行って来ます
目的地に着いてからも相川と桐壷兄妹の話し合いは続き、現在は密室の中で3人だけで会議を行っていた。
「一先ず、君には僕のことを男として扱ってもらうよ。」
「あらほらさっさ。」
「……ちょっと何を言ってるのか分からないけど守れないというのならこちらにもそれなりの対応がある。それは了解してもらおうか。」
「いいよ。」
ちょっとだけその対応とやらを見てみたい気分にもなったがそれが目的ではないので要求を呑み、話を進ませる。
「で、だ。修羅の国についての情報が回ってきたことで君との対応は私たちに一任されることになった。父上は君が元いた会社や現在修羅の国が求めている援助要請に忙しくてね。」
「因みにお父様も例のお薬のおかげで元に戻り、仁さんのことを好ましく思っていらっしゃるので問題ありませんわ。」
「さよで。」
割ともう一個人として修羅の国での行動を考えているのでその辺はどうでもいいどころか雑務が多過ぎて面倒だと思っている相川は交渉にあまり乗り気ではない。しかし、桐壷たちからすれば相川の個人行動はもはや個人規模で終わるような物ではないと確信しているので対話と文書による縛りが必要だとこの場での会談を求めて来た。
「では、仁さん、あなたがこれから主に活動拠点とするであろう修羅の国港湾都市における不可解な霧の発生にともなう東部沿岸広域の災害についてのお話から始めてよろしいですか?」
「どうぞ。」
社内データに残していないはずの問題を真っ先に上げられて相川は微妙に表情を変えそうになる。桐壷兄妹は初手で相川を動揺させようとするも失敗したのを見てビジネスモードに入ったまま独自に調べたこの問題のデータについて端的に説明を開始した。
修羅の国の東側、相川たちが住む国から修羅の国の領土と定められた最も近い港にその霧は発生し、濃い場所では現代のソナーなどの設備が整った船、それどころか通常、離着陸の時にさえ霧がなければ運航できるはずの飛行機でさえ遭難してしまうというその地域特有の霧。
修羅の国にこの国が出資しなかった原因となる第2の要因であり、第1の要因だった内部の紛争に見通しが付き、これからタンカーなどで貿易を開始するにあたって非常に邪魔になってしまうその問題についての話が始まり、相川は目を細めながらそれを聞く。
(……あの地域にはかなりの問題があるからな……)
一般的には霧を避ければ問題ないというレベルの話のはずだが、目の前にいる二人の口ぶりからしてそのレベルで済む問題ではないことがひしひしと伝わってくる。そしてそれは相川にも重々承知されている話だった。
「……霧の濃くなる時期も、発生原因も、場所も不定で、鎖で繋いだはずの小舟すら戻ってくることのないその地域について、あなたの方からノウハウを買いたいと思うのですがいかがですか?」
「アレのノウハウか……まぁ端的に言えば神化すれば多少はわかるんだが……」
いきなり解決案の一部を口走られ一瞬ビジネスモードの鉄壁の表情を崩してしまう和臣。それに対して相川の表情に敏感に反応できる真愛の方は浮かれてもいなかった。
(あの地域、不活性化した扉の墓場なんだよなぁ……)
少し前に不活性化した扉の事故に一緒に巻き込まれた真愛の方を見る相川。表情は一切変わっていないが真愛の方は解決策はあるがそれが難しいものであることを読み取った。
「解決が難しいのであれば改善案でも構わないのですが……」
「そうだねぇ……君らにノウハウの提供は難しいかなぁ……とっておきの情報ならあるけど。」
「それはお幾らで?」
「聞いた後に君たちでつけてくれ。」
乗り出してきた和臣に相川は背もたれに一度体重を預けてから答え、微妙な顔持ちにした後にそのとっておきの情報とやらを告げる。
「その霧は3年もすれば完全に消滅する。それ以降、発生することもない。」
「3年……因みに今、何とかする手段と言うのは……」
「次に俺がその地域に行った後、こっちに戻って来るころには北東部の霧は薄くなっている。まぁその場で死んだら霧が晴れることはないがまず死ぬことはないな。」
「その次の渡航の予定を早めることは?」
「全額準備金を出資してくれるなら来月だ。」
この件に関する契約は成った。しかし、今度はその霧が晴れた後何か問題はないのかについての質問が始まる。
「現在、未確認のため内部の安全がわからないのだが霧が晴れることでどうなると予想されるかについての見通しなどはあるんでしょうか?」
「霧のある地域には近付かないことが原則必要だね。あと、アレの発生が不明と言ってたがアレは突然発生するもんじゃない。どこかしらが確実に中心に繋がってるはず。それが伸びて広がってるだけ。」
「安全性の確保が確約できるのはいつでしょう?」
「3年後。これは金の問題じゃない。時期の問題。」
この後もしばらく問答が続くことになるが相川は今金を払わなくとも3年以内には相川が勝手に霧の原因となっている扉を排除していくのにと思いながら自らの要求を通すことになるのだった。
そして相川の桐壷家との会談が終わる頃、都内のある特殊な高校では連日のようなパーティの中である金髪碧眼の美少女がいつもと異なる状態に陥っていた。
「あの、申し訳ありませんが私には既にお仕えする方がいらっしゃるので……」
「嘘はよくないなクロエさん。君のことは調べさせてもらったけど君の言う相川という人物がトップに位置する企業なんてありはしなかったよ?」
「今は少し現場を離れていらっしゃいますがいるんです。」
金髪碧眼の美女に成長したクロエ。彼女は今、国内企業最大手のある製造メーカーの御曹司に絡まれている所だった。一度は断ったものの下調べを終えられて今日、再び勧誘を受けており、そのメーカーの影響力に押されて周囲の人が助けてくれることもない。
「現場を離れているのなら君のように優秀な人材は必要ないだろう? 我が社は海外展開を進め、グローバルに活躍できる君のような優秀な人が必要なんだ。俺の片腕になって働いてくれないかい?」
「いえ、ですから……」
さっきから断っているのにしつこい。暗殺しようかと一瞬脳裏に不穏な考えが浮かぶが彼の側に控えているメイドの視線を受けてその考えを消す。そんな彼女の様子を見ていた男はあることを思いついたようで笑いながら続けた。
「それとも、理由が必要かな? 例えば、君の雇い主に俺の会社に関連するすべての企業に圧力をかけられたくなかったらウチに来る、とか……」
思わぬ言葉を受けてクロエはその男を睨みつけた。男の一族が経営しているメーカーは部品数が多く、国内における製造業の会社が何らかの形でかかわっていることが多い。その他にも多角的に展開した経営スタイルは国内を網羅していると言っても過言ではない。クロエに選択の余地など存在しなかった。脳裏に過るのは「金がない」とぼやく相川、そして日々忙しそうに奔走する社内の人達のこと。
(……最後まで至らないことばかりで申し訳ありません師匠。ですが、私が離れることで少しでもお役に立てたら幸いです……)
思い返せば人生の大半はあの人と一緒にいた。しかし、今の彼の周辺には自分よりも優秀な人材がたくさんおり、薄々自分は必要ないということも察していた。そんなこれまでのこと、そして閉ざされて行く未来のことを思いながらクロエは静かに相川にメールを送るのだった。