囚われし者たち
「お主は何のためにそこまで自らを鍛え上げた?」
薬物を強制摂取させられて半酩酊状態の瑠璃が縛られた蠟燭の火が薄暗く光を灯す部屋で外道魔王の低い声が響く。
(ボクは、独りが嫌で、置いて行かれたくなくて、仁と一緒にいたくて……)
「鍛え上げられた主の力は完全に抑えられていた。望みは実現されなかった。違うか?」
(ダメって、みんなが……だから、でも、ボクは、一緒に……)
「主が抱く喪失感。それは望みを叶えられなかったことからくるもの。主がここまで心を乱す原因を生み出したのは遊神 一。主の父親のエゴじゃ……奴は主の大事な人間をすべて殺した。」
(お父さんは活神拳で、でも、仁のこと嫌いで、ボクのことを置いて行って、でも、変なのを勧めて、ボクは好きな人……あ、う……! 死んで、ない……! 死んでない! 仁は死なない! ボクと一緒にいてくれるって言った!)
猿轡を噛まされながらも何かを否定するように首を振り、言葉にならない声を上げる瑠璃。激しい抵抗を見せる中で外道魔王は瑠璃から見えないところで薄く笑いながら洗脳を続ける。
「……じゃが、主には力がある。主の想い人は遊神に殺された。その復讐を果たさねばなるまい。」
(死んでない! うるさい!)
瑠璃の抵抗に外道魔王も内心で溜息をつきたい気分になった。毎回毎回、頑なに相川の死を認めようとしないせいで洗脳が馴染まないのだ。
(……面倒だわいのぉ。我ら以外のすべての人間に武を以て当たる非情な弟子にしたかったのじゃが……素質はこれだけあるというのにのぉ……)
望みがあるということ、それを手にするために全力を尽くせなかったことを後悔する気持ち。その辺まではすんなりといくのだ。外道魔王はあまり悠長に時間をかけるのも好きでないので第1段階を変えることにした。
「主、望みを叶えるために武を極める道に踏み入ったのじゃろ?」
ここまでは抵抗がない。そして続く力が及ばなかったという点、全力を出し切れなかったという点までの抵抗も殆どない。
「……ならば、抑圧されたその力を発揮したいとは思わんか?」
今度は迷いの気配を感じた。この辺りから抵抗が入ると見た外道魔王は瑠璃の他者への気遣いという点から削ぎ落とすことに決める。
「ここにいる我と主の妹は主が力を発揮するのを止めやしない。主の願いを叶えることを、遊神 一とは違って望んでおるからのぉ……」
今度の瑠璃の動きは抵抗ではなく、反応。外道魔王の笑みが深まる。
「主の渇望、それを叶えるためにその力を存分に揮え。邪魔する者はすべてなぎ倒すべきなのじゃ。遊神一によって力を使わなかった結果はどうじゃった? 今の失意を生み出す原因になったのではないか?」
暴れ出す素振りは見当たらない。相手に答えを委ねることで外道魔王は瑠璃の心の壁に内部から亀裂を入れることに成功したのだ。
「ロウ様、そろそろ交代です……」
「おう、もうそんな時間かのぉ……」
精神を弱らせた上、心を壊す薬を摂取させた状態でもなおも手古摺る瑠璃の洗脳。その第1歩が踏み出せたことでほくそ笑む外道魔王の下に彼の弟子であり瑠璃の妹でもある茜音がやってきた。これから瑠璃を待ち受けるのは行動支配の時間ではなく精神消耗の時間だ。
「ふふ……後は任せていただいて、ロウ様は傷の手当へ……」
「そうじゃの。あぁ、少々段階を増やすことに決めたでの。まず、相川は死んでおらんことにする。遊神によって瀕死の重傷、そして行方不明で留めるのじゃ。段階が進んで更なる絶望を味わってもらうとするのでな。では任せた……」
去っていく外道魔王。それを見送ってから茜音は瑠璃を見て笑みを作るとその表情を一転させて心配そうに姉を見る妹の姿になった。
「お姉ちゃん、大丈夫? まだあの男の洗脳が解けないんだよね……苦しいよね?」
「あ、かね……」
