タダという高い物
「おぉ~師匠、凄いホテルですねぇ……」
「本当にな……うわぁ……これはキツいわ。上級国民様たちの世界だわ。」
運動会終了後、相川たちAクラスの面々は桐壷が所有するホテルに招かれていた。無言の圧力のあるドレスコードを見極めんとする受付を済ませて廊下に進むとクロエは何気なく相川に訊いた。
「こういうところの物って全部高いんですよね? この花瓶とかどうなんでしょ?」
「……知らない方が良い。一つ言っておくとするなら……絶対に触るな。」
相川の怖い表情にクロエはこれですこれ。と言って見せようと出しかけていた手を慌てて引っ込める。そんなことをしていると扉の向こう側から桐壷 真愛が現れて相川に笑顔を向けた。その雰囲気はまさに王者の貫録を見せつけんばかりのもので、零れる笑みは薔薇のようだ。
紅を引いた彼女の花唇から涼やかな音色が紡がれる。
「こんばんは相川さん。そのスーツお似合いですわね?」
「こんばんは真愛。君のドレスも似合ってるよ。カジュアルな色が君をとっても映えたたせてる。」
相川のまさかの返しにクロエはギョッとして相川を振り返るが彼は普通に薄い笑みを浮かべているだけだ。その言葉を聞いた真愛は同じく薄く笑って口を開く。
「……お上手ですわね。それでしたら恐らく大丈夫です。」
「まーね。これでも一応社長やってるし。」
クロエが一瞬私はどうすればいいのだろうとパニクっている間に二人の間の空気は弛緩し、教室にいるころの雰囲気に戻る。そしてここで何をしていたのかと言う質問が真愛から繰り出され、花瓶の話になった。そこで真愛はクスリと笑って相川に尋ねる。
「では相川さんはこれを何だと思われるのでしょうか?」
「……怖くて触りたくないから裏の印は見てないが……絵の色彩と遠近感。それに立体感や台が紫檀で掘り上げられてることから乾隆年製の花瓶じゃないかと……」
「正解です! まぁ目が肥えていらっしゃること……因みにこれは皇帝ゆかりのお品でして、通常価格で1億はくだらないとされてますわ。」
クロエは驚いて固まった。しかし、真愛は楽しそうに続ける。
「ですがお父様は吊り上げられていると分かりつつもムキになられて30億円で落札されましたの。」
「さんじゅ、おく?」
聞き間違えかとクロエが返すと真愛は楽しそうに頷く。
「えぇ。いい物を買ったとお母様に自慢してなんて無駄遣いをと怒られてましたわ。手数料だけでも億でもうカンカンでしたの。」
「……俺の去年の年収が4億なんだが……」
「ししょ、ここ、高い、怖い、デス、帰りたい、デス。」
相川も相川で大概だが、この場所ではさほど珍しくないらしい。結構頑張ってるんだけど貯金全額はたいても足りないなと思いつつ相川は幼児返りを果たしそうなクロエの手を引いて移動する。
「ではエスコートをお願いいたしますわ。」
「クロエ、意識は取り戻したか?」
「……あ、はい……多分、大丈夫です。お部屋の中には高価な物はないですよね……?」
恐る恐るクロエは真愛に尋ねる。真愛は頬の下に手を当てて首を傾げて逆に質問を返した。
「お幾らくらいから高いと思われるのでしょうか? そんなに高価な物はないと思いますが……」
「……1000万からは結構高いし、キツい。」
「……まぁ、壊さなければ大丈夫ですよ。最悪、私が払いますので。」
ある。確実にある。クロエは相川のことを見上げながら何かに触って怒られることがないように袖を少し握って離れなくなった。
「どうなされたのかしら?」
「……庶民の悩みだよ。」
「グループの御令嬢でしたよね?」
「君等ほど規格外じゃないし、基本的に寮住まいだからね……」
よくもまぁこんな高級品が揃うホテルが小学生の運動会の打ち上げ場所に選ばれたものだ。来るまでは美味しい食べ物があるんだろうな。タダだから遠慮しないでいっぱい食べていいのかなとわくわくしていたクロエだったが既に帰りたくていっぱいだ。
