バレンタイン
季節は流れ、12月から2月に。立春は過ぎたと言ってもまだ寒い時期に相川は外の気温に負けない冷たい温度で国際電話を行っていた。
『いや、経過はどうであれ双方の合意に基づいてが結んだ協定に置いて重大な規約違反がある点はどう思われるのですかね?』
『此度のことは大統領も頭を悩ませており、本当に申し訳ないことをしていると仰っていました。』
『そうですか。それで?』
『目先の利益に釣られてあなた方との友誼に亀裂を入れた担当者は適切な処罰を行うということですのでどうか……』
『ですが、既に工事は進められているんですよね? どうされるんですか?』
『ある程度の金額に関して機会逸失補填させていただきますので何卒ご容赦のほどを……』
この辺が落としどころかと相川は溜息をついてそれに応じる。代わりにしばらくの間は軍事活動を行わない方針で行くと伝え電話を切った。
「はぁ……なーんでそんなことするかねぇ? まぁこっちとしてはまともに卒業式出られるからいいんだけど……っと。」
部屋の外で何かを待っているらしい存在のことを気に掛けつつ相川は会社の方に連絡を入れて今年度における軍事活動はもう行わないという連絡を入れた。電話先で確定申告の人手が増えると歓喜の声とどちらかと言えば書類の方が嫌だと嘆く声が共に上がる中、相川は電話を切る。
「ふぅ……いや~最近はなかなか人手が足りてないみたいだねぇ……まぁ知ってたけど。」
海外事業進出が果てしなく面倒なことをやっているので手続きや国家ぐるみの隠蔽などを行いつつそれが不自然でないように手を加えなければならないので通常よりも何手間もかかる行程なのに人手が足りない。相川は今回の相手の不手際に付け込んで手を引こうかどうか考えていた。
「まぁ手を引いたら信用問題になるからねぇ……あー適当な奴に会社売り渡して逃げようかなぁ……」
前回は都合良いことに出し抜いたと勘違いして引き受けてくれた人がいたのでよかったが、今度の場所ではそういう人間はいない。新しく雇うにしても洗脳、もとい斉一性の圧力をかけるのに時間が必要になる。
「それなのに、どうしてまた仕事を増やそうと言うのかねワトソン君。」
「……修羅の国で社長が作られたお食事の味が忘れられないとのことです。」
同じ部屋で仕事をしており、これまでずっと黙って書類を片付けていた犬養に相川は話題を振って大きく息を吐いた。
「知るか!」
「正直、私もその事業進出に賛成派です。」
「お前もかよ……」
人手不足は相川の会社にいる誰もが分かっており、その会社の中で重要な判断を全て行っているのが相川ということも社内の人間であればだれもが知っている。
「何でウチの事業内容からいきなり飲食店をやろうなんざ思い立ってんだ本当に……」
「社長の料理が上手だからです。正直、これだけ能力が上がると娯楽が減るんです。ですからどうか我々の為に……」
「嫌だ。」
にべもない相川。料理をするのは嫌いではないがそんなにたくさんするほど好きでもない。それよりもやるべきこともやりたいこともたくさんあるのだ。
「もう、最悪の場合味付けだけでもいいですから……!」
「どんだけ必死なんだよ……」
無表情がデフォルトの犬養が悲痛な面持ちで頼んで来るので相川は凄まじく面倒そうな顔をしながら溜息をつき、首を縦に振った。
「社長……!」
「はぁ……協力はしてやる。だが会社からは出資しないぞ? お前らが自費で出せ。」
「わかりました。」
「え?」
諦めるだろうと思っての条件提示だが犬養は普通に頷いた。これが仮に相川の株を下げるための材料にするならそれはそれで楽だからいいかと判断しつつ相川は条件をプラスする。
「2か月連続で赤字が出たらすぐに手を引く。」
「出るわけがないです。そのような条件はあるのとないので変わりありませんが、飲みます。」
「……後、会計処理とか仕入れとかも俺はやらないし、君らの業務に支障が来していると思われた時点で撤退だ。」
「大丈夫です。」
「……じゃあもう好きにしろよ。」
最早うちの会社あんまり関係ねぇじゃねぇかと思いつつ相川はゴーサインを出した。すると犬養はすぐに各所に連絡を取ってメールの着信音がけたたましく鳴り響く。相川は仕事しろよと思ったが何も言わずに自分の仕事に戻った。
「社長。」
「あん?」
しかし、すぐに犬養に呼ばれる。邪魔をされる形になった相川が不機嫌そうに応じると彼女は無表情のままに相川に告げた。
「この時点で出資金が900万円を超えたので飲食店の準備に入ります。立地は工場の近くと事務所の近く、どっちがいいですか?」
「はぁっ?」
「……あ、もしかしてこれも飲食店の業務に入るんですかね……? 分かりました。私たちの方で進めておきます。」
相川はもう本当に好きにしろよと丸投げすることにした。
社内公募で新しくできる店のロゴや名前などを募集するということまでやった犬養が出て行ったのは夜になってからだった。マーケティングのマの字も使わない余所に社員食堂を作る計画が即行で出来る様を見て何となく疲れた相川は今日一日ずっと部屋の前でそわそわしていた人物に声をかける。
「瑠璃、何か用なの?」
「終わった? もういい?」
お仕事の話と言うことで遠慮していた瑠璃が入室してくると彼女は相手を蕩かすような笑みを浮かべつつ相川の近くにやってきてはにかみながら丁寧にラッピングされたピンク色の箱を渡してくる。
「どーぞ。ボクからのバレンタインチョコだよ。」
「あぁどうも。」
相川と瑠璃の温度差によって少し気まずい空気が漂う。瑠璃はもの凄い何か期待する眼で相川のことを見るが義理なら大量に貰っている相川はお歳暮感覚で流し、その期待に気付かない。
「……え、感想は……?」
「気を遣わせて悪いな。」
「……そーじゃない……」
「あぁ、ありがと。」
瑠璃はがっかりした。もう少しドキドキしてくれるとか少しは意識してくれるとかないのかなと思う。いつもドキドキして相川が何をするにもやきもきしてる自分は空回りしてばかりではないか。瑠璃は相川のこともドキドキさせたかった。
「何?」
「……他に何か言うことない?」
「……あ、そう言えば再来週からこの家の解体工事が入る。まぁその頃はもう学校に来ないだろうからいいとは思うが「はぁっ!?」……片付けはしとけよ?」
黙って聞いていたら何を言い出すのだこいつと瑠璃は相川のことを信じられないという目で見る。色々と問い詰めたいことはあるがまずは理由から訊こうと瑠璃はじっと相川を見る。
「どうしてお家壊すの?」
「地上権を金出して間借りしてただけだからな。返すときは原状に復す義務がある。」
瑠璃には相川が何を言っているのかよく分からなかったが必要なことなのだろうと自分を納得させてすぐに思い直したようだ。
「……で、どこに行くのさ。」
「え? 家。」
「それどこ? 住所は?」
「何で教えないといけないわけ?」
「ボクがどこに住めばいいのか分かんないでしょ?」
今度は相川が何言ってるんだこいつという目で瑠璃のことを見る。しかし、迂闊なことを言えば揉めに揉めるのはこれまでの生活から分かっているので相川は適当に答えた。
「しばらくはまだこの学校の寮に住むよ。引っ越しはまだ先だからな。」
「ふーん……決まったらすぐに言ってね。」
結局、バレンタインはあまり関係ない会話に落ち着くことになった二人。そんな相川と瑠璃だったが食事の為にリビングに降りてお返しは行動でと言う名のチョコレートよりも甘ったるい空気を漂わせることになるのだった。