普通の出来事
異変はすぐに起こった。
ある会社では。
「……何でこんなに頑張って働いてるんだ俺たちは……」
「何かイライラして来た……上司がムカつく。」
「仕事させ過ぎだろ……」
ある社交パーティでは。
「……何故、無駄な投資を行って?」
「この段階で投資の見込みを立てるには早過ぎるだろう。あんないけ好かないガキの言葉を私は何故信用していたのだろうか……」
「まさか、薬物でも使用されて……?」
また、某国では。
「……何故東洋の猿如きを英雄扱いしていたのか……私が若いと思っていたのは気だけだったのか?」
「東の友、クック……まぁ使える限りは使おうではないか。これまでみたいな扱いはせぬがな……」
「憎い、あの糞ガキがぁっ……! 命を賭してでも殺してやる……!」
「……何で俺たちがこんな国で命賭けて……」
更に、あるイベント会場で。
「す、すうぃーとでびると初共演……! あの、私ずっと前からファンでした! 星と申します! 今日はよろしくお願いします!」
「応援、ありがとうね? 今日は頑張ろう?」
「はい!」
「……行った?」
「……はぁ。何でアレのコネってだけでイベント参加させちゃったんだろ……普通に考えたら期間的に無理だろうに……」
「まぁまぁ高峰さん。一応、嫌な奴ですけど義理はあるじゃないですか。これで貸し借りなしってことで以降二度と顔を合わせなくて済むんですよ?」
「はぁ……ノアが言うことも頭ではわかるんだけど、感情がねぇ……」
そして、ある秘匿された住宅でも。
「……何故私はこんなに頑張って……義理があるのはわかっています。しかし、それ以上は返す必要はないのでは……?」
「母上を殺した相手を兄呼ばわりとは、私は頭がおかしくなっていたのですね……」
「何で私は見知らぬ人に急に話しかけた挙句、改造を受けて……まさか、洗脳でも……?」
果ては、活神拳最強の武術集団、飛燕山で。
「ん? 何か今ざわってしたなぁ……まぁいいや。仁まだ帰って来ないのかなぁ? 今日怪我してたらもう監禁しよ。」
「瑠璃、あんなゴミ屑ごふっ……」
「瑠璃さん、あんなやつぇぐっ!」
「瑠璃、あいつのことを口に出すげぇっ……」
「……何かうっさいなこの人達。そんなことより何か気配するから行こうっと。」
そんな状態になったことを、彼は……相川はすぐに察知していた。
「アハハハハハハハハ! 素晴らしい! これぞまさに魔術の神髄! いや、最早魔法の域に存するよ! 鳥肌物だ! これほどまでに魔素の少ない世界で、これほどまでの改竄を行うとは! 上には上がいるものだ! クハハハハハ! いつかこれも飲み込みたいもんだねぇ……」
そんな彼は今現在、扉によって認識が曖昧になっていた空間から走って自宅に向かっていた。相川の想定よりも抵抗が弱く、思っていたよりも現在の魔素使用量に余裕があるので現在は海上を飛んでいる。
「いや、術式の奥深さはいいんだけどさ。家を放火されてたらちょっと困るよね。器具とか。笑ってる場合じゃないかな……黒猫君に【反憎禍僻嫌】食わせないと家バラバラになってるかもな……」
ちょっとそれは困るので急ぐ相川。その思考は嫌われたことよりも損害とこれからの対処の方に向いている。恐らく、今いる国でのほほんと生きることは出来ないだろう。
(……まぁ、瑠璃のお蔭で別宅を大量に持ってるから別にそこまで問題ないんだけど……)
色々考えても特に問題はなかった。貴重な薬品等も持ち歩いているので自宅に置いて来た物が壊されたりしても勿体ないくらいのダメージしか負わない。
「……まぁ、でも黒猫君を早い所戻さないと。もふもふできない。」
