一先ず
「……これまでの非礼の謝罪をし、そして恩に感謝する。」
「……と、遊神くんは言ってるけど……相川くんはどうするのかな?」
病院前の駐車場での一件の後。
あのまま病院前でやるのは外聞などが悪いし、患者たちに得体の知れない不安を与える姿だったので安心院の提案で一室を使って話し合いをすることが決まった。
その参加者は安心院、相川、遊神、瑠璃、そして相川に巻き込まれた高須だ。そして現在、瑠璃は彼女の父親が相川に謝ったことからもう大丈夫だろうと安心して涙の跡が残るあどけない顔を相川の肩に乗せて眠っている。
そんな中で相川は口を開いた。
「……どうしようもこうしようも……治療費払ってくれるなら、尚更穀潰しを家に招くわけにはいかないでしょうに……」
「でもねぇ、こちらとしては行く場所があればそちらに行ってほしいんだ。病院のベッドも余ってるわけじゃないしね……」
安心院の言葉に相川は難色を示す。そんな状況下で安心院はあることを提案した。
「そうだ。どうせならある子の面倒を看てくれないか? その子について僕の方から謝礼と家政婦を出すという形にし、遊神さんの家の面倒を全般的にフォローしてもらえば問題ない。僕が出す謝礼に加えて相川くんの宿泊費と滞在費を治療費としてあてがえば返済は早くなると思うけど……」
「……ある子?」
遊神が首を傾げると安心院は少し待っていてくれと言って席を立つ。場を気まずい雰囲気が覆う中で相川は高須と喋りながら待機する。
「年長者を敬わんか!」
「うぇ、遊神さん……俺が相川にこの話し方にしておいて欲しいと言ってるんですが……」
「高須さん、親しく話すのは構わないが優しいのと甘いのは違うんですよ。躾けるのも……」
「死んだ弟に口調と思考が似てるんで、わざわざ敬語に直されると私が嫌なんですが……俺の所為で死んだと責められている気がしましてね……」
説教染みたことを言う遊神に対して苦笑しつつも目は一切笑っていない高須。相川は気まずげにしている遊神を見て溜息をつきつつ頭を掻いた。
(……このおっさん、言ってることは正しいが空気を読めなさすぎだな……糞ガキの俺が言うことでもないから黙っておくが……こりゃ多分どうやっても性格が合わん。)
そんなことを思っていると遊神は口を濁しながら高須の言うことを受け入れたようだ。
「そうか……無神経なことを言ってしまって申し訳ない……」
「いえ……で、相川さっきの話の続きなんだがな。まぁオチは読めてるだろうがつい、へぇ~附子じゃん珍しいって言ってしまったんだよ。」
「振られて当然だな。」
そんな話をしていると安心院院長が戻ってきた。その手に連れられているのは将来有望そうな美少年。
そして不思議なことに相川には黒髪に群青色を少し薄めた薄花桜色の目をしたその顔にどこか見覚えがあった。
「……初めまして。」
「初めまして……安心院さん、この子ですか?」
きちんとお辞儀をする少年は遊神のお気に召したようだ。遊神がどこか冷たい雰囲気を漂わせる相川と同年代くらいの少年を見比べてから目を離し、安心院に尋ねると彼は頷いた。
「そうだ……この子は、所謂全生活史健忘症。これまでの人生における全てのエピソード記憶を欠落させてしまっているらしい。幸いにも、新たな記憶は留めておけるようだが、身寄りが分からんのだ。」
「それで……どうして私の所に……?」
「子どもが多い方が、寂しさも紛れるだろう……それに、互いに刺激を与え合うことで相乗効果が期待できると思ってね……」
安心院が遊神にこの子どもを預ける理由を説明し、説得している間にその子どもは瑠璃をじっと見ていた。しばらく悩み、その横顔を見て相川は思い出す。
(あっ……こいつ、あの時割り込んで俺が蹴っ飛ばした奴じゃん……)
