本允坊戦
秋が過ぎ、冬が来て新たな年がやって来た1月、相川がこの世界に残る最後の年を迎えた頃。相川は澄み渡る青空を見上げて顔を顰めていた。
「……曇りがよかったんだが。」
「……それでは寒いと思いますが……」
隣にいたクロエから感情を抑えた声がかかる。そんな二人の目の前にはこの世界から出ていくための装置を載せたロケットがあった。
「予定通りに完成したなぁ……扉を載せるのに苦労した時には俺が本允坊戦に行っている間に完成することになるかもしれないと思ったが……」
「今日から始まる本允坊戦が終わったらすぐに活躍してもらわないといけないのに師匠がいない状態で完成と断言することはできませんからね……」
相川が早期にこの世界から出ていくために必要な最後の段階である三傑入りの試験について話題にあげながら苦労を思い出すクロエ。三傑ということで別の試験でもいいのだが、現在の三傑である遊神や榊と戦うには現在持っているすべての力を使う必要があり、そんなことをすれば本末転倒になるので空いている席を取ることにしたのだ。
「……いや~……本来なら遊神さんやら榊さん、それからロウ君が今年の救世のために扉を開くところに割り込む予定だったのが合法的になったわ。」
「……何を以て合法とするのかはよくわかりませんが、よかったですね。」
クロエがそう返した後、相川はここで最終確認を取った。
「それで、本気でお前は俺についてくる気なのか?」
「はい。」
「リスクは前々から説明した通り。危険で、リターンもなく、今まで築き上げてきたものを全て置き去りにする必要がある。」
「構いません。」
見つめあう、というよりも相川の品定めを受けるような視線に対して一歩も引かずにその場に残るクロエ。全身を駆け抜けるプレッシャーに耐えてじっと相川を見ると相川はその威圧を解いた。
「……わかった。後悔するだろうから、その後をどうするかきちんと考えておくようにな。」
「わかりました。」
そこで空気が弛緩して相川は伸びをしながら送迎の車に連絡を入れた。それが終わると相川はクロエに先に告げておく。
「クロエ、会場で何が起きてもすぐに俺の言うことに従って行動してくれ。」
「……はい?」
「……まぁ異世界に行きたくないのならどちらでもいいが。」
念を押されたところでクロエは首を傾げる。しかし、それがどうであれ従わなければついていけないのであればやるしかないので頷いて相川に続いて車に入り、会場へと移動を開始したのだった。
「おーおー……揃ってんなぁ……」
会場には既に相川から見ても大物が多数揃っていた。中には見知った顔もあり、この試合が簡単にはいかないことが予想されるような参加者の顔ぶれだ。
そして、三傑を決める戦いということで上座には残された二人の傑物、榊 終と遊神 一が互いに無関心を装うように目を閉じて座っていた。
そういった錚々たる面子を見渡していると不意に相川に近づいてくる人物が現れる。彼女が通る前には周囲に人が綺麗に分かれて道を作り、彼女が通った後はその香りに陶然としていた。
「久し振りだね仁……」
「……よぉ、瑠璃。今日は参加者としてきたのかな?」
「勿論、止めるためにね……」
二人とクロエの周囲から人は遠ざかり、息を呑む。相川も瑠璃の静かな威圧に思わず苦笑した。
「おいおい、人がせっかく長年の目標を達成しようというのに……」
「最初はね。」
「ん?」
「最初は、ボクも我儘言わないで自律するって。それが仁のためだからって。黙って見送って、我慢する気だったんだよ?」
じゃあそうしろと相川が言う前に瑠璃は相川のことを睨みつけて強い語気でそれを遮った。
「でも! 戦争に行ってるの見て! 傷だらけで戦ってるのを見て! 誰からも助けてもらうとしないで一人で何でもやろうとする君を見て! ……考えは変わったよ。君は、行かせない。」
「そんなの俺の勝手だろうに。それにあそこまで死にかけるのなんざ滅多にない。」
「……死にかけるのは、なくていいんだよ。滅多にないじゃダメに決まってる……! それに、そう言うけどボクに黙って君がどこかに行った時はいつも辛そうで……黙って裏試合に行った時だってそう。仁はいつも治療してるよね……」
言われてみれば瑠璃が相川が黙って戦いをしているのを見に来たときは大体血まみれで死にかけている気がしてきた相川。瑠璃はそんな相川を睨みつけた。
「仁を傷つけるのは例え仁であっても許さないから。」
「他の誰でもない俺が許可しているのに何でお前の許可がいるのか……しかも勝手に自傷行為を望んでやっているかのように仕立て上げて……」
「おっと、瑠璃はここにいたのか……」
そこに現れたのはまた別の集団。こちらも人の目を惹く美男子二人で瑠璃は久し振りに表れた彼らに思わず目を見開く。
「奏楽、君……」
「よぉ瑠璃。元気にしてたか? お前を守りに来た……」
自然な動作で瑠璃の近くまで歩いて来て跪き、手の甲に唇を落とす奏楽。瞬間、瑠璃の顔から血の気が引いて手の自由を奪い返すと相川を見る。しかし、彼女の目に笑っている相川が映った時、既にそこに相川はいなかった。
「あ、え……? ち、ちが……」
「こんな気障男が兄とは……見てて引くんだが。」
軽いパニック状態になっている瑠璃と奏楽の間に割って入る悠。しかしそれどころではない瑠璃は急いで相川を追いかけようとしてその場に残っていたクロエに手を引かれた。
「何⁉」
「いえ、過去に私があなたに言われたことをお返ししようと思いまして。」
「ボク今急いでるの分かってるでしょ⁉」
「……『隙がある方が悪い。』そろそろ予選開始の時間ですから会場に向かった方がいいのでは?」
「~っ!」
小声で告げられたクロエの一言に苛立つ瑠璃は乱暴にクロエから手を振り払って鬼のような形相で榊兄弟を睨んだ後、開会式のために自らの割り当てられたブロックの場所に移動する。残された三人の下には遊神流の弟子である翔も訪れた。
「あれ、さっき瑠璃さんがここに……」
「あぁ、この気障男がゲスい真似をしたから恥ずかしがって自分のブロックに戻っていったよ。アフターケアくらいはしておきたかったんだけどね。」
「……変な真似はしてないだろうな?」
「ふん、幼少期からの幼馴染に親愛の挨拶をしただけだ。」
睨み合う男3人から少しだけ距離を置くクロエ。相川のブロックについては彼女も知っているのでそろそろ始まるということもありその場に向かうが相川はそこにもまだいなかった。
(……もう始まるというのに師匠は……?)
一先ずその場に座るクロエ。程なくして場に開会式のために静かにするようにアナウンスがなされ、クロエの心配と緊張は高まっていく。
(まさか、置いて行かれた……?)
本允坊戦が始まってからはこの場所から出ることはできない。まさか彼女たちの計画がバレてその罰としてクロエも置き去りにされるのではないかと頭がぐらぐらしてきたその時、開会宣言が成された。
それと同時に暗幕が下り、照明も落ちたその場で叫び声と何か重い物が地面に落ちる音が連続して起きた挙句、奇妙な甘い香りが周囲に満ち始めたのだった。