猿轡を外されながら身を案じられる瑠璃。今現在の記憶もあやふやだが茜音のことは外道魔王の仕込みによって理解できているようだった。
「ほら、これ飲んで? お薬だよ。」
「あ、う……」
自制心を崩すための興奮作用のある薬を服用させる茜音。瑠璃にはそれなりの耐性はあるが、それでも鼓動が早くなるのが分かった。
「お父……いや、あの男のせいでお姉ちゃんはこんなに苦しんで……! いつも見ていない癖に、肝心な時には邪魔をして、挙句好きあっていた二人の仲を裂くためにこんな手段に出るなんて……!」
瑠璃の妄想イメージと衝突しないように言葉を選びながら涙を浮かべる茜音。もちろん、嘘泣きだ。緩急をつけながら茜音は瑠璃に分かりやすいように言葉を刻んで伝える。次第に瑠璃の方も意識が溶かされていき、ぼんやりとした頭の中でこう思った。
(ボクから仁を逃がさないために全力を出さないと……じゃないと、置いて行かれるんだ……)
思いは自制心のなさからそのまま口から垂れ流しにされる。譫言のようにそのように言い始めた瑠璃を見て茜音は涙声で瑠璃に抱き着きながらその後頭部のすぐ近くで成功の笑みを浮かべ、外道魔王に報告を入れることにしたのだった。
「うむ。第1段階を変更して正解じゃったのぉ……ではこれより我が流派の訓練に入ろうか……贄を出せ。成長の見込めん上、我が流派に賛同できぬ愚か者たちからでよいじゃろう。」
茜音からの報告を受け取った外道魔王は上機嫌で果実酒を傾けながらそう言った。そしてこれからについて思いを馳せる。
(まずは、基礎からじゃのぉ……基本動作が済んでからは我が国に入り込んだ各国の密偵ども、それから他流派の者どもで動作の確認じゃ。そうとなると使い捨ての駒がもう少しほしいわいのぉ……)
これからの入れ替えを考えて外道魔王は国内の網の目を細かくすることに決め、即座にその指示を出すとともに募兵を行うのだった。
外道魔王が指示を下した後のあくる日の国際空港。その秘匿されたルートでは何やら揉め事があったようで、ターミナルの一つに空港のセキュリティポリスの責任者がけだるげにやってきていた。それを見るなり声をかけるまた別の男がいる。
『おい、こいつを見てくれ。見ない顔なんで一応捕まえたんだが……』
『あぁん? ……おっ! こりゃ可愛らしい娘っ子じゃねぇか。東洋人か?』
『みたいだが……』
外道魔王の下へと届けられるはずの貨物を乗せた貨物機から降りて来たのは壮齢の男性と縛られて意識を失っているらしい東洋人の童女だった。密入国者がいないかどうか確認していた空港のセキュリティポリスは不審者を見る目で男性を見上げて笑った。
『おいおい、ロリコン拗らせて攫って来ちまったか? 生憎、最近じゃ規制が厳しいぞ? 黙っていてほしけりゃ俺にも一発ヤらせろよ。』
『お前がロリコンじゃねぇか。別に俺については否定せんが、こいつは貨物室ん中に紛れ込んでやがったんだよ。しかも、これ見てみろ。』
壮齢の男は童女の身元が書いてある社員証をセキュリティポリスの男に見せる。それを確認した途端、彼の顔は嘲笑するものに変わった。
『ア、ャメ……お? これがあの【死喰らい】のとこの社員? はっ! ガキが率いるだけあって雑魚でも床上手なら使うってか?』
『まぁ、雑魚とは言い難かったが……それはさておき、その辺の確認を俺ら二人でじっくりヤろうじゃねぇかっていう話だろ? この後、どの道あの方のところにまで連れて行くのはお前なんだから連れてきた功労者にも褒美があってしかるべきだ。その前金を拷問室でこれから分けるぞ。なぁに、俺は今日のフライトも終わってそのまま寝ても大丈夫なんだ。』
『カミさんに怒られても知らねぇぞ?』
『なぁに、お前が黙ってりゃいいだけだ。』
その30分後、囚われの童女はセキュリティポリスと共に外道魔王の居所へと連れて行かれるのだった。