相川の記憶に蘇ったのはこの世界で初めて暴行を加えた相手としての顔だった。どうやら当たり所が悪かったらしい。遊神は激しい戦闘の後で集中していた相手との対戦以外の記憶が曖昧だったのか覚えていないようだ。
(……いや、相手の親は何とも思わなかったのか……死んだのかな? まぁどっちでもいいか。)
思い出した相川だが自分には関係ないことだとして放置して遊神と安心院の会話を眺める。すると視線を感じてそちらを見た。
「……何か?」
「…………君、誰?」
「相川。化物だ。」
視線の主は名前もない少年。そんな彼に端的に名前を告げると彼は瑠璃と相川を交互に見て何か言おうとし、黙った。そして相川はその様子からあることにすぐに気付いて非常に歪んだ笑みを見せた。
(あぁ、面白くなって来たなぁ……)
この世界に来て初めて明確に自分でもわかるほどの愉悦の感情で笑った相川。高須との会話などとは別口の、自らの糧になる感情の発露により彼の魔力が微々たる量だが急速に回復する。
(瑠璃はモテるねぇ……おめでとう。)
そんな思考の最中に相川は面白さと面倒臭さなど諸々の条件を天秤にかける。その他のメリットとデメリットを考えると今回は遊神の家にいる方がメリットが僅かながら大きい。
「んぅ……?」
場が一時的に盛り上がる中で瑠璃が起きると目の前の少年の感情が更に揺れる。相川からすれば渇望とも思えるレベルの感情の発露は格好の餌食だ。無言で笑いつつ漏れ出る分を喰らい、変換する。そんな中で瑠璃は周囲を見てから相川に尋ねた。
「お話、終わった……?」
「大詰。」
瑠璃には大詰の意味が分からなかったが、相川が笑っているのを見て悪い方向には向かってないと判断し、安堵して息をつく。そこで気付けば目の前にいた子を見て顔を強張らせ、相川を見てから少し怯えるようにして尋ねる。
「あなた、どうしたの?」
「ぁ、俺は……その……」
「……記憶喪失の子だ。」
(瑠璃も覚えてないのか……至近距離にいたはずなのに。子ども同士で戦ってたとかそう言う訳じゃなくて両親の争いを見学してただけなのか? それで集中して戦闘を見ていたから覚えてない……いや、母親の死とかの問題か?)
相川がそんなことを考えていると瑠璃は難しそうな顔をして可愛らしく首を傾げて相川の服の方の辺りをぎゅっと掴んだ。
「きおくそーしつ……」
「安心院先生が言うには全生活史健忘症。日常生活などを送るにあたって必要な意味記憶や行動記憶に問題はないが対人や自身を構築してきた個人歴史的なエピソード記憶が欠損、もしくは存在しているが引き出すことが出来ない状態。」
「……つまり、大変なんだね! 大丈夫なの?」
「そうだな。まぁ、大丈夫だろ。」
相川が何を言っているのかはよくわからなかったが瑠璃は大変そうだということは理解した。そんな説明をしていた相川を見て遊神は驚く。
「やはり、本物なんですか……」
「えぇ。間違いなく。」
大人の会話など気にせずに瑠璃は記憶喪失の子に言う。
「瑠璃はね、遊神 瑠璃だよ。5歳です。竜虎幼稚園のさくら組で、使う武術は遊神流だよ。よろしくね?」
「瑠璃、ちゃん……俺、俺の名前は……」
「ソラとかどうかね? 俺的に似合うと思うんだが……」
(瑠璃はラピスラズリ。その意味は群青色の空。ラピスラズリは群青色の染料としても使われるから2人で一つ的な意味を持たせてるんだが……)
「ソラ君?」
瑠璃に言われると記憶喪失の青年は満更でもなさそうに頷いた。
「ソラ……俺は、ソラ……うん。」
「じゃあ、ソラ君よろしくね?」
そう言い終わると瑠璃は全身で褒めてというオーラを相川に向けて放ちながら顔を向ける。相川は目に負けて撫でた。
「うん。えへ~」
その顔を見て遊神が嫉妬の籠った視線を向け、ソラも微妙に羨ましげな視線を相川の手に向ける。それら全体を見るのが高須だ。
「面白くなってまいりました……!」
高須の呟きと相川の心の声が一致した瞬間だった。