5年生
「あー、お前たちに今日集まって貰ったのは少々留学に行ってもらうからだ。」
5年生に進級した相川、奏楽、瑠璃、そして6年生になったクロエに権正から告げられたのはこんな言葉だった。思わず意味が分からないと言う顔になる一行だが、権正は説明もしていないのに勝手に進めるなよと言う顔をしながら説明を入れて来た。
そして、その説明を簡略化するとこういうことになる。
「……要するに、国内の上級国民の子女が通う学校にボディガードの繋ぎとして入学して欲しいってことですか。」
「まぁそういうことになるな……その間に取得予定だった単位はこちらの方から出すから頼まれて欲しい。相川、お前は強制だ。」
「あ゛? 何でですかねぇ? 正当な理由がない場合は差別主義の職権乱用者として訴えますけど。」
忌々しそうに相川が権正にそう答えると彼は微妙な顔をして答えた。
「お前は一度外の暮らしを知っておかないと将来大変なことになりそうだからなぁ……知ってるか? 人殺しはいけないことなんだぞ? しかも、人体実験もやってはいけないんだ。」
「……あーた俺のことなんだと思ってるんですか……? これでも俺、この学校の中じゃ常識人と思ってますけど……」
毒気を抜かれた相川。まぁ普通の授業を適当に受けているだけで全ての単位を取得できる上、報酬まで払われるのであればそんなに悪い条件ではない。
「相川が常識や協調することを学ぶのと同様、全員にそれぞれ課題がある。例えば奏楽、お前は少し理想が高過ぎる。もう少し現実的なことを見て周囲に合わせた行動をとることも必要だ。それを学んで来るといい。」
「……はい。」
「クロエは……まぁ、言葉が分からんから俺も良く分からん……相川と頑張れ。」
『ワザとですよ? あなたたちと喋りたくないので。』
『煽るなよ……』
微妙に落ち込む奏楽とドイツ語で相川を目の仇にする権正を嫌っているということをストレートに言いまくるクロエから瑠璃に目を移す権正。瑠璃は何を改善すればいいのかな? と言わんばかりの純真な眼差しをこちらに向けていた。
「……遊神、お前は……もっと周囲を見ることを大事にできると良いな。」
「頑張ります!」
相川に向けてアピールする瑠璃。アピールする相手が違うだろと思いながら相川はクロエを宥めて権正の方を見る。すると彼は札束を取り出して一行の前に出した。
「あー、4人には学校近辺の一軒家を貸し出してある。トレーニングルームはそれなりに充実させているぞ。そして生活費は月に100万ほど予算が降りるから半年で600万だな。足りなければ言ってくれ。」
「……多過ぎでしょ……まぁくれるものは貰っておきますが……」
やはり自分の方が常識人だと頷いておく相川。それに対して権正は続ける。
「家事については学校に行っている間にハウスキーパーを入れる予定だからしなくてもいい。詳しくは現地に着いてからだがな。それと護衛の優先順位的に個人資料なんかも送っておくから目を通しておくようにな。それじゃ解散。」
「はい。」
「はーい!」
「Halt dai Maul」
「クロエ、お前のそれ違う。」
それぞれの反応を示して一行は退出した。それを見送り、権正は溜息をつく。
「はぁ……向こう側の言い分でこちらの生徒を減らすことになったが大丈夫だろうか……いや、戦力的には確実に大丈夫どころか過剰かもしれないとまで言えるが……まぁ、向こうが先に不当な要求をしてきたのだからこれ以上はいいか……」
Aのスリーカードに加えた最後のカード、相川のことを思い出しつつこれ以上はなるようになるだろうと何も言わずに見送る。全員が退出した後、職員室内にある給湯室でコーヒーを淹れていると留学先の小学校と取引している先生から声をかけられる。
「権正先生、例の件は上手く行きましたか?」
「えぇ……たった今。」
インスタントのコーヒーの粉末にお湯が入り、辺りにいい香りが立ち込め始める中で男性教員二人は会話を始めた。
「毎年何も起きないんだからもう引き継ぎも必要ないとか言われた時は焦りましたけど、4人が承諾したのであれば引継ぎまでの間は大丈夫そうですね。」
「……まぁ、今年も何事もなさそうなので、出来ればこの学校の授業を真面目に受けて欲しい所なんですがね……」
権正の返しに相手の教員は少し声のトーンを落として言った。
「それが、今年はきな臭いんですよ。」
「……どういうことです?」
コーヒーを飲もうとする手を止めて権正は目を細めて相手を見据える。彼は周囲を少し気にするそぶりを見せてから告げた。
「護衛しやすいようにこちらに提出してもらうファイルがあったじゃないですか。それを受け取った時に何枚かコピー用紙が違う気がしたんですよね……訊いてみると古いのと新しいのを混ぜて事務員が入れたのかもしれませんね。新任が入ったので。と済まされたんですが……」
「……まぁ、気のせいと言うこともありますからね……それに、実際に金庫がある訳でもないただの学校ですから……」
「そう、その認識で相手に危機意識がないのが問題なんですよ。こちらから探りを入れると鬱陶しそうにされて警戒されて情報が引き出せない。はぁ……即物的なものはないにしても、身代金にすれば相当額稼げますよ!」
「ですが、費用対効果を考えるとどうしても、ねぇ……」
権正もまともに取り合ってくれないと判断したのか、相手は溜息をついて「その費用にかかる護衛役が減ったらコスパ上がるのは自明じゃないですか……」と呟いてから一気にコーヒーを飲み干し、給湯室から出て行った。
権正はそれをただ黙して見送るだけだった。
「……にしても、俺に協調性と常識を学べなんて失敬な……」
職員室を出た相川は憮然としてそう呟くがこの場にいた全員が最早何も言わずにそれを否定する空気を生みだして相川を生ぬるい目で見た。
「……何だその目は。」
「お前の発言に呆れてるんだよ……お前がそんな自信満々だったら俺も出来てるはずと思ってたのが出来てない気になって来た……」
「流石に、ちょっと……無理があるかなぁ……?」
『協調性があったら一人で危ないことをやった上に助けようとした人を追い払ったりしません。』
全員の反論を受けて相川は更に憮然としてならばと切り替えた。
「じゃあ俺の協調性見せてやろうじゃねぇか。全員のプロフィールから暗記だな……」
「無理しなくていいぞ。俺、お前のことあんまり好きじゃないけど向いてないことを無理にやらせようと思うほど嫌いでもないしな。」
「協調性見せたいならまずはボクとの接し方変えるところからじゃない? もっと優しくしてよ!」
「皆さんがそう言うと師匠意地になるので……」
クロエが止めるが相川はもう止まらない。この後のプランを勝手に作ると一人でさっさと帰ってしまった。それを見て奏楽が失笑する。
「もうできてないじゃないか……」
「頑張るのはいいけど、まずはボクともっと仲良しになれるようにするところからだと思う。」
『……瑠璃のは自分の欲望でしょうに……』
『何か