気弱な病気
「……真愛様、瑠璃ちゃんが強硬策に出てから1週間……どうなさるおつもりですかぁ?」
「放置よ?」
瑠璃が記憶を失ってからの初邂逅を済ませて1週間が経過した桐壺グループ傘下のあるホテルにて二人の少女が会話をしていた。一方は今を時めく超有名アイドル「すうぃーとでびる」の一人であるノア。そしてもう片方はグループ全体の総売り上げが80兆を超す財閥の娘、桐壺 真愛だ。
「仁さんたちには私たちの動きを掴まれてるようですけどぉ……」
「当然ですわね。少なくともあの方は自分を殺せる相手から警戒を怠ることはありませんもの。」
暗に瑠璃が特別というわけではないと告げて、ふと真愛は思い直して苦笑しながら付け足した。
「いけませんわね。あの方と遊神さんは友人ですからきちんと守ってあげていると言わなければ……」
余裕を見せている真愛に対してノアは面白くないようだ。そんな彼女に真愛は確認のように告げる。
「……妙な考えは起こしていませんよね?」
「えぇ……あの時の【反憎禍僻嫌】の恩を忘れてグループに不利益なことを起こそうなんて……」
誰もそこまで言っていないのだけど? こちらはわざわざ口に出さずに真愛は冷たい、絶対的な支配者の視線だけで伝え、会話の上では明るくただ確認が終わっただけの様に続ける。
「でしたらいいんですの。さて、あの方はどう出られるでしょうか……」
「私は、お仕事に行ってきますねぇ……?」
真愛の呟きにノアは今やっているような裏の仕事ではない表の仕事に出ると言って退出する。残された真愛はこれから会見を行う相手の著書にざっと目を通しながら計画を練るのだった。
所変わって、遊神邸。瑠璃の部屋の前ではその巨体を少し小さくしながらこの家の主たる遊神が優しくその扉をノックしていた。
「瑠璃……そろそろ出てきたらどうなんだ?」
「怠くてベッドから出たくない……」
「……せめて食事くらいは、いやジュースでも飲んだら……」
「要らない……」
元気のない瑠璃の返事に遊神はそのいかつい肩を落として持ってきた食事を扉のすぐ隣に置いておく。因みにだがその食事も御多分にもれず、しょっぱい。
「一応、雑炊を置いていくが……病院、行くか……?」
「行っても意味なかったじゃん……」
「そうだが……」
扉越しに行われる会話。遊神はどうしたらいいのかわからなかった。しかし、遊神にはこれまで自分に頼ることなくすべてこなしてきた瑠璃、彼に残された一人娘を何とかしなければならないという気力はあふれている。
「もう疲れたから寝るね……」
「わかった……」
しかし、やる気があるだけで解決すれば世の中に問題など起こらない。遊神は何の処置もできずに大人しく引き下がらざるを得なかった。その気配を部屋の中で見送って瑠璃は溜息をつく。
「……はぁ。私、どうしちゃったのかなぁ……もうわかんなくなっちゃったよ……」
原因不明の衰弱、そして体温の上昇に苛まれる瑠璃は霞む視界から逃れるために目をつぶり、眠ろうと意識を集中する。それによって逆に眠気は遠ざかった。荒い呼吸は無理やりにでも意識を覚醒に向かわせており、彼女が休むことを許さない。
「どうして私ばっかりこんな目に……」
記憶がなくなったと思えば知らない人に攫われかけたり不法侵入されたり、内容も教えてもらえないまま変な計画に誘われたり、病気になったり。そして決まってこういう時には何かの影がちらつくが意識して霧散し、それにより更に心が衰弱する。
そんな瑠璃を見ていられなかったのは遊神ではなく、翔の方だった。彼は瑠璃の部屋から戻ってきた遊神の報告を受けて物も言わずに安心院の病院に駆け込んでいく。
「安心院先生はいませんか!」
「あの、もう少し落ち着いてください。どうされたんですか?」
「瑠璃さんが……」
受付で窘められ、更に休憩時間まで待たされることしばらく。重大な疾患が見つかった時の様に落ち込んでいる翔の下に看護師がやってきて安心院の下まで案内してくれた。
「食事を摂りながらになるけど悪いね。それで、どうしたのかね?」
「瑠璃さんが……」
翔は現状を余すことなく伝える。しかし、興奮しきっているそれは決して聞き取りやすいものではなく更に言えば既に診察を行った安心院の知るところ以上の情報は得られなかった。
「ふむ。栄養剤にも手を付けられないのか……」
「何とかならないんですか……? 僕はもう、本当に見てられません……」
拳を握り締めて涙を流す翔に安心院は非常に気が進まなさそうに告げた。
「一つだけ、何とかできそうな方法を知ってる……」
「それは「ただ!」……」
希望の声に顔を上げた翔を安心院は即座に制した。
「私としては、任せることに非常に抵抗があってね……腕はあるが、医師としての心構えがない。少なくとも私はあれを医療関係者とは呼びたくない。」
「……ですけど、瑠璃さんは助かるんですよね……?」
「……そもそも、彼女のあの症状は一過性のものだと聞いているんだ。」
翔の質問にできる限り安心できそうな言葉を連ねる安心院。しかしその顔は苦渋に染まっている。食事を終えてもその押し問答は続き、やがて翔の熱意に押された安心院は絞り出すように呟く。
「……私とて、医師だ。患者の為になるなら……それに越したことはない……」
「でしたら!」
「あぁ、仕方あるまい……私たちの持てる全てのことを投げうち、彼に頼み込むとしよう……彼はいくつかいる場所に候補があるからね。一緒に探そうか。」
「はい!」
安心院はそう言って翔にその何とかできる存在の場所と名前を教える。その役目が終わると彼は長時間に及ぶ手術を終えたかのように天を仰いだ。
「……医は仁術。彼にとって、私にとって……何て皮肉な言葉だろうな。」
「お願いします! ここに腕のいいお医者さんがいると聞いてやってきました!」
「……看板見てもらえませんかねぇ? これ『おしょくじどころ』って読むんですよ。」
安心院から地図を渡された翔が駆け込んだのはつい先週瑠璃が来たばかりの相川の店だった。
「……先週は変なのが来たから今日は早く来たらまた変なのが来たか……」
「あっ! 相川君……こんなところで何を……?」
「厨房に入ってるのを見ながらその問いはねぇだろ。料理だよ。」
絶句する翔の目に映る相川の手には血まみれの人間がある。それを料理するのであれば翔はこの店を保健所に訴える必要が出てきそうだ。
「しゃちょ、瑠璃ちゃんを治してあげたら……」
「嫌です。お前はいいからさっさと頭から桶の中に突っ込んで薬落とせ。ついでに水飲め。」
「がぼっ! るくぶくぶく……」
血まみれの人間はどうやら生きていたようだ。そんなことよりも翔にとっては聞き逃せない一言があった。
「い、今その人……」
「あん? こいつ俺の薬盗もうとして失敗して毒被ってやがんの。減給処分に下すのにもまずは生きておかなきゃ「そうじゃなくて!」……さっきから何なの?」
「あ、相川君って、仁さんでしたか……?」
「……あぁ? それがどうした?」
その返事を受けて翔は無言で安心院に電話をかけ、相川はいいから出て行けと店長を水の中に突っ込んだまま彼を蹴り出すのだった。