落花
「面妖なぁっ……! 貴様、本当に人間か……!?」
「違うけどあんたらに言われたくはないかなぁ!」
「二度は喰わぬっ!」
視界がまだ微妙に回復していない内に相川の声で時子の五感を乱しておこうと考えた相川だったが、それは失敗に終わる。しかし、それを囮にした攻撃は成功したのでまだよしとして神経を集中させた。
「はぁっ!」
気配だけを頼りに飛び掛かって来る時子。それは寸分違わず相川が居た場所に目掛けて攻撃をすることに成功した。だが、その場所に残っているのは相川が捨て置いた手榴弾だけだ。
「小癪なっ!」
(無傷かよ……)
破裂する前に踏み潰し、足の裏で爆発したのに何事もなかったかのようにしている時子に相川はげんなりした。その瞬間に時子の蹴りが命中し、相川の体は吹き飛ばされる。
「【蓮下脚】!」
宙を舞う相川に追撃を加えんと飛び蹴り下しを放つ時子。対する相川は態勢を整える間もないその時間に銃を抜いて発砲。時子の攻撃を止めて自らの体勢を整えようとする。その隙を与えない時子はようやく元に戻った目を開眼し、相川を捕まえた。
「龍宮寺流古武柔術・奥義【天地無用】!」
上下左右に投げられては別方向に投げ返され、体の中がシェイクされる時子の投げ。受け身が効かないその投げは時子の力を殆ど利用せずに完成しているまさに投げ技の奥義に相応しいそれだった。
それは相川も例外ではなく、硬い外部にぶつけられた内臓が体内でふがいない主人に反乱を起こして暴虐を繰り広げ、血反吐を吐かせる。
(……チッ。四の五の言ってる場合じゃないか……? 死んだ時のことも考える必要が……)
相川が多少死を覚悟し、プランを練り直そうとしたその時。やけに無味乾燥な音が相川たちの近くで鳴り、時子の肩から血が噴出し、投げる力が弱まった。ほぼ反射的にその要因となったであろう銃声の下を急激に睨みつける時子。その隙を見逃すほど相川の性格はよろしくない。
「【零戦月撃】!」
「かっ……!」
逆さになったまま、受け身のことなど考えずに時子の頭部を左半身全力で撃ち抜いた相川。それは蟀谷に命中し、時子の身体の自由を一時的に奪った。それを好機と見た相川は物も言わずに連撃を叩きこむ。
「おのれ、おのれぇっ! こうなれば、アヤメを……!」
時間の問題ではなく、相川の攻撃によって気脈が絶たれ、発勁も止まり始めた時子は自らの養子の姿を探す。すぐにその姿を認めた時子は苦い顔をしていた。
「アヤメ! こやつの犬如きに何をしておるか! 無様な!」
彼女は戦場の平定を済ませた相川の犬……犬養と交戦しており、時子に応じることが出来るほどの余裕が存在していなかったのだ。そしてその時になって犬養は周囲が完全に相川の軍によって固められていることを悟る。その隙に相川は時子から距離を取って息をついた。
「……はぁ。発勁終わってからやっと周囲に目が向くようになってくれたかい。」
「おのれおのれおのれぇっ! 武人の風上にも置けぬ輩どもに吾が負けるかっ!」
「うんうん。あんたは負けはしないよ。死ぬだけで。」
その言葉を言い終わる直前に相川はその場から引いて号令を下す。それによって時子を銃雨が襲うことになったがそれでも尚、時子はそれらを見切り、氣当たりだけで雑兵を薙ぎ倒して相川を目掛けて飛び掛かる。
「貴様だけは! 貴様だけはぁっ!」
「おうおう俺にお熱かい。生憎こっちは婆はノーセンキューでね……仕方ない。あんまり使いたくないがしつこいとアレだ……『霊氣発勁』……!」
