大嵐前の静寂
「……う?」
瑠璃が目を覚ました時、彼女の意識は靄がかかったかのように思考することが出来ず言葉も発すことが出来ない状態だった。その状況に困惑し、身動ぎするも手足は麻痺して動かない。
(毒……)
そんな頭でも瑠璃は自らの身体に起こった異変についてくらいは認識することが出来ていた。原因はわからないし、何が起きたのかも考えることすら出来ないが、行動に移すためにも彼女はしばらく虚空を眺めて自らの氣を練り上げることで解毒に勤しむことにする。
『おう、目が覚めるのが早いわいのぉ……しかも、解毒まで行うか……』
そうしていると瑠璃の目の前に思わず頭痛がするほど気に入らない存在が現れた。瑠璃にはそれが誰なのかわからないが、見ただけで殺意を覚えるほどの嫌悪感だ。
『あなたは、誰?』
『っ! こやつ、この国の言葉も……クカカ。面白い。まぁ、まずは薬でも飲め。』
殺気交じりの視線を笑って受け流す気に入らない男。瑠璃は抵抗の意思を込めて口を固く結んでおくが顎関節を掴まれて無理やり口を開けられてどろりとした液体を流し込まれた。
「! ぺっ! 毒!」
「……何を言う? これは主の心を落ち着かせる……」
「忘却の毒!」
先ほどの殺意の視線に加えて憤怒の眼差しも足された視線に男、外道魔王は思わず苦笑いした。
(こやつ、なぜその味を知っておるのじゃろうか……)
答えは簡単で相川に過去、幼稚園の頃にあんまりにもしつこく追い掛け回したので無理やり飲まされたことがあるからだ。
因みにその時は苦かったのと飲んだ瞬間に相川が瑠璃にとって嫌なことが起きる笑い方をしたのですぐに吐き出し、何かあったらいけないと捉まえておいた相川の耳の上あたりから垂れ流した。
「……! 仁は!」
「いかん! えぇい、これを飲め!」
思い出を振り返り、瑠璃は意識を急速に覚醒に向かわせる。それを見た外道魔王は残っていた薬湯を無理矢理瑠璃に飲み込ませた。
「ぁぐぅっ!」
完全に嚥下するまで瑠璃の口と鼻を閉じる外道魔王。筋肉の収縮で食道を薬湯が流れたところを見切ってからその手を離し、瑠璃が寝ていたベッドに落下させる。
「さて、気分を落ち着かせたところでぅおっ……」
「ふーっ! フーッ!」
意識が落ちる前の記憶を忘れさせることで落ち着かせようとしていた瑠璃が逆に怒り狂っているのを見て外道魔王は意味が分からずにいい一撃を貰ってしまう。それは相川が攻撃していた箇所に直撃し、外道魔王から血が噴き出した。しかし、彼にとって問題なのはそこではない。
「なぜ薬が効かんのじゃ……」
「仁は! どこ!」
麻痺しているはずの手足も動き始めているのを見て焦り始める外道魔王。しかし、すぐに冷静に考えて相当強い毒耐性を持っているのだろうと判断し、即座に瑠璃の意識を刈り取ると劇薬を準備させた。
「……この小娘も、よっぽどなことをされているんじゃのぉ……ふむ、今からそのよっぽどなことをする我が言うべきではないかもしれんがの……」
今度は直接記憶を破壊するのではなく、思い出すことに関する機能に障害を与える劇薬を持ってこさせた外道魔王。意識のない瑠璃にチューブを通し、喉の奥まで液体を流し込ませると彼女はそれを確かに嚥下した
「……それにしても脳に我の忘我衝を叩き込まれながら記憶を保つか……まぁ我がこ奴の想い人を傷つけた……いやこ奴の中ではあの下種は死んだことになっておったの。どちらでもいいがマイナスのイメージについての記憶がないのは幸いじゃわい……」
外道魔王はぼんやりとした意識で虚空を眺めている瑠璃を見て笑みを形作ると劇薬を持ってこさせた人物に別の人を呼ばせた。
「さて、意識が混濁しているこの隙に洗脳するわいの。なぁに、こやつの大事な大事な想い人は世界の嫌われものじゃ。信じ込ませるのも容易いわ……」
