相川くんの協調性
本日2話目です。
相川が朝、ソファで目を覚ますと右手には漆黒の、左手には金色の可愛らしい大輪の花が咲いていた。それを見て思わず相川は舌打ちして呟く。
「ベッド誰も使ってねぇのかよ……ソファで寝て損した……おら、起きろアホども。」
このままでは起きられないので二人を起こすと二人とも少しだけ抵抗するがすぐに起きて相川に挨拶する。
「おはよ……」
「おぁよぉごじゃいましゅ……」
「あぁはいはい。おはよう、退いて?」
相川に挨拶した二人は次いでその向こう側にいるお互いに挨拶代わりの拳を放って両者それを受け止めると何事もなかったかのようにソファから身を起こして退いた。朝から元気だなこいつらと思いつつ相川も身を起こすと固まっていた体を伸ばし、朝食の支度に入る。
「んっぅ……ふぅ……? 師匠? まだ4時ですよ?」
「お前らの所為で起きたんだよ……これ終わったら俺は二度寝する……」
「えー朝稽古しよーよぉ……」
「私は師匠と一緒に二度寝します。」
「……寝かせないもん。」
何かにつけて張り合う二人を見ながら適当にグリルを使ってカラフトシシャモを焼いてフライパンで出汁入りスクランブルエッグを作り、買い置きの漬物を切ってから味噌汁を作ると相川はクロエに言う。
「ししゃもは焼けたらひっくり返して取り出しておいて。俺はもう寝る。」
「ふふっ、二度寝できないねー?」
「別にいいです。任されました師匠。」
「……喧嘩すんなよ?」
言うだけ無駄かなと思いつつ相川はそこから3時間の睡眠をとった。その間にランニングと朝稽古、それにシャワーを済ませたクロエと瑠璃。そして朝稽古に寝坊した奏楽と共に朝食を摂ることになる。
「これ美味いな……作った人はいいお嫁さんになれると思う……」
「止めろキモい。作ったの俺なんだぞ……」
朝食時、奏楽と相川の間にこんな一幕があったりしたがその後は15分ほど朝のニュースを見てから登校した。
職員室に着いた一行はすぐに担当教員の下へと連れて行かれてクラス分けの話に移る。
「えー、我が校では学年ごとに習熟度別でクラスを作っています。5年生の最高クラスともなれば全員義務教育レベルの学習は終わっているのですが、誰か行ける人はいますか?」
「義務教育ってどれくらいですか? 私、大体の科目は大丈夫と思いますが、算数が苦手で……一応師匠に一般位相幾何学を習い始めた所なんですが……」
マウンティングを取るように自校のレベルの高さを誇らしく言う教員に普通に答えるクロエ。相川は位相空間論とか幾何学的トポロジーとかを中学生で習う訳ねぇだろ……と呟いて相手の出方を窺った。
「ま、まぁそこの子はレベルが高いみたいですね……では、その子が一番レベルの高いAクラスということで良いですかね?」
「え、師匠はどうするんですか?」
「……俺は別にどこでもいい。」
「は……は? し、師匠とは教員でなく、そこの子……?」
クロエと相川の会話から察した教員が何故か笑みを浮かべながらそう言うとクロエは追撃のように笑顔で答えた。
「ドイツ語で喋って貰わないと分からなかったので、師匠に教えてもらいました。日本語も師匠に習ったのですよ。」
「バカな……」
「バカじゃないです! すっごく、頭がいいんですよ!」
「そういう意味で言ったんじゃないんだけどねぇ……」
どうでもいいコントをやりながらクラス分けが行われ、相川とクロエがAクラス、瑠璃がBクラス、奏楽がCクラスということで落ち着いた。その後は各クラスの担任に引き継がれ、一行はクラスごとに分けられる。
相川とクロエの担任はまだ若く、美人の女性教員だった。
「初めまして。相川くんと言うのね? そちらはクロエさんでいいのかしら? よろしくね?」
「はいよろしくお願いします。」
「よろしくお願いします。」
簡単な挨拶が終わった一行は他の教員や生徒たちに話が漏れるといけないので応接室へと移動する。相川とクロエ、そして女性教師はそこで面談を開始した。
ここで、相川が彼の協調性を開示し始める。まずはクロエも見たことがないような自然な笑顔を見事なまでに作るとクロエが驚いて顔をそちらに向けるほど優しげで耳触りのいい声で相川は口火を切った。
「そんなに気を張らなくていいですよ?」
「……あら、ごめんなさいね。気を張ってるように見えたかしら? 気を遣わせちゃってごめんね?」
相川と女性教員、丹羽の会話の応酬が始まりそれを傍で聞いているクロエは相川は年上好きでこの教員を口説こうとしているのかと驚愕の思いでそれを見ていたがその風向きは途中から変わる。
「大変なんですね……」
「そう、なの……若いから多少無茶は効くでしょって……イヤラシイ体してるんだからそれを使ってでも子どもたちのモチベーションを上げろって……」
(師匠は何をしてるの……?)
