やった
相川がクロエからのメールに気付いたのは翌日の朝だった。
(……ん? 何でだ?)
少々疑問に思うようなメールなど大量に届いていたメールの確認の最中で1通だけやたらと長いメールで読むのが面倒くさかった相川はクロエの思いの丈をぶちまけたメールの内、件名と最初の一文だけを見てクロエが国内最大手のあるメーカーに移籍する旨を知ることになる。
「よっしゃぁ! やっと喧嘩売ってくれた!」
起き抜けにそう喜んだ相川はすぐさま身支度を整えつつ前日に告げられた予定通り桐壷兄妹との朝食へと移動し、軽く挨拶を行ってから朝食を摂り始める。
「どうかされたんですか? やけにご機嫌のようですが……」
「いや~長年信用契約してきたところがやっと裏切ってくれてねぇ。まだ俺が扱ってた事業が小さかった時に出資受けてたのを急に返せと言われたんだよ。」
「……あぁ、あのメーカーですの。それはまたどうしてですか?」
「何かクロエがやったみたい。」
上機嫌な相川のことを見ながら真愛は何か楽しそうだけど割とまずいんじゃないかと思って表情を曇らせる。国内最大規模の財閥と言えどもやり合いたくない相手はいるもので、相川が出資を受けていた会社はその一つだった。
「……大丈夫ですか? 私どもの傘下に入った方がいいのでは……」
「いやいや。それより一応信義則に基づいて今まで控えて来たけど、こうなったら売りたい物がたくさんあってねぇ……」
悪い笑みを浮かべながら相川は真愛と和臣に後で渡したい物があると言いつつ食事を手早く終えてその準備に入る。非常に悪い笑みを浮かべていた相川に二人は流石に無理だろと思いつつもこの国ちょっと荒れるかもしれないなと思い、同じように少しだけ急いで食事を済ませることにした。
結果から言うのであれば相川はちょっと荒れるどころでは済まないような提案をしてきた。
「新しい参入の手続きは面倒臭いから桐壷グループにこの技術はあげます。」
「……これは、無理だ……いや、技術的には可能だが、社会がこれを受け入れるとは到底……」
「無理無理言ってると時代の流れに取り残されますよー? 確かに高度経済成長期からこの国を支えてきたこの産業は偉いかもしれないけど素晴らしい技術があるから売れるんじゃなくて市場が欲している物こそが売れるんだからね?」
「……それは百も承知だが……」
苦い顔をする和臣。性能だけでみるのであれば相川が持って来た技術に乗り換えるのが適当かもしれないが、これがもたらす社会影響を踏まえるとそうそう簡単に踏み切っていい問題ではない。
「仮に、これが売れることで桐壷グループと言っても問題ない2次サプライヤーレベルまで儲けることが出来たとしてもそれ以下の零細企業たちは作る物がなくなる……経済損失は2兆をくだらないぞ? 更に言えばウチが恨まれる。」
「じゃあ新しい産業作ろう。あ、後ついでに暇な人にはこっちをやって欲しいな。」
じゃあで生み出すような物ではないことを相川は簡単に言ってのける。しかし、それは彼らが相川から最も盗み取りたい話であり、新たな産業と言うレベルでは済まないような夢物語だった。
「達人育成とその社会変容に伴う国家改造計画……」
「そうそう。これ、普通に成功すれば平均寿命は150歳くらいまで伸びると思うよ。病気とかにも罹らなくなるし、老化も60歳くらいまでは抑えられる。その後の老化も4年に1度くらいになるから……まぁ順当に行けば死ぬ時にも40代半ばくらいの状態で脳が死ぬかな。因みに精神疾患系統のリスクは激減する。詳しくは資料に載せてあるけど素人目に見てもわからないと思うから割愛。」
「……いや、これ……自動車産業とか言う問題じゃないことが書いてあるんだが……」
最初の方に図にされている比較を見て和臣は引き笑いを浮かべる。全力疾走で平均時速50キロ、加速までに2秒、予想連続走行時間が2時間と記されている運動能力にありえないだろうという視線を向け、そして和臣は真愛の方を見て何とも情けない笑みを形作った。
「……私は一応可能です……それはそうと、私そんなに長生きしますの……?」
「んー……一応事前通告したけど、あの時はまだデータがあんまり揃ってなかったから老化が遅くなる程度にしか言ってなかった気がするなぁ……あ、死のうと思ったら死ねるから安心していいよ。やり方は覚えてるでしょ?」
「……まぁ、死にたいとは今のところ思ってないので死にませんが……お兄様の見る目が化物を見る目ですわね……自分も性転換した癖に。」
「いや、それとこれとは話が違うだろ……現実的に考えてありえない。」
家族のことと言うのにドン引きしている和臣に相川は突っ込みを入れた。
「まぁこの短期間で痛みもなく気付けば女になるって辺りそっちもこの世界基準では非現実的だけどな。どっちもどっちだ。」
話の内容に戻ると人間の強度が上がることで国内にある社会インフラ全体を相川が作り出していた新しい素材で作り直すことになるという計画で、実現すればその経済効果は計り知れない。しかし、これは前例がない故に和臣がおいそれと手を出していい領域ではないと判断され、一先ずはもう一枚相川から渡された資料を見ることになる。
「全自動収納キッチン? 何と言うか、こっちはまぁ普通な気が……」
「まぁ料理はしたいけど後片付けとかは面倒って言う人たちのためのやつ。価格帯としては大体年収750万以上の比較的富裕層を狙ってる。詳しくはこれもまたそこに書いてあるけど、シンクに入れた物をセンサーで勝手に判断して洗ったり、IHの上にある調理器具まで油の量とかを推定して水道行きかストックの中に入れて一定量貯めて凝固させるか選んだりできる優れもの。オプションで更に技能を着けられる。」
「……これは中々いいんじゃ……」
「ぶっちゃけると俺が欲しいから設計した。」
シンクとコンロの間である作業台の下を通ってコンロの上にあった調理器具が移動し、シンクで洗われて更にその隣にある食器などの置き場に置かれる様子などのイメージ図を見ながら和臣は頷く。
「これは普通に売れそうだね。」
「まぁ価格を全力で抑えるとしたら調理器具と一式、取り付け価格まで含めて8万かな。」
「それはやめようか。資料通りの750万以上向けの、この価格で良いよ。」
相川の提案を笑顔で否定しておきつつも一応コスト削減の方法は聞いておく和臣。それよりも相川が家につけたいフルオプションの方に驚くことになるが、この話は普通に実現する運びとなった。その後もしばらく発電事業などの話を進めていく内に、その日も夜になってしまった。
この日のビジネスの話はここで終わりだということで3人のみで夕食を取っている間に相川と桐壷兄妹は談笑する。
「……これだけ新事業の展望が見込める上、国策事業として他国への技術輸出の利益も考えると……これは不味いことにこの国を桐壷グループが牛耳ってしまうような……」
「ハッハッハ……もう今の時点であんまり洒落になってないんだが……」
「片棒を担いでくださったのに何を仰ってますの?」
まぁまだ他にも財閥あるから大丈夫と何の大丈夫とも言えないことを思いながらその別の財閥企業の一つを今から傾けようとしている相川は美味しい夕食を頂くのだった。