そろそろ地上が見えて来る頃。相川の前に国防の一角を担っている特殊部隊が現れた。彼ら、彼女たちはこの国の情報システムを網羅しており、高速で来る脅威にすぐに気付けたのだろう。
「……まぁ急いでたから見つかっても仕方ないか。殺すのも手間だし増援呼ばれるともっと手間だから隠れて進むかね。」
「そう上手く行くとお思いですか社長?」
相川が作った特殊素材のスーツを着て海上を固め、包囲するのは社員たち。指揮官に犬養を据えてあるその陣は相川が教えた物だ。
「警告します。速やかに武装解除して投降してください。今までの恩と恨みを考え、命だけは助け!?」
先に警告を行っておく犬養に対し、相川は無言で液体を固体化した地面に放り投げ、その凝固を緩めて海水に戻す。その隙に犬養の頭を足場にして飛び、高速移動を再開した。
「……そんなに温いこと教えた覚えはないんだが……まぁ楽だからいいとして。早い所帰らねば。ん~でも今いる所もバレてるからなぁ……あそこじゃない秘匿場所となるとド田舎だからあんまり好ましくない……いや元々サバイバル得意だからいいんだけどさぁ……」
流石に人目に付きそうな場所になってからは飛行をやめて死角を無挙動作ですり抜けて行く相川。カメラでは捕捉されているだろうが、今回は家に着けばいいので気にせずに突破する。
「……ちょっと疲れた。ここまで来て火柱が上がってないってことは多分放火はされてないか。術式は見事だったが効果は今一? この程度の嫌われ具合だったら術かけなくても魔素を注入すれば余裕だっただろうに……ちょっと失望~」
少し休憩し、周辺住民に悲鳴を上げられて通報される相川。どうせ通報されても人が来るのには時間がかかるので悠々と襲い掛かってくる一般人を伸して自宅に帰った。
「……おっと、流石の俺でもこれはキツいぞ……?」
自宅前で相川は玄関付近に立っている3人を見て思わず苦笑する。その前にいる笑顔で何を考えているか分からない瑠璃、消臭剤を片手にマスクなどを付けて完全防備のクロエ、険しい顔つきで相川を睨むアヤメは次々に口を開いた。
「おかえりー! 今日は……怪我してないね!」
「……これ、すべて使い切ってから入室をお願いします。」
「やっぱり、ない。」
発勁の呼吸を開始するだろうと身構えていた相川は彼女たちの応対に拍子抜けしつつ相手が何を考えているのか探る。相川の考え的にはここで時間稼ぎをして増援を呼び、確実に自分を殺すことが目的だろうとして思わず好戦的な笑みが漏れる。
「……? 取り敢えず、仁のいい匂いが消えるからそれ捨てるけど……どうしたの? 何か皆変だけど……」
「ドブの匂いにも劣るこの男がいい匂い? 瑠璃、あなた頭がおかしいんじゃ……」
「は? 殺すよ?」
「おい、活神拳。」
3人の様子を見ていた相川だが、どうやら瑠璃の様子がおかしい。突っ込みを入れた相川は考えられる要因について瑠璃に尋ねた。
「お前、もしかして勝手に俺の家に入って【反憎禍僻嫌】飲んだとかじゃないだろうな……?」
「はんぞー?」
「薬物管理部屋に入って手前から2つ目の棚にある【憎禍僻嫌】とセットで置いてある琥珀色の密だ。お前蜂蜜か何かと間違えて……」
「入ったら駄目って言われてるから入ってないよ! ボクちゃんと我慢できるもん! 今だって飛びついたらダメって言われてるから飛びついてないでしょ?」
それならば、恐らくこの瑠璃の言動は全て偽りで、罠にかかるのを待っているのだろう。その手には掛からない。さっさとこの場にいる連中を出し抜いて黒猫君に【反憎禍僻嫌】を摂取させ、ここにある物を持って逃走する。
「これまでがイージーモード過ぎた。こっからが、俺の本領発揮だ……さぁ、始めようか。」
不意打ち、そして相川は家の中に飛び込むのだった。




