独り立ち準備
「……そうだな……」
相川が考え始めたのを見て瑠璃はもっと自分に何かできないか考える。最近、甘え過ぎていた自覚は少しだけ無きにしも非ずの瑠璃は相川が嫌がることを思い出してそれを口に出すかどうかよく考えた。
(仁くん、添い寝イヤって言ってた……でも、瑠璃……それはしてほしい……このまま止めてくれないかな……)
これは瑠璃にとって最終防衛ラインらしい。毎日遊ぶのは大前提だ。そんな瑠璃の内心など知る由もない相川は遊神に質問を受ける。
「そもそも、相川……何故お前は引っ越しを? 瑠璃の添い寝と言う素晴らしい栄誉を毎晩得ているのに。」
邪魔だから居なくなるならいいやと理由など捨て置いていた遊神が根本的な質問をした。それに対して相川は自らも確認するかのように告げて行く。
(まず俺はその光栄らしい添い寝自体嫌だ。寝る時は1人がいい。って言ったらキレやがるからなこの脳筋。)
「……まず、その添い寝だけど……俺にとっての活動時間は夜なのに瑠璃が来たら作業がやり辛い。そして朝、瑠璃が起きるから俺も寝不足状態で一回起きる羽目になるし、稽古が五月蠅い。その上、冷めた食事を一人で摂ることになるしその食事も瑠璃に監視されてる。」
相川は頷いて結論を言う。
「要するに生活リズムの不一致。無理。……うん。やっぱり無理だわ。引っ越さないと!」
瑠璃は相川が行ってしまうことを考えるとまた泣きそうになる。そしてぐるぐるした頭のまま、言いたくないが言った。
「ど、どうしても……瑠璃と添い寝……ヤな時は……瑠璃も、がまんする……」
本当に言いたくなさそうに服の袖を握って言った瑠璃。相川は溜息をついた。
「いや、だから……」
「瑠璃も、がまんする……!」
「はぁ……」
相川は成長を見て涙する遊神と大人になれよと言わんばかりの高須の視線にもう疲れて瑠璃を舌先三寸で丸め込むことにした。その為に少し別室に瑠璃と一緒に移動して念のために小声で瑠璃の形のいい耳に顔を近付けて話す。
「やん。」
嬉しそうな瑠璃。相川は自意識過剰な台詞を言うのに反吐が出そうになるが背に腹は代えられないのでまずは瑠璃に確認を取る。
「瑠璃は何で俺が引っ越すの嫌なの?」
「一緒じゃなきゃ、いや。」
ホールドされる相川。そう言えば奏楽の姿を見かけていないなと思いつつ瑠璃の説得を開始した。
「引っ越しても会う時間はあんまり変わんないよ?」
「え……?」
瑠璃は初耳だと言う視線を相川に向ける。相川は若干誇張して告げた。
「朝は幼稚園で会うだろ? そして、瑠璃が俺の家に稽古の時間まで遊びに来たら大して変わんないんじゃない?」
遊びに来るのを許可するとは言っていない。そんな相川の言葉の裏を取らない瑠璃は表面の話だけ受け取る。
「でも、夜……」
「さっき添い寝我慢するって言ったでしょ?」
「でもぉ……」
いやいやする瑠璃。相川は勘違い野郎は死んだ方が良いと思いながら瑠璃に更に声を落として告げた。
「俺の家なら、遊神さんいないから瑠璃と色んな遊びできるよ? 蓑虫ごっことか。」
「ミノムシごっこ……」
ミノムシごっこは布団の中や押し入れなどの狭い空間で密着して抱き締めあう遊びだ。同じような遊びに蛹ごっこもある。
相川は別に楽しくないが瑠璃はこれが大好きだった。遊神が不純だからという理由で家の中でさせなくなった日は相川が宥めても遊神と口を利かなくなるくらいには好きだった。
ただし、出来るとは言ったがするとは言っていない。
「……仁くんからぎゅってしてよ……?」
「はい。」
「ぅえへへ……」
瑠璃に抱き着かれたままだったのでこちらから力を入れると瑠璃は嬉しそうに更に力を入れて来る。もう一押しだ。
「……じゃあ俺の家には遊神さんみたいに禁止しないでお菓子いっぱい置いておくから引っ越してもいいかな?」
「………………瑠璃、がまんする……」
