結果論
「ゲームねぇ……」
『ボクが勝ったら仁くん何でも言うこと聞くって言ったよ! 実現可能な範囲でちゃんと聞くだけじゃなくて実行してくれるって!』
「……因みにその仁くんとやらは?」
『質問の意図が分かんない……仁くんが誰? って言う意味で訊いてるみたいだけど仁くん、もしかして記憶喪失にでもなったの……?』
記憶喪失なのはお前だと突っ込みを入れてもよかったが、変に記憶を取り戻されても困る相川は沈黙を以てそれに応対する。現状としては11歳児の精神を持った瑠璃さんは何故か成長した相川のことをそのまま認識できているらしく、催眠状態に戻そうとしてもゲームをクリアするまでは言うことを聞いてくれないようだ。
「……困った。」
『ところでさ、ボクの身体を見ると少なくとも3年以上は肉体年齢が経過してるみたいだけどボクって今幾つなの?』
「……催眠にかけられている認識がある状態で……いや、これもう催眠じゃねぇな……何か別の何かだ。質問の答えなら16だ。」
「るーっ!」
相川のその返答を聞いた瑠璃は目を輝かせて急いでスケッチブックに文字を書き込み、書き終えたと同時にペンの蓋を閉じることもなく相川の前に押し出した。
『じゃあ結婚できるんだ!』
「まぁそうだな。」
『うふふ……楽しみ……』
一瞬、目の中に暗い光がともった瑠璃を見てアヤメはこの人本当に危ういよなと思いながらコピー用紙を切ってスケッチブックの予備をもう一つ作っておく。
「……さて、そろそろ埒が明かないからゲームは一旦休憩にしようか。」
『ダメです。』
「わかった。じゃあもう瑠璃の勝ちでいい。」
「やぁっったぁっ!」
飛び上がって喜ぶ瑠璃。全身に躍動感を巻き付け、胸を弾ませながら瑠璃はびっくりして瑠璃の方を見上げていたアヤメの手を無理矢理取って踊り、跳ねる。
「結婚だ結婚! 仁くんをボクのにするんだ!」
「……? あぁ、思い出したわ。あの時のね。」
瑠璃の発言で相川はゲームの内容とその当時を思い出す。その頃の瑠璃は梵の結婚式に行ったことで綺麗なドレスを着たい、結婚式に出たいと思っていたんだったと解釈しながら相川が頷いているとアヤメから手を離した瑠璃が至近距離に来ていた。
「はい、結婚しましょ!」
「瑠璃? 16歳同士じゃ結婚できないから諦めろ。」
「大丈夫! 婚約は出来る!」
「じゃあ16歳関係ないじゃん……で、あの時言ってなかったか? 結婚は本当に好きな人とだけしかできないから、俺じゃダメって。瑠璃が本当に好きなのは俺じゃないでしょ?」
「……?」
首を傾げる瑠璃とその場に放置されながらも何を言ってるんだろうこの人はと相川を見上げるアヤメ。微妙な空気の中で最初に口を開いたのは瑠璃だった。
「……ボク、仁くん好きだよ……?」
「そういうのじゃないんだよねー……ん~説明が難しいけど、瑠璃の俺に対する好きってのはこの道具使えるからお気に入りって感じでしょ?」
「……? え? どういうこと? 違うよ? 何言ってるの?」
「何だテメェ、使えねぇなとか思ってたのか。」
(兄さま……何か全体的に違います……)
そう思うアヤメだが余計なことは口に出さない。アヤメからすれば別に瑠璃と相川には仲違いをしてもらっていても一向に構わないのだ。
「使えるとか、使えないじゃないよ? 好きってそういうんじゃないし……」
「それ以前の問題か。じゃあやっぱり違う。」
「……何でそんなこと言うの?」
相川に取り付く島もないほど完全否定されてムッとする瑠璃。そこで彼女は不意に彼女の母の教えを思い出す。
(……あ、ボクのことをまだ仁くんは好きになってないんだ……好きって言うのがどういうのかわからないんだね……?)