「まぁ触らなければ問題ありませんから。行きましょう?」
「だね……」
「ししょぉ……」
半分本気で半分演技のクロエは都合よく甘えられると下心を抱きながらパーティ会場へと足を運んだ。そこはこの前相川が呼ばれた異世界とはまた違う意味で異世界だった。
(……ここ爆破したらどうなるんだろ。)
煌びやかな部屋を見てそんなことを考えながら桐壷グループの御令嬢をエスコートする男。どのような男か見定めようと談笑していた者たちも会話を途切らせることなく、視線を動かすことなく相川のことを遠目で眺める。
「……クロエ、これは結構マズイぞ。離れろ。」
「ひゃっ、はい……」
後ろを歩いていたクロエも飲まれる雰囲気の違いに相川は声をかけることで意識をここに呼び戻した。真愛は慣れているようで堂々としつつ女王のように凛と進み、相川に子どもたちが集まるスペースを知らせる。そんな3人の行く手を阻むかのように一人の男性がこちらにやって来た。その傍には見たことのある少年までついている。
「やぁ、君が娘のよく話す相川くんだね?」
「えぇ、初めまして。相川 仁です。」
「お父様、それにお兄様も。」
相川もクロエと同じく帰りたくなった。タダ飯を食いに来たつもりだったのに自己紹介を終えるといつの間にか商談が始まっている。相川はそんな事よりマグロが解体されている場所に行ってお刺身が食べたかった。
「君は今後どういった事業展開を考えているんだい?」
「基本的には人材派遣を軸にそれで集まった情報をサービスとして提供しつつその中でビジネスになりそうな物に目を付けて開発していく状態ですね……」
正直もうどうでもいい話を切り上げて相川はさっさとシェフが目の前で焼いている伊勢海老とアワビの鉄板焼きの方に行きたかった。ソースの香りが相川のことを誘っているのだ。
「情報サービスか。目の付け所は悪くないが今はベンチャー企業がニッチを埋めている。今後の市場分析なんかも見通しはついているのかな?」
「まぁ……提供先が既に決まってるんで在庫を抱えることがない辺りクローズドマーケット気味なんで市場動向は正直……スタイルとしては基本有料会員からお金貰って情報提供していく方向で動いてますね……企業側からお金をもらってその会社に有利な情報を提供するんじゃなくて正確な情報を提供していくことを主にやってます。ついでにそれで足りないと思った部分をウチで提供してるのでまぁ成長性はあると思いますよ……」
心底どうでもいい話だ。それより粒一つ一つが輝いているかのようでしっかりとした形を残しているご飯にその豊潤な肉油を乗せきったフォアグラを丁寧に焼き上げて乗せ、この国を故郷とする者の味覚に合うように醤油ベースの照り焼きソースをかけ過ぎないようにかけてこちらを誘惑しているフォアグラ丼が食べたい。
「……ふむ。まぁ実際に利益を上げている辺り真愛の相手として及第点はあげられそうだね。何より真愛が好いて「お父様?」……ハッハッハ。子どもの話に大人が混ざってもいかんな。確認したかったのは君の将来性だ。十二分に合格だ。何かあったら私に連絡すると良い。」
相川は桐壷の父と思われる人物から名刺をもらった。周囲から更なる好奇心飲めなどがむけられたり名刺を羨望する眼差しが向けられるが相川の目はオリーブオイルをベースとした特製ドレッシングのかかっているタイのカルパッチョが乗ったサラダに向いていた。
「もう、相川さん? 父が言ったことはあまり気にされないようにしてください。」
「うん。まぁ真愛もお腹空いてるってことだけは理解した。」
「そんな話……あぁ……凄い思考回路してますのね……まぁそれでいいですわ。」
真愛が好いてを真愛が空いてと変換して勝手に補った相川のことを何とも言えない目で見た後、一行は子どもたちのパーティに交ざって連絡先の交換などを今更やったりして慰労会を行った。