鞘当て
入学式が終わって。相川と瑠璃、それにクロエが相川の家に向かう中。瑠璃が急に止まると少しだけ別行動を取り始めた。
「……撒くか。」
「明日が大変だと思うので止めた方が良いと思いますよ。」
「……チッ。」
溜息をつく相川。遊神邸も今の相川たちの能力からすれば近い位置に存在しているこの状況下で自分の家を知られると瑠璃に入り浸られ、食べ物や時間、消耗品などを奪っていく姿が容易に想像できるので家を悟られたくない。おいて行きたいのだがそれをやるとまた別の問題が出来るので出来ないとなってやるせない気分でいっぱいだ。
(瑠璃がこっちに来た理由はもうわかったし、正直何の用もないんだよなぁ……)
入学式の時に書類の手続き上か何かは知らないが、護衛専門クラスに配属されていた奏楽を見たのだ。瑠璃が来たのは奴が来たからに違いないと睨んでいる相川はそこまで追いかけるなら一緒に暮らした方が良いと思うんだがと思いつつ瑠璃の好きにさせているのだった。
「……ところで、瑠璃は何しに……」
「多分トイレだな。」
「なるほど……」
相川もクロエもトイレをしないので相川の家に今から行って一人だけトイレをするのに妙な恥ずかしさを覚えたのだろうと分析するクロエ。対する相川は瑠璃が小さい頃は一人でトイレが出来ることを褒めさせようと何回かトイレに引き摺り込まれかけたことを思い出していた。
(いかんな。黒歴史だ。どっちにとっても。)
多分瑠璃が覚えていないであろうことを相川は思い出しつつ、ふと瑠璃が行った方向で瑠璃が氣を少しだけ解放して何かと戦っていることを感知した。
(……憂さ晴らしに俺もやるかなぁ……)
今日一日だけでストレスが溜まった相川は憂さ晴らしにその相手を叩き潰そうと現場に急行する。クロエもそれに続いた。
衝撃を受けた。
軽やかで美しい舞。それを踊る呼吸を忘れてしまうと言うことを比喩表現なしに行わせてしまう見たこともないような美少女。
「大丈夫?」
「あ、あぁ……はぃい。大丈夫です……」
同じ学校の制服を着ているのに見たことがない彼女の問いに少年は裏返りそうになる声を抑えつつ何とか返事をする。彼女は少年の安否を確かめると急いでいるのかすぐに踵を返してその場から立ち去ろうとしているようだ。
「ま、待って、名前を……」
せめて名前だけでも知ろうと声をかける少年。そこにまた見たことない金髪碧眼の美少女とどこかぞっとする雰囲気を漂わせた少年が来ている制服とよく似た制服を着ている黒髪の少年が現れた。
「あっ! 見て見て、ボク悪者やっつけた!」
「……チッ、少し遅かったか……憂さ晴らしにしようと……? ん?」
急いでいる雰囲気を出していた彼女は急に笑顔になって自分のやったことを陰惨な雰囲気を生み出す少年に告げて頭を差し出す。それをぞんざいに撫でつつ少年は隣の金髪の少女に尋ねた。
「……こいつらめいしゅの……?」
「そうですね。西内さんと根本さんです。」
「……めいしゅも終わりが近いのかもなぁ……まぁいい。後で嬲ろう。それで瑠璃、そっちの彼は?」
「知んない。絡まれてたから助けた。」
彼、相川は瑠璃の発言を受けて少年、郡上 翔をじっと見て何が楽しかったのかにたりと笑った。
「ほうほう。これはこれは……」
「なっ、何ですか!? あなたは……」
「俺か? 俺は相川ってもんだが……」
相川はそう言いつつ瑠璃と呼んだ黒髪の美少女とクロエと呼んだ金髪の美少女を遠ざけて翔にだけ聞こえるように尋ねた。
「お前、瑠璃に惚れたな?」
「なっ、ぁぐっ、そ、そんなの……」
ド直球に尋ねられた問いに翔は思わず口ごもった。その様子を見て相川はますます愉悦を深めたようで楽しげに笑う。
「そうかそうか。いいことだいいことだ……じゃあまず、鍛えようか。」
「えっ?」
「瑠璃ー! こいつをお前の家に連れて行ってやれ。入門希望者だそうだ。」
「え……? そうなの……?」
翔が何か言う前に話が進んで行く。呼ばれた少女は翔の方に近付きつつ訝しげに首を傾げ、相川の隣に立った。
「……いや、無理だよ……」