外道魔王はまず世界から相川が嫌われている事実を瑠璃に伝え、そのイメージを強く持たせること、それに引き続いて世界の正義を自称する遊神一門は殊更相川のことを嫌っていたこと。それらの事実に混ぜ込んで遊神が相川を殺したことを意識の中に刷り込むために録音した音声を瑠璃に聞き続けさせる。
そうしていると近くに小さな気配がやってくるのを感知した。しかし、それが敵ではないことは外道魔王が一番よく知っている。
「ロウ様、お呼びでしょうか。いえ、まずは手当の手配ですね。」
「おう、任せるわいのぉ。……用件はアレじゃ。茜音の姉を壊そうと思うての。茜音の念願じゃろ? 手伝わんか?」
「えぇ、喜んで。」
微笑みながら現れたのは瑠璃の妹である茜音だった。彼女は外道魔王の怪我を見て少々目を細めたものの別段、命にかかわる問題ではないと見切って安堵して手当の指示を出す。そんな彼女に外道魔王はこれからの洗脳の流れについて説明した。
「壊すと言うても、弟子にするために肉体は壊さん。壊すのは精神だけじゃのぉ……まずは孤独感を与えることが先決じゃ。こやつの闇は孤独が起源のようじゃからの……既に記憶はないやもしれんが喪失感だけは残っておるはずじゃ。その不満を刺激してその矛先を誘導させることで闇を目覚めさせることが前半戦。 こちらに落としてからは我らだけが彼奴の味方であることを意識するように仕向け、それ以外を敵であるように認識させることで処置完了じゃ。」
「わかりました。それでは私の方からは家族から捨てられたこと、そしてロウ様が私たちの味方であることを吹聴しましょう。遊神は娘のことなど見ているようで見ていませんでしたから実に簡単ですわ。」
勝利を確信して笑う二人。その近くで瑠璃は魘されており、外道魔王は思わず呟いた。
「それにしても、武に心を捧げていたこの我をも魅了する主ら姉妹は本当に恐ろしいのぉ……傾国とはこのことを言うのやもしれん。」
「フフ……姉さまに心を奪われるようなことがあれば私は悲しみのあまり何をするかわかりませんよ?」
「クカカカ言うのぉ……主に何ができる訳でもあるまいに……まぁ、一応心には留めておこう。」
そんな会話をしながら二人は瑠璃が目覚めるまで手当を行うために別室へと移動するのだった。
「……兄さま、申し訳ありません……奏楽さんの方は既に見つけたのですが……」
「そっちはどうでもいいんだけど。外道魔王は?」
「すぐに見つけます……あの、奏楽さんについては遊神の方に連絡しますか……?」
「何で? 金払ってくれるならいいけど、知ってるってことをあいつらに知られたら十中八九タダで教えろって言ってくるのに?」
その頃相川は無理矢理治した怪我の確認を行いつつ調査を進めていた。現在は氣の循環を行いながらアヤメの定時報告を聞いているところだ。
「あの、一応同盟相手ですので温情を……」
「なぁなぁで済ませたら後が大変だぞ? 集りは恥ってのを知らんからな。一度引き出せた条件は自分がどんなことをしていてもまた引き出せるものと解釈するだろうし……」
「……これから殺神拳と争うのでどちらかとは……」
「はっ! 俺がいなくなった後に全ての汚名を俺に被せればいいだろ。世界の敵って認識だから全員が納得する。」
その言葉を持ち出されるとアヤメは過去の負い目から何も言えなくなる。無理はしないように進言したアヤメは気まずげに退出し、部屋の中には相川だけとなった。
(んー……今回ので大分、寿命が減ったな……まぁこの世界の摂理に基づく寿命だから魔素さえ使えればあんまり俺には関係ないけど……)
ほぼ怪我の前のパフォーマンスを発揮できそうな自らの状態に満足しながら相川は外道魔王への嫌がらせのために策を練るのだった。