引っ越し直前
引っ越しの日前夜になった。相川は筋肉痛の為今日の筋トレはしないことに決めてギミックも弄らずに眠ることにする。
(あ~長かった……ここに来てまだ1ヶ月くらいしか経ってないけど……まぁ俺が生きてきた時間的にはかなりの割合を占めるな。っ!)
相川は扉の前に誰か来たことで警戒度を高める。だが、ノックされた時点で相手が瑠璃だと分かったのでその警戒度を少しだけ下げてノックに応じる。
「どうぞ。」
「……うん。……今日は、機械ないね……」
「明日引越しだからな。」
瑠璃のポケットが不自然に盛り上がっているのを見て相川はそれを瑠璃に気付かれないように注視する。
(ロープか……? 絞殺でもする気かね……)
物騒な奴だな……と相川は自分の思考を棚に上げて瑠璃を招き入れるとベッドに押し倒された。
「添い寝か……?」
「うん。」
「……まぁ、今日が最後だし。いいけど……」
「うん。」
今日は相川も早目に寝ることにしていたので別にいい。ただ、何故か瑠璃の目が爛々としているのが気になる。
(敵意はない……害意も。悪意は……悪意は微妙にあるな。何だ? 引っ越される腹いせに悪戯でもしようってか……?)
相川がそんなことを思いつつベッドをもぞもぞと動いて端によると瑠璃もくっ付いて来る。これが夏だったらキレてたんだろうな~と思いながら相川は瑠璃が眠るのを待った。
そんな相川に対して、瑠璃はしばらくしても寝なかった。
(寝ない……)
瑠璃は目を閉じて相川の様子を窺っているのだ。右手は相川の上に、そして左手で持って来ていたロープを身体の下に敷いて機を窺う。
(やっぱり、行っちゃ、ヤダよ……)
瑠璃は相川を拘束して自室に連れて帰り、引っ越しをさせないようにしようと思って来ていたのだ。
(瑠璃、良い子にするから、今回だけちょっとだけ悪い子になります……ママ応援して……)
応援してはいけない案件だろう。しかし瑠璃はダメだと分かっていながらも止められなかった。どうしても嫌だ。
ただ、悲しいかな。瑠璃の強烈な想いだけでは日頃夜更かしをしてそれが習慣になっている相川と、基本的には良い子の瑠璃の起きていられる時間の差は覆せなかった。
瑠璃は自分でも気付かない内に眠ってしまった。それを見て相川は息をつく。
(やっと寝たよ……取り敢えずロープは没収だな……このお子様は何がしたかったのかね……)
天使のような寝顔を見て相川は上体を入れ替え、ロープを勢いよく、テーブルクロスの要領で引っこ抜いて瑠璃と向い合せの状態から仰向けになる。
(あ~やっとこんな寝苦しいのも終わる……)
「ぇへ……いっしょ……」
瑠璃は笑顔だ。何か楽しい夢を見ているのだろう。瑠璃の眠りが深い物に変わる頃、相川も眠りに就いた。
「……んぅ……? あ! よかった……ロープ、ロープ……お引越しダメ……」
翌朝、早朝に瑠璃が目を覚まして現状を一瞬で把握すると彼女はまだ目を閉じている相川を見て拘束を試みるがロープがない。
ロープを探していると相川はすぐに目を覚ましてしまった。
「うぅ……お引越し、ヤダよぉ……ロープどこぉ……?」
「……? ……あぁ、そういう……」
「行っちゃヤダぁ……」
相川は何のことか分からなかったが少し考えて昨日の瑠璃のロープと意味が結びついて瑠璃の言葉の意味が分かり、頷く。
「……ふぁ……取り敢えず、稽古行ったら……?」
「仁くん、瑠璃のお部屋に付いて来て……! あ、おトイレも付いて来て……」
「二度寝するからヤダ。」
「……二度寝するなら、絶対部屋から出ちゃダメだよ? 勝手に居なくなったらダメなんだよ?」
「……ま~まだ出ないよ。うん……」
現在の時刻は朝の4時30分くらい。外はまだ暗く、少しだけ白み始めているが相川は眠たい。
「出ちゃダメだよ? 約束だよ? 約束破ってどこか行ったら、縛ってかんきんするからね?」
「……どこでそんなことを覚えたのか……」
「ママに教えてもらった。」
何教えてんだあの人……相川はそう思ったがどちらにせよ朝稽古が終わる時間。7時ぐらいまでは寝たいので約束など関係なしに寝る。
「まぁ、寝るからそれでいいよ……」
「絶対だよ? 瑠璃、行って来るからね?」
何度も念を押した瑠璃はそう言って素早く相川の部屋から出て行った。早めに稽古を終わらせたいのだろう。ただ、相川の方は瑠璃のあまりに必死な様子を見てベッドで少し考えさせられていた。
(……あんなに止められるとな……)
眠いことは眠い。だが、瑠璃の先程の姿を思い出すとどうしても頭をよぎる考えがある。
(……逃げたくなるよなぁ……フリにしか思えない……どうしよう?)