「何でそんなことを言うのかって言われたら……そうだな、取り返しのつかないミスを瑠璃が犯そうとしてるからかな。」
勝手に話を進めている相川を瑠璃は無言でじっと見て鋭く息を吸い込んだ。過去、彼女が物心つくかつかないか程度の頃に彼女の母親から教えられながらも即座に使用を禁じられた奥義を使うためだ。
「【魅了】、全開!」
「瑠璃⁉ 何を……」
至近距離で喰らった相川は思わず絶句してその場に崩れ落ちる。
「兄さま⁉ っ! ひゅ、りゅ、りゅりしゃま……あ、う……」
その場で崩れた相川を心配して駆け寄ったアヤメも瑠璃の行動に警戒するために瑠璃を振り返って一気に上気し、思わず漏らした。その一部が相川にかかるが相川はそんなことを気にしていられない程瑠璃の方に思考リソースを奪われている。
「……えへっ? ママ、これは絶対やっちゃダメって言ってたけど……うん。仁くんはちゃんとボクのこと見ても正気だね。よかったぁ……」
「……正気じゃなくなってたらどうしてくれてたんでしょうねぇ……!」
「勿論、死ぬまで面倒を見てたよ?」
一瞬、それもいいかもしれないと考えてしまった時点で自身が正気であることを疑う相川。それは迷い用もなく異常事態だった。
(いかん、瑠璃から目を逸らせない……いっそアヤメみたいに気絶できれば……!)
自らが作り出した池の中に浸りながら「にぃにと瑠璃様らいしゅき」などと譫言を呟くアヤメに一瞬だけ思考を向けるが瑠璃が相川の頬にその嫋やかな手を添えた瞬間に他のことが頭から消え去る。
「ねぇ、仁くん……ボクと、結婚しよっ?」
「がっ……は……」
(……計画用の魔素を全部集めて他所の世界を潰す勢いで名目上の再統合を行って相手方から魔素を引きずり込めば、この世界でも魔術は使える……あの手を使えば遊神さんは一回だけだが封じられる。瑠璃との結婚に障害は……)
そこまで考えてしまって相川は自らが瑠璃との結婚も悪くないかもしれないと思考が向いている事実に気付いて思いっきり拳を頭にぶつける。
(死ね俺! 自害しろ!)
世界の敵、滅ぼされるべき悪の自認を持ち直す相川だが、頭に叩き付けた手を瑠璃はそっと握った。
「駄目だよ? ちゃんと自分を大事にしないと……」
「る、り……お前、ちょっと、やめ……」
「む? …………ボクの魅力がまだ足りないのかなぁ? ボクじゃダメ?」
(魔素もないのに空間に悲鳴を上げさせて何か新たなモノを生み出そうとするくらいの魅力で何を言ううんだこいつ……)
「……お願いします。どうかボクを選んでください……」
「あ、ぐ……」
「あなたの全部をくださいとは言いません。少しでいいからボクに心を向けてください。お願いします……お願い、だから……」
「泣くな……」
その時だった。突如として部屋に響き渡るかのように相川の携帯が鳴った。その瞬間に瑠璃はそちらを反射的ににらみ、相川は思考にゆとりを持つことに成功する。
「【黒魔王の封陣】!」
「えっ? きゃっ!」
相川は瑠璃の横顔、目の少し下に指先で触れてそこに何かを生み出す。
「な、なぁに……?」
「……魅力封じの術式だ。安心しろ。俺以外には見えないし、俺から見てもせいぜい泣き黒子程度にしか見えん。……ただ、今みたいな手は使えんがな。」
「……ぶー」
「だからもうそのモード止めて。今日だけ瑠璃の我儘大体聞いてあげるから……」
「わかったよ……」
事実上の敗北宣言を受け取って瑠璃はそのモードを解除した。それを横目で見ながら相川は今日のMVPの連絡を見る。
(……えぇ。奏楽を救出しに行った遊神一門全滅……? それに追われて死んだ奴らの補償金の一時金として遊神さんが瑠璃の金を使い込むだと……)
やっぱりズルはいけないよね。実力で愛を勝ち取らないとなどと呟く瑠璃のことを放置して相川は遊神家のあまりの酷さに嘆息する。
「瑠璃……? あれ?」
気付くと瑠璃はその場に倒れていた。相川がもう少しでアヤメの作ったお池で水遊びをする羽目になりそうな瑠璃を抱えてベッドに寝かせると彼女は身動ぎして目を覚ます。
「う……看護師さん……? 私は一体……」
「……約束は約束だからなぁ……さて、我儘プリンセス。本日の終了時刻まで後1時間だが何かお願い事はあるかな?」
その日の12時。瑠璃は魔法使いの手を借りてようやく悪夢のような日常から脱出することに成功した。