「ぅぐっ……」
「まぁそう言うな。」
何気ない瑠璃の言葉に翔は深く傷ついた。確かに彼は小学校の時からずっと体育は5段階評価の2。すべて出席していたのに2という結果を受ける程運動音痴だったのだ。今、彼を守るために3人を一瞬で倒した彼女とは比べ物にならない程貧弱だろう。しかし、相川の方はそんなこと意にも介さなかった。
「これから死に物狂いで頑張るってよ。」
「……ホントに死んじゃうかもしれないよ? 大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。なぁ?」
有無を言わせない絶対的強者の圧倒感。翔はそれでも死にたくないと強く思ったが、心配そうにこちらを見ている瑠璃を見てなけなしの勇気を振り絞って頷いた。
「は、はい……頑張ります……」
「……まぁ死なないように教えると思うし、弱くても頑張れば強くなるから止めはしないけど……最後の確認だよ? 本当にウチに来るの?」
強く、意思を問いかけられる質問。今度は迷わずに頷いた。
「お願いします……あ、でも最初は体験ってことで軽くお願いできたりしませんかね? あはは。」
「……多分、最大限軽くやっても普通の人は……」
「行けるって。瑠璃、こいつのことを信じてみろよ。」
「んーまぁ仁がそう言うなら……」
翔のことを信じたというよりも相川の言葉を信じた瑠璃は翔をじっと見て家に電話をかける。その間に帰ろうとした相川の制服を掴んで逃がさないようにしていると通話が終了した。
「今から良いって。固定電話番号教えたげるからナビに入れたらすぐわかると思うよ。それで仁は何で帰ろうとするの?」
「あ、ありがとう……僕、頑張ります。」
「頑張れ少年。野望を抱け。瑠璃、少年を送れよ。」
「そしたら仁の家わからないままじゃん。」
押し付けて煙に巻く作戦は失敗してしまったがそれはそれでいいことにして相川は盤石の体制を築きつつあると勝手に思っている奏楽に翔という新たな風がぶつかり、争いを始めることを期待して勝手にテンションを上げた。
「ねぇ、最近ボクさぁ顔の変化でちょっとずつ仁の考えてること分かるようになったんだけど……」
「ん? 今俺顔変えてないが……」
「ボクには分かる。今何か碌でもないこと考えて楽しそうにしてたでしょ。」
「何のことやら。」
何か恐ろしいほど鋭い指摘をしてきた瑠璃に相川は少しだけ驚きつつ翔少年が一人で遊神邸に移動していくのを見送り、溜息をつきながら途中で何度か寄り道をして気を変えさせようとして失敗し、二人を相川の自宅へ案内した。
「おぉ~! おっきい!」
「これなら皆住めますね……」
「皆って誰だよ……再度念を押すが誰にも俺の家の場所を教えるなよ?」
「はい。」
「うん。」
入り浸られることが半ば確定されながら相川は瑠璃たちを自宅に招き入れる。そこは彼らが5年生の時に使っていた自宅並みの大きさだった。
「えーと、住所は……覚えた。」
「……家主より先に住所覚えるってどういうことだよ……余所にバレるようなことはするなよ?」
「わかってるって。じゃあ荷物後で送るね? またね!」
「オイテメェ、家あるだろうが!」
去年の二の舞になりそうなことを止める相川だが瑠璃は首を傾げて相川に噛んで含めるように言った。
「あのお家、男の人ばっかりなんだよ。しかも今日また増えたし。お父さんは集めるだけ集めて旅に行ったりするし。」
「……いや、確かに年頃の女の子にゃ厳しいかもしれんが……一応、家族みたいなものなんだろ? 俺にはよく分からんが。」
「一応、ね。誰もボクのこと知らないけど。多分、ボクの好きな食べ物すら知らないと思うよ?」
「お前の好きな食べ物なんざ簡単じゃねぇか……おにぎりとか……」
相川の答えに瑠璃は何も言わずに笑って去って行った。これはあいつまた来るなと諦めた相川は黙っていたクロエを見る。
「師匠、私も……」
「……もう好きにしろよ……」
「ありがとうございます。」
どうせ相川は基本的に家にいないからまぁいいやと諦めることにしたのだった。