本試験 壮行会
「それじゃボクとクロエちゃんの試験合格祈願でかんぱーい!」
「……自分で言うんですね。乾杯。」
「そして俺の家なのな。乾杯。」
すぐに夏がやってきた。外はアスファルトから立ち上がる熱気によって一瞬、視界が歪んで見えるような猛暑に襲われているが相川の家は少し寒いくらいの温度となっている。
それはさておき、相川は明日から始まる本試験に向けて遊神邸で壮行会が行われているのに何故この場に瑠璃が来たのかについて酒を傾けながら瑠璃に尋ねた。
「何でお前の家でやらないの?」
「何か暗いから。みんな死んじゃった人にお祈り捧げたり泣いたりしてるの。」
「……あぁ、そう。」
瑠璃も若干壊れてるなぁと思いながら相川はもう一人の主役であるクロエの方を見る。彼女も視線に気づいて首を傾げた。
「どうかされましたか?」
「いや? 大人しいなって思っただけだが。」
「……流石に明日から戦争に行くのにそこの楽天家みたいに能天気にしていられませんよ……」
「別にボクだって能天気にしてるわけじゃないよ!」
即座に瑠璃が口を挟むがクロエの方はそれに反論することはない。相川としては魔闘氣が使える時点で傷がつくかどうかすら怪しい安全な戦闘にそこまで深刻な表情をされても微妙な気分にしかならないと思いつつ、初めてはこんな感じなんだろうかと元気な瑠璃の方をまた見た。
「むー……あんまり気にしたら怖くなっちゃうから気にしないようにしてたのに……」
「へぇ。」
「何なのさその気のない返事。ボクだって怖いことはいっぱいあるんだからね。」
「それは知ってる。」
二人ともそれ以降の口数が少なくなるのを見てこの二人でも緊張するんだねぇ……と思いながらグラスを傾ける相川。しかし、この場も暗くなっていくのを阻止するために瑠璃は新しい話題を相川に求める。
「あ、そう言えばアヤメちゃんは?」
「仕事。そろそろ終わるんじゃね?」
具体的には明日からまた相川が修羅の国で指揮を執るための準備だ。輸送物資や手続き、連絡などの最高決定者として今日は定時を無視して頑張っている。
「……それはそれとして、仁今日はお酒たくさん飲むね……」
「そうですよね。割と珍しい気がします。」
「……そうかぁ?」
そう言いながらもグラスを開け、新しく氷を入れる相川。そんな相川を見て瑠璃とクロエは目を合わせて頷いた。
「こんな時だけ仲良しだよなぁお前ら……」
「師匠、私たちは明日戦争に行きます。そこで儚く散るかもしれません。」
ないない。と相川は思ったが今は聞いてほしそうにしているので黙って肴を取る。クロエの言葉に続けたのは瑠璃だった。
「そうそう。だから今の内に思い残すことがあんまりないように楽しまなきゃいけないと思うんだよね! そう思わない?」
「……要するに?」
思い残すことがあるようだったら霊体になっていれば捕まえるけどと思いながら相川は話を促す。相川が二人から目を離して食事を摂っている間に瑠璃とクロエは無言で頷いた。
「「王様ゲームをしましょう!」」
「……この人数で? つーかやってほしいことがあるなら気分次第でやってもいいけど。」
思わぬ申し出に瑠璃とクロエは悩む。しかし、相川の性格上面と向かって頼むよりもゲーム性があった方がお願い事の範囲が広がるのだ。そこで試金石として瑠璃が相川に尋ねる。
「ちゅーは?」
「嫌だけど。」
「口移しは?」
「変わってないじゃん。嫌だよ。」
相川はこいつ酒飲んでいないのに酔ってるのかと胡乱な目を向けながら瑠璃の言葉を聞く。彼女は少し何かを考えた後、明るく相川に尋ねる。
「ハグは?」
「別にいいけど。」
「やった!」
喜んで相川が座っている上に座り、相川と対面状態になる瑠璃。そうなれば食事がし辛いだろうと判断したクロエからは別の提案がなされる。
「師匠、私は給仕係をしたいです。」
「……給餌だと? 喧嘩売ってんの?」
「では、机になりますので皿を持って隣に来てもよろしいでしょうか?」
「主役なのにそんな真似させないけど……」
少し食い違いが発生して諍いが生じたが瑠璃が相川の腕の下に手を回すことで相川の自由をある程度保証し、相川がクロエに食事を与えることでそれらは解決した。
そんな時間が過ぎ、大量にあった料理も残り僅かとなってきた時だった。不意に瑠璃がもぞもぞし始めて相川が警戒する。
「……トイレなら早く行けよ?」
「違うよ? 料理が少なくなってきて思い出したけど。ちょっと、ボクからも持ち込みがあったんだ……」
若干トーンダウンしている瑠璃の言葉に相川は違和感を覚えながらもせっかくだし出してみたら? と促し、クロエも見て確認する。彼女も頷いていた。
「……じゃあ、このクッキー食べてね?」
「むぐぅっ⁉」
相川の言葉を聞いて即座に取り出され、相川の口に運ばれたそれは瑠璃の手作りクッキーだった。何も知らない人であれば狂喜するその一品は瑠璃の料理スキルを知っている者からすれば狂気のものだ。
過去、遊神の嫉妬から呪いをかけられた瑠璃の腕は例え直前まで味噌を持って、それを鍋に入れたとしても気付けばホワイトソースに変わっているという料理の次元を超えた何かがはたらいている。
そんな彼女が作ったクッキー。しかも何故か綺麗な出来栄えできちんと甘い匂いがする。ただ、その甘い香りを嗅いだ時点でクロエの意識は朦朧とし始めていた。
「あぅ、急に眠くなって……」
瑠璃のクッキーの匂いを嗅いだクロエですら即座に昏倒したのに口の中にねじ込まれて直接摂取した相川に対抗できるのか。答えは突っ伏した相川から聞くことはできない。あまりの威力に瑠璃は自分のことながら苦笑しながら相川の頭を撫でる。
「ごめんね……面と向かって、きちんと言うには何か照れちゃって……ふふっ。そんなの嘘だろって言いそうだなぁ……」
先程までの朗らかな笑いとは異なる影のある笑いを浮かべながら瑠璃はしばし無言で何か逡巡した後、静かに相川の頬にその花唇を落とした。
「……さようなら。」
そう言い残して瑠璃はこの家の鍵を取り、出て行って施錠するとドアポストに鍵を投函してそのまま自宅に戻っていった。それを聞き終えて相川が体を起こす。
「……意味わからん。寝込みを襲うなりするのであれば悪意の花を咲かせることが出来たんだが……そうしてくれた方が後々楽だったんだけどねぇ……」
言いながら相川はドアポストに入っている鍵を回収し、眠っているクロエを抱えてソファに寝かせてタオルケットをかける。
「さて、明日もお勤め頑張らないとねぇ……」
伸びをした相川はあくびを噛み殺しながら明日のために早々に眠ることにしたのだった。