既知の未知
『それでは本日の会議を行います。今作戦においては以前よりお話ししていた通り武術の一層の促進、また後進のための訓練を兼ねて武術試験の本試験受験者たちに同行してもらうことになっているのでリストをご覧になって決めてください。』
修羅の国、突撃部隊最高司令本部。屈強な軍人たちが同席する中で相川の部隊は一番数が少なく、そして誰が来ようとも恐らく死ぬということで相川は最後に受験者を選択することになって暇をしていた。
『おいおい、最前線に女ぁ? 部隊間違えてんじゃねぇの? 舐めてんのかよ。』
『おーおー可哀想にねぇ。誰も選ばないだろうから悪魔の部隊に入って即座に地獄行きだ。』
『違いねぇ! 今回のはずれはあからさまだな!』
笑いながら選ぶ軍人たち。ここにいるのは策をめぐらせるタイプの職業軍人ではなく、武人たちのため、粗野な発言が飛び交う。勿論、そういったことに参加しない人もいるが半数以上が粗暴な輩だ。
『決まりましたか? それでは対面式の方に移りたいので、各部隊長はご自身の応接間の方に御移動願います。』
口々に相川の部隊に配属された人への哀れみや自らの部隊に来た奴が腑抜けだったら殺してやるなどと笑いながら話して去っていく武人たちが全員出て行ったあと、相川は結局自らの場所に来ることになった人名を見て溜息をつく。
「……さて、行くかね。」
そして相川も最後に席を立ったのだった。
「……まさかクロエちゃんと一緒のグループになるなんてね。」
「上官が女性好きの可能性が高いですね……セクハラを受けた場合は……殺したらまずいでしょうからどうしましょうか……」
『無駄口をたたくな!』
武術試験の本試験を受ける瑠璃とクロエは修羅の国正規軍の係員に怒鳴られて身を竦めていた。二人とも一応言葉はわかるので素直に声のトーンを人間の可聴域外にまで落とし、無唇術を用いて喋りだす。
「すっごい厳しそうなところだね……」
「そう言えば瑠璃、ここに来てから一度も口説かれてませんね。」
「快挙だよ……」
そう言いながら瑠璃は昨晩、相川に別れを告げたことで魅力が落ちてしまっているのかもしれないと本気で考えた。そこに瑠璃とクロエをこの場に連れてきた試験官が現れる。
「さて、受験者のお二人は準備はいいですか? 尤も、第十三番隊隊長閣下が来いと命ぜられたので準備が出来ていなくとも行かなければなりませんが……」
瑠璃とクロエは大丈夫だと応じる。それに対して試験官は表情を厳しいものに変えた。
「いいですか? 絶対に作法を間違えないこと。無駄口をたたかずに指令に従うこと。絶対に守ってくださいね。」
「はい。」
「はい……」
そう言われても変な真似されたら叩き潰すけどと思いながら二人は頷き、男の後に続く。ここまでの案内とは異なり、非常に緊張した動きに二人も緊張が移ってきた。
(どうしよ……思いの他大変そうな人なのかな……ひと、……いつまでも頼ってたらダメだけど……ボクはやっぱり……でも、頑張らないと……昨日ちゃんと言ったんだから……)
依るべき相手がいないことが不安に拍車をかけるが、瑠璃は腹を括って目の前を見据える。扉を潜ってからは周囲に目を向けることなく前を向き、檀上は一切見ずに事前に教えられた位置まで進んで跪き、声をかけられてから顔を上げる。
教えてもらったことを再確認しながら瑠璃はリハーサルの場所が目前に迫っているのを見てつばを飲み込んだ。そこで試験官が再度注意する。
「いいですか? これから始まりますが、何度も言うように合格不合格よりもまずは命の安全を確保してください。その為にはこの部隊においては隊長閣下に逆らわないこと。それが重要です。いいですか? 入ったら確実に教えられたことを行ってください。」