眠気と好奇心が戦いを始める。相川は決めた。
(……よし、次に目が覚めた時間で決めるか。)
そして再び微睡の世界に入って行くのだった。
相川が次に目覚めた時間は6時40分ごろ。瑠璃が走って戻って来たことに気付いて目が覚めた。
「いた! よかったぁ……」
「……眠いから出て行って……」
「うん。一緒に寝よ?」
瑠璃はベッドに潜り込んでくる。相川は汗臭いから入って来るなと言おうとして無駄にいい匂いなことに気付き、沈黙した。
「じゃない。瑠璃はどうして俺にそんなに構うのかな?」
「え~? 好きだからだよ~」
「なら、奏楽の所でもいいんじゃないか?」
「それとは違うの~えへへ、大好き。」
(何嬉しそうにしとんねん我カスコラァ。こちとら眠いんじゃ。)
いつもより密着度を上げていますと言わんばかりの瑠璃。相川は三度寝を諦めて起きることを宣言する。
「起きなくていーよぉ……」
「永眠しろと?」
「えーみん?」
通じなかったので脱力。しばらく為すがままにされる。
「きゃー♡」
放置することに決めた相川に対して瑠璃は何かテンションが上がって来たらしい。相川を抱き枕にして転がり始めた。
「……苦しい。」
「瑠璃もー」
「じゃあやめろよ……」
「ちゅー」
「!?」
頬に柔らかい感触。驚いて相川がそちらを向くと瑠璃の顔が布団と相川の顔に挟まれた。
「何故、今……」
「えへへ~瑠璃マーク。瑠璃の!」
「いや、俺は俺の物であって他の何人たりともに所有権、所有権から派生する一切の物権を譲る気はないんだが……」
「? 何言ってるの?」
相川も混乱しているし、瑠璃も相川が何を言っているのか分からない。しかし瑠璃は瑠璃なりに解釈したようだ。
「あ、キスマーク付けるくらい強くしないとダメって?」
「吸引性皮下出血は嫌だ。内出血と同じだからな?」
「……分かんないからちゅー」
瑠璃は楽しいらしい。超笑顔だ。何故、今までしてこなかったのか不思議だと言わんばかりの顔をしている。
相川は冷静な顔で混乱している。キスマークはロストワーズ的に日本語であって、本来はlove bite、もしくはhickeyと発音するから引き籠りは恵まれているとか意味の分からないことを考えるくらいには混乱している。
この後瑠璃に特定人物への空前のキスブームが訪れ、奏楽を完堕ちさせたり遊神は嫌がられて傷ついたりするが、最終的に相川だけが執拗に標的とされることになるのは別の話として置いておく。
今回の相川は一先ずフロイトの乳幼児期における性愛の一種で深い意味は一切ないということで済ませた。
「瑠璃タコさん。」
「……タコさんごっこ! わーい! 仁くんを捕まえてちゅーするぞー!」
「いやいいから。8時にゃ迎え来るんだよ……」
「行かせないもんねー」
この後様子を見に来た遊神によって何故か相川が怒られる。遊神が傷つくのはもうすぐだ。