするから大丈夫!」
何この天使可愛い何者? ……あぁ、俺と妙の子か……などと親馬鹿を全開にしつつもそれを消して面に出さないようにしつつ遊神は身を起こして軽く相川を八つ裂きにしたい衝動を抑えてから奏楽を起こしに行く。
「……まぁ、開園時間は7時半だし……多少なら早く行けるか……」
相川がそろそろ新しいベッドで寝息を立て始めている頃、遊神家は朝稽古を開始したのだった。
「「行って来まーす!」」
瑠璃と奏楽はいつも遊神が仕事を開始する時間より早くに園のスクールバスに乗って遊神に見送られながら幼稚園に向かう。
その最中、瑠璃はずっとそわそわしていた。それを見て面白くないのは奏楽である。不機嫌そうに奏楽は瑠璃に尋ねる。
「瑠璃ちゃん、僕のこと好きなんだよね?」
「え、何で急に? 好きだよー?」
きょとんとした顔で答えられて顔を赤くして少し黙る奏楽。じゃあそんな僕の前で他の男の子のことばっかり考えないでほしいと言いたいが、それを言うと小さいかななど色々考えながら窓の外の景色に思いを馳せる。
外にいる幼稚園行きたくないと泣いて母親から離れたがらない年少さんを鑑みるに割と奏楽もスーパー幼児だ。もしくはませガキとも言える。
それはさておき、バスは進む。そろそろ竜虎幼稚園の所有する駐車場だ。他の地域に出向くバスはまだ帰って来ていない。
「着いた。着いた。」
幼稚園に着くと瑠璃は楽しげに揺れる。昨日会っていなかった時間にあったこと、一人で頑張って寝たことなど喋りたいことはいっぱいだ。
泣いていた子どもなども友達と会って園庭に着くと遊びに走り始める。奏楽も同性の友達とどこかに走っていく中で瑠璃は園の門から動かない。
「まだかなー……仁くんネボスケさんだからなー」
門の枠の上で体を揺らし、門で遊びながら相川を待つ瑠璃。しばらくして別地区からの子どもたちを乗せたバスが着いたことが電話で園に伝わり保育士たちが出迎えに出てきた。そして門の場所を陣取る瑠璃を見ると告げる。
「瑠璃ちゃん、そこ危ないから中入りましょう?」
「んー……でも、仁くんが来たらすぐ捕まえないと。」
その言い回しは保母には少々可笑しかったようだ。
「捕まえないとねー? でも、今は危ないから少し離れよっか? 瑠璃ちゃんがそこに居ると誰も入って来れないよ?」
「はーい。」
瑠璃が離れ、保母が褒めたところで保父の一人がそう言えばとばかりに残念そうな口調で保母に告げる。
「そう言えば、仁くん今日お休みらしいですね。」
「あら、何で?」
「引っ越しで疲れたとか……園に電話があったみたいですよ。」
「残念ね~瑠璃ちゃ……瑠璃ちゃん……?」
その保母は瑠璃の方を振り返って二度見し、体を入れ替えて瑠璃の方を見る。
「……仁くん……来ないの……?」
「そ、そうみたい。残念ね? でも、瑠璃ちゃんは」
「何で……?」
「引っ越しで疲れたって……」
「でも、瑠璃、昨日、約束したよ? また、明日って。」
寒気がする雰囲気を纏い瑠璃は揺らめきながら保母の方へとやって来る。その目はいつもの快活な瑠璃の物ではないように思えるほど暗かった。
「ひ、仁くんにも事情があるからね? 瑠璃ちゃん……」
「でも、約束したんだよ? お家にも遊びに行くんだよ?」
「そうなの……仁くんも守りたいなーって瑠璃ちゃんと遊びたいなーって思ってたはずだよ? でも、今日は出来なかったんだよ。瑠璃ちゃんは良い子だから我慢できるよね?」
「……うぅー……仁くんの嘘吐き……ママと一緒……」
その言葉に保母ははっとさせられた。瑠璃の母の事情は知っている。胸が軽く締め付けられる思いがするが、それを押し止めて瑠璃のことを慰めると仕事を別の人のフォローに任せて瑠璃と話をした。
その日、瑠璃は稽古の時間に少しだけ八つ当たりをした。新しい崇拝者たちと畏怖の念を手に入れ、瑠璃は元気をなくして家に帰ることになる。
しかし、その午後の稽古中、その初めの走り込みの際に橋の下で相川を発見して騒ぎ、翌日は大丈夫だと少しだけ安心してその日を暮らす。
そんな瑠璃に対して相川は。
「……あっぶね。見つかってないだろうな……? 何か面倒臭いし、幼稚園も保育園も少ないらしいから俺の分の枠を別の子に譲った方が良いだろうとか色々考えて明日も休む連絡入れたのに……」
こんな感じだった。
遊神が瑠璃に言われて相川を探しに土手の上から飛び降りて来た時は少し驚いたが、この場所でのトレーニングのために作っておいた隠し場所の中に隠れることで難を逃れたが、油断は禁物だとしばらくその場に隠れていたのだ。
「……うん。どうせ高校まで皆勤賞とってもカウントは小学校からだからセーフ。そろそろ帰ろうかね。」
そしてその日も夜更かしをして、翌日になる。当然、相川は幼稚園に欠席の連絡を入れて行く気はない。
翌日。
瑠璃は激怒した。必ず、かの邪知暴虐の王を幼稚園に連れて来なければならぬと決意した。瑠璃には家庭の事情はよくわからぬ。瑠璃は5歳の武術を嗜む女の子である。寂しがり屋で別れが嫌だったけど頑張って我慢して暮らしてきた。けれども、約束破りに対しては、人一倍敏感であった。きょう未明、瑠璃は家を出発し、バスに乗り歩いてこの竜虎幼稚園に来ていた。
……そんなことはどうでもいい。今の問題は、昨日元気に筋トレをしていた相川が、今日も欠席と言うことだ。
「でも! 瑠璃、仁くん昨日見たよ! 壁パンチしてたよ!」
「困ったわねぇ……ズル休みなのかしら? お家の人には繋がらないし……」
瑠璃の訴えに保母が困ったように首を傾げる。目の前で瑠璃が騒ぐので保母も少し問題視し始めたのだ。
しかし、そこまで踏み入ってもいいのかという問題もある。家庭内にあまり踏み込むのは得策ではないのだ。特に、相川の履歴は少々どころではなく特殊で、当初幼稚園に出された書類で保護者として名を連ねている人物は既に故人。
幼稚園の方が心配で尋ねると名前も知らない何らかの法人と近くの大きな病院を経営している医師が名を挙げており、複数名で後見人をしているという設定である。
「治安もあまりよくない場所だし……様子、見に行った方が良いかしら……?」
「瑠璃も行く!」
「瑠璃ちゃん、あなたは幼稚園よ。瑠璃ちゃんのお父さんからよろしくねって頼まれてるんだから。」
「そんなの知らない。瑠璃も行く。」
「……困ったわねぇ……」
この園内で瑠璃を比較的穏便に留められるのはこの保母くらいだ。他の誰かだと多少手荒な真似をしなければ止められない。
「梵先生、いいですよ瑠璃ちゃんを連れて行って。」
「園長先生……いいんですかね?」
「えぇ、却ってあなたが連れて行った方がフォローしやすいので。」
前日、瑠璃がその力の一端を示したことで力量が少し分析できたので園長はそのように告げる。上が許可を降ろしたのだから梵が引け目を感じる必要はない。
梵は瑠璃を連れて幼稚園から出て行った。