改めて念を押され、緊張する瑠璃に対し、クロエは緊張感を高めてくる煽りだなぁと冷めた目でそれを見る。それを了承と受け取ったのか、試験官は扉をゆっくり開いた。
(あれ……? この匂い……)
一瞬、香ってきた匂いに瑠璃は思わず顔を上げて周囲を見渡しそうになるが何とかそれを押しとどめ、クロエと一緒に前に進む。
(クロエちゃんの服の匂い……? 何か出発前にしてもらったのかな……いいなぁ……)
余計なことを考えながら目標の窓がある延長線上に着いた瑠璃は跪く。クロエもそれと並んで跪いたところで壇上から声がかかった。
『面を上げよ。』
瞬間、二人の顔が勢いよく上がった。その様子を見て試験官は思わず唾を飲み込んで勢いよく上げ過ぎだと内心で突っ込みを入れる。しかし、彼よりも酷い突っ込みが現場では生まれていた。
「え? 何で……?」
『発言を許可した覚えはないが?』
壇上の人物が睨むのは発言者ではなくここまで連れてきた試験官だ。彼は可哀想なくらい顔色を悪くしてじっとりとした脂汗を流している。
『……式典だ。発言は後にしろ……これより仮授与を行う。』
進行を重視した壇上の人物はそう宣言し、楽隊が盛大な音楽を鳴らした。それが終わると国への宣誓や祝詞を上げて佩剣の儀として今回は防具が授けられる。
その間の空気は完全に死んでいた。しかもそれが終わってからの食事会への移行でも全員が足音にすら気を付けての沈黙の饗宴となっている。
そんな中で空気を読まず……と言うより読んでも耐え切れずに瑠璃が口を開く。
「……ねぇ。何で仁がそこにいるの……?」
「ばっ⁉」
視線が瑠璃に集められる。質問を受けた相川はやっぱり正式な儀礼が終わったら完全機密事項扱いの内輪で集まった方がよかったかなぁと思いながら白を切ることにする。
『確かに私は仁と言う名を持つが……貴様は何のつもりだ?』
「え……? あ、ぅ……? ぼ、ボク……」
相川の冷たい視線に瑠璃は心臓を鷲掴みにされた気分になった。昨日踏ん切りをつけたと思っていたがあまりの豹変ぶりに瑠璃はパニックに陥って泣きそうだ。
「あの、仁だよ……ね……? ボクが知ってる、仁くん、だよね……?」
『……お前が私の何を知っている?』
「え? あ……優しい『生年月日か?』」
瑠璃が発言する前に相川が訪ねる。瑠璃はその問いに答えることはできない。
「お、教えてくれなかったじゃ『では、私の軍属歴か?』そ、そんなの、今初めて……」
『では何を知っているというのか。言ってみろ。クク……好きな食べ物でもいいぞ?』
その言葉に瑠璃は記憶を総動員して考える。これまでたくさんの食事を一緒にしてきた。相川が美味しいと言ったことも何度も目にしてきた。
それでも、何が好きかは一度も聞いたことがない。
瑠璃は自分が情けなくて泣きそうになった。そんな瑠璃に周囲の目は冷ややかなものだ。下手をすれば暗殺されそうなほど空気が刺々しい。
「あ、ぅ……」
『……まぁいい。上官としての務めを果たそうか。おい、懲罰室の準備だ。新人二人はついてこい。』
その言葉に安堵したのは試験官だ。このまま処刑される可能性が頭の中を締めており何を食べても味がしない状態から一気に血流が回復する。
「いいか。殺されても逆らうな。貴様らみたいな不出来な受験生は初めてだ……せめて迷惑をかけないように閣下の機嫌を少しでも良くしてから死ね。」
相川が懲罰室の準備のために目を離している間に二人を睨みつけるようにしてそう言った試験官はそう言い残して二人に懲罰室の場所を教えてその場を離れるのだった。