この場にある死霊たちの昇天前のエネルギーを用いて発勁を行う相川。それを見た周囲は相川と時子の戦いに巻き込まれないように再び下がり、遠巻きに成り行きを見守る。
「何故、貴様はぁっ! それを使わなかった!」
「え? この戦いが長引いたらどっちにしろ死霊どもの氣が使えなくなるし……サンクコスト考えるとね。仕方ないよね。」
とぼけた相川の発言に獣のように飛び掛かる時子。しかし、その姿はまさに満身創痍で今更温存していた力を出してきた相川とようやく互角というレベルだ。
「アヤメぇっ! こやつを後ろから刺せぇっ!」
「アッハッハ。そんな余裕ないよ。ウチの優秀な犬が抑えてるからね。」
「……犬です。」
アヤメと犬養の実力は技ではアヤメ、力では犬養と互角の様相だ。そんな戦闘を尻目に時子はアヤメに聞こえるように叫んだ。
「龍宮寺流・暗技【呼気・応氣】! 自らの命を投げ打ち、吾に加勢せよ!」
視線をアヤメの方に移した瞬間にも相川は攻勢を強め、時子を殺しにかかる。しかし、時子は勝利を確信していた。時子はその勝利のキーとなるはずである養子の加勢を待つ。しかし、待てども後ろの戦闘が膠着状態であることを感知し、疑問を抱いたところで相川との戦闘の均衡が破れた。
「しまいじゃのう。」
相手の口調を真似て嗤う相川。その言葉はきっちりと心臓をオロスアスマンダイドの刀で刺し貫いてから告げた。驚きの表情のまま死にゆく時子に相川は冥土の土産とばかりに教える。
「君の薬膳料理、ちょいとおかしいから調べて解析しておいたから。あの子の洗脳は餌付けの時に上げてたもので解除しておいた。……何かの役に立つかなと思ってたが、役に立ったね!」
「吾を、誰だと……」
冥土の土産は与えたと相川は時子の言葉を聞かずに首を刎ねる。胴から離れた首は見る見るうちに氣の枯渇により老化し、老婆のようになった彼女の胴体はその場に突っ伏すように倒れた。
しばしの静寂。そして勝鬨の怒号が上がった。
(……まぁ敵軍滅ぼしたの殆ど時子さまなんだけどね。さて、アヤメさんの方をどうするかなぁ……今の俺なら殺せそうだよねあの人。でも捨て駒宣言聞いて放心してるし……いや、それより今優先すべきことは俺が重傷ってことだな。さっさと帰国して治療しないと死ぬわ。)
湧き上がる自軍の中で相川はそんなことを考えながら犬養に飛行機を用意してもらい、捕縛した放心状態のアヤメを連れて帰国した。そこで瑠璃とクロエの滂沱の涙と手厚い看護を受けつつしばらくの間の療養を誓うことになるのだった。
そして戦場から遥か彼方のとある場所。
「……これは驚いたのう……」
戦場の光景を見ていた男が時子と変わらないような口調で思わずといったように言葉を漏らした。そして彼はいても経ってもいられなくなったようで邪悪な笑みを零す。
「武の頂とはかけ離れ過ぎており諦め、さりとて下とも隔絶し隠居を考えて妥協して弟子を育てておったが……活きの良い者がおるわいのぉ……」
独り言を呟いている最中にも気が高まったのか座っていた椅子の肘掛を握り潰してしまう彼は眼下で今まさに育成していた弟子に問いかける。
「気が変わったわいの。主の故郷に戻るぜよ。」
「わかりました、師匠。」
「カカカッ! 参ろうか! 弟子よ!」
うら若く、妖しげな美貌を持つ青年とそれに着き従う弟子。
彼女の姿は失踪していた瑠璃の妹、茜音の姿に相違ないものだった。そして彼女を連れて行く男を。
(あ奴の精神を潰し、我の弟子においてやろう。武の頂は我が門派が頂いた……!)
外道魔王。獲物を目にして笑う彼のことを人はそう呼んだ。