爪痕
外道魔王との激戦の後の昼下がり、相川は瑠璃と外道魔王の弟子の戦いによって爆発したビルの跡地であるいわくつきの土地の地下に作った秘密基地で目を覚まして時計を見た。
(丸3日寝てたか……)
現在自らが浸かっている回復用のカプセル内部でそう考えた相川は少し自分の身体を動かして痛みがないかどうかを確認したのちにそのカプセルを開いて外に出た。
「ふぅ……思いの他ダメージが大きかったな。魔素食ってたから気付かなかったが危うく死ぬところだ。」
久し振りに使う声帯の確認も行いながら相川はメールなどの連絡を確認し、膨大な数のメールを削除していく。
(……アヤメめ……全部のメールに少しずつ仕事の内容入れてくるとは小癪な……)
一部はそのまま削除することはできなかったが、大多数を削除した相川は治癒だけした鈍り切った体を動かして整える。
「さて、まだ目が覚めてないらしい瑠璃のところに行ってやるとするか……」
一通りの作業が終わった後、相川は未だ目が覚めていないらしい瑠璃の下へ治療に出かけるのだった。
例によって安心院の経営する病院に運び込まれていた瑠璃の下に相川は誰にも見つからないように侵入する。そこにいた自らの会社の社員と入れ替わるようにして病室に侵入した相川はベッドの上で眠っている瑠璃に近づいて観察する。
「……身体的には、まぁそこまで問題はないな……あ、起きる前に【黒魔の卵殻】を準備しておくか。」
肉体の損傷はそれほどでもないが、脳が結構痛手を被っているらしい。ただし、それは命に係わる怪我というものではなく、機能的な問題のようだ。色々と調べている相川だったが、不意に意識の覚醒を感知して少し離れる。どうやら、お目覚めのようだ。
「ぅ……ここは……?」
「病院ですよ?」
目覚めと共に周囲を見渡し、警戒する瑠璃を見て相川は違和感を覚える。
「……看護師さんですか? どうして私は病院に……」
「……ほう。記憶が……担当医を呼んできますね?」
「あ、お願いします……」
違和感は決定的なものになった。しかし、相川は動揺することなく対応策を考える。それは少し前までの瑠璃であれば気付けた程度の取り繕いようだが、不安そうに周囲を見渡す瑠璃では全く気づかない。
そんな彼女に背を向けて病室を立ち去る相川は退出前に振り向いて瑠璃に普段の邪悪さのかけらもない笑顔で告げた。
「さようなら。お元気で……そうだね、君の前途に幸せあれくらいは付け足しておこう。まぁ、世界の敵に言われても意味ないかもしれないが……」
「……? はい……」
突然の言葉に瑠璃は意味が分からないと首を傾げながら応じる。その後、相川は一度も振り返ることなく安心院のいる場所に足を向けた。
「……君かね。来るなとは言わないがせめてアポイントくらいは取ってくれないかね? 私も暇ではないんだ。」
相川が訪れた瞬間に浮かべた不機嫌さを掻き消し、嫌味一つで表面上の関係相応の表情を浮かべる安心院。そんな彼に相川は単刀直入に告げる。
「瑠璃が目を覚ましました。命に別状はないでしょう。ですが、記憶喪失です。」
「……記憶喪失?」
意識不明でこちら側の処置が万全であっても目覚めない瑠璃が相川が来たらすぐに起きるという点についてはもはや指摘せずに安心院は後半の内容について尋ねる。
「はい。私のことだけ忘れたのかもしれませんが、恐らくはそうでしょうね……」
「それで?」
どうせ君が何とかするんだろう? と言わんばかりの安心院の興味のなさそうな切り返しに相川は入室時から変わらない愛想笑いを浮かべつつ答える。
「上手い具合に私の記憶を戻さないように治療をしてもらおうかと。」
「……私には君が何を言いたいのかよくわからないのだが、その言い方では君は彼女の治療をする気はないのかね? それは何故?」
「いや、私元々医者じゃないですし……」
「それこそ今更だろう。まさか、面倒くさくなったから捨てるとかじゃあるまいね? そうだったら私は君のことを軽蔑するが。」
(何を言ってるんだか……心中じゃ俺のこと殺したいほど嫌いな癖に。何となく嫌いが理由ある嫌いになるだけで俺にとっちゃ大して変わらんな。)
内心で笑いながら相川は安心院に伝える。
「まぁ、理由はたくさんありますが、大きく3点。まず一つ目はそろそろ私はこの世界からいなくなりますからね。記憶がなくなったのなら忘れるに当たって丁度いいんじゃないですか?」
「……どういうことだね?」
「どういうことも文字通り、後2年もすれば私はこの世から姿を消すというだけの話ですが。」
嬉しいことだろう? と無言で伝える相川。安心院も否定しなかった。それを見て相川は続ける。
「二点目。私と一緒にいることは彼女にとって不幸であるという点。これは言わなくてもわかると思いますが?」
「……続けたまえ。」
「三点目。拗れてしまった遊神家の家庭環境において言い方は悪いですがリセットできるなら一度それを行った方がいいということ。」
母親を失って一番きつかった時期に妻を失った悲しみの挙句に八つ当たりのようなことをしてしまった遊神。その溝が他の門下生たちによって深まり、父親である自分に頼らずに自らと他人に頼る瑠璃に苛立ちが募った結果修復が難しくなりつつあった。それがリセットされるのであれば今度こそいい関係を築けるようになる。相川はそう告げた。
「まぁ他にも酷い記憶ばかりだったりするんで新しい人間関係構築のためにはないほうがいいかと。」
「……言いたいことは分かった。だがそう簡単に……」
「大丈夫ですよ。世界は俺のことを嫌っているんで。みんな俺がいなくなるように協力してくれますし、瑠璃は世界中に愛されてますから。……まぁいろんな意味で。」
笑う相川に安心院は難しい顔をしながらも中立な立場であり続けようと心掛けている自分でさえ相川には嫌悪感を抱き、嫌がらせをすることに前向きであるのを鑑みて頷いた。
「……私は医者だ。患者のためになるのならそれでいいだろう。」
「では、後のことはよろしくお願いします。それから、瑠璃に餞別として幾つか送っておきますので上手い事渡しておいてください。」
「わかった。やるからには徹底しよう。君も、私も。」
念を押すかのように付け足された言葉に相川は笑いながら応じてその場から退出する。安心院もすぐに行動に移した。
「あ、もしもし? 俺だけど瑠璃の財産を全部戻してやって。」
『すぐにですか?』
外に出た相川は社員が運転する車に乗って病院から離れながら電話していた。相手はアヤメだ。
「おう。すぐだな。」
『あの、今回の代金をまだ徴収して……』
「俺が払う。あ、そのついでに奏楽の居場所も遊神家に伝えておくか。」
『……何故ですか?』
流石に大盤振る舞い過ぎるとアヤメが不信感を抱くと相川は笑いながら応じる。
「何、餞別だ。これくらいはあげておかないとな。」
『餞別?』
「あぁ、あいつ記憶喪失になった。生活には問題ないが少なくとも俺のことは忘れてるみたいだ。これを機に縁切りしようと思ってな。」
『……わかりました。すぐに手配します。』
「よろしく。」
通話終了。それと同時にアヤメは小さくガッツポーズを決めるのだった。
「じゃ、船着き場までよろしく。」
「畏まりました。」
そして相川は魔素の籠る島にて修行としてオロスアスマンダイドの削掘を行っているクロエと犬養の下へと向かうのだった。