「いい子だ。」
「えへ~」
置いておくとは言ったがあげるとは言っていない。相川は完全勝利した。幼子を騙していて罪悪感はないのかと誰かの声が聞こえるが自分も知識以外は幼子だとセーフ判定を下すと瑠璃を連れて元の部屋に戻った。
「ど、どうだった……?」
部屋に戻ると高須が開口一番そう尋ね、泰然自若としているように見える遊神も興味津々でこちらの様子を窺う。
相川が瑠璃を前に出して発言を促すと瑠璃は言った。
「瑠璃……がまんする……」
部屋の空気が弛緩する。高須も遊神も瑠璃を褒め、相川は何故自分ばかり割りの悪い目に遭わねばならんのだと思いつつ引っ越し後には失踪しようかどうか考えた。
(まぁいいや。どうせ瑠璃が俺にべったりなのも今だけだろ。)
自分は褒められることもない。それでいい。何人からも好かれることもない。当たり前だ。この世界において、相川は部外者なのだから。
(……だからと言って元の世界で居場所があるのかと言われればないんだけどね。だからこそ、どこにもないからこそ自分で作らないと。俺による俺の為の俺だけの居場所を。)
生きるために頑張らないといけないと一人意気込んで相川は瑠璃たちにバレないようにさっさとこの場所を抜け出した。
「はぁ……面倒臭い……」
外に出た相川は一人で走り込みを行い近くにある川の橋の下に来ていた。そこで音楽を聞きながら正拳突きを開始する。
指導してくれる人はいないのでネットで覚えた物や幼稚園で覚えた物、また遊神邸で盗み覚えた物を混ぜ合わせて我流に落とし込んだ少し変わった型だ。
「もう少し引き手を勢いよく……肩が出過ぎだから引いて……脇は閉めて……」
一先ず両手で50回。相川にとってはそれだけで息が上がる。それが終わると相川は壁に寄って小さな手を握り締めると壁につける。
「ふー……壁に拳立て伏せ……」
拳を作る目的で開始した物だ。実際に巻き藁などを殴って拳を鍛えた方が良いのは分かっているが、まだそこまで相川の体は強くない。精々斜めにして体重をかけ、拳を平べったくするくらいがこの状態の相川には丁度いい。
これは30回。最初は形を意識するがキツくなって来たら腕が開こうとも腰がうねろうとも関係ない。回数を熟す。
「っ、はぁ……あ~……弱ってるなぁ……」
それだけで疲れた。しかし、まだ足技が終わっていない。上段・中段・下段の前蹴り、左右の蹴り、足上げなどを50回熟して一度休憩。
氣による回復と外氣の取り込みを行う。他の流派で言うところの呼吸法や功の概念だが相川は我流に落とし込んだ。
「……う~……はぁ……帰りに豆乳買って飲も……深呼吸キツい……」
大豆系のタンパク質を摂ることを決めて肘、膝、頭突き、裏拳、踵落としに掌打などのトレーニングを開始する。
「劈拳がこんなで……崩拳がこんな感じ……」
捻りや体捌き、弱い痛めつけなどを入れて相川が訓練を終えるのはそこから2時間後になる。裏口から帰った後は部屋に籠って腹筋、背筋だ。
「はぁ……疲れるなぁ……」
相川はそう言いつつイソフラボンを幼児が大量に摂取した場合は毒性が発揮されるというどうでもいいことを考えながら部屋から出る。そこで瑠璃と鉢合わせした。
瑠璃は相川を見ると飼い主を見つけた犬のように走り寄ってくる。ご機嫌斜めのようだ。
「む~……いつの間に居なくなってたの? お風呂入るよ?」
「はいはい。先どうぞ。」
「一緒だよ? お父さん、奏楽くんと一緒に入ったから。」
「疲れてるので嫌です。風呂位ゆっくり入る……」
「瑠璃が洗ったげるよ!」
この日は瑠璃と風呂に入った後、瑠璃が添い寝なしに慣れるために一人で眠るため、気分よく部屋に帰ることが出来た。
ただ、10時ごろに瑠璃の夜泣きが始まって寝れないと相川の部屋で添い寝が行われることになり、相川もそのまま眠りに就くことになった。