丹羽の愚痴を引き摺り出した相川はそこから相手のことを否定せず、発言の節から相手の感情を読み取り、その感情を触発させるワードを相槌に混ぜ込むことで会話巧みに更なる情報を得ていきその情報から新たな問題を引き摺り出して相手の心情を吐露させていく。
「もう、プライベートなんてないのよ……学校に電話があって帰宅してると何でもう帰ってるんだとか言われて……逆に異様なまでにプライベートに割り込もうとしてくる父兄もいるし……生徒の父兄たちも失敗なんかしたことない人たちで、程度も分かってないし……」
相川は聞き役に徹する。ここで解決策を出すのは相川にとって簡単だが、現時点で相手が求めているのは解決策ではない。愚痴を通して自分の辛さを分かってくれる相手だ。まだ弱みを吐き出させていない。自己開示欲求を満たしていない。もっと吐き出させることが必要だ。
「相手の方が社会的立場が高い上、職場もそれをひた隠しにして板ばさみなんですね……しかも、相手には顧問弁護士を雇う余裕もある家ばかりで……」
「そうなの……もう、私……」
相手が抱える問題を再提示してその問題で相手が認識していなかったプレッシャーを確認させ、重圧を感じて自分で自分のことを潰す寸前に行くまで追い詰める相川。あくどい笑みを普通ならば浮かべるものだがどこまでも同情している優しげな顔をしている。クロエは色々言いたいことはあったが、相川の合図で黙ってこの場を見送っていた。
そして、朝のホームルームが始まる5分前ほどになって相川は意識的に会話を途切れさせる方向に持って行き、沈黙でこの場を支配させた。黙ってうつむき、少しだけ震えている丹羽。そんな彼女に相川は救いの手を差し伸べる。
これまでの相手の話から責任感が強い人であることをはひしひしと感じられた。
それを踏まえて、本人も決して低くないレベルの大学を自らの努力で奨学金を借りてまで頑張って勉強して卒業したのにも拘らず、職場では顔で選ばれたと噂される周囲との学歴差で生じているコンプレックス。また、友人たちに相談しようにもその友人たちもそんなの贅沢だと言って取り合ってくれないストレス。自生活への時間が減って恋人とも別れ、更にストレスが圧し掛かり、生徒たちとのコミュニケーションも取れていない状態。
これらの状態を一度整理する。今度は解決策を全てではなく一部、最適解ではなく彼女が欲しがるような物を提示して優しく微笑みかける。
「……もう、我慢しなくていいんです。一度泣いてみたらどうですか? ここは防音もしっかりしているようですし、私たち以外誰もいないんですよ。」
「う……」
壊れかけの彼女を叩き壊すのは簡単だった。巧言令色、甘言で心の隙間に入り込み相手を大泣きさせてストレスを一時的に発散させる。その間、相川は抱き枕になっていたがその辺は仕方ないだろう。
それが終わった後、化粧直しに少し退席した丹羽を見送り、相川は軽くドヤ顔でクロエに告げる。
「見ろ、俺にも協調性あるだろ? 全く……権正の奴も見る目ねぇなぁ……」
「……こんな時、何と言えばいいのか分かりません……」
クロエは答えるのを諦めて静かに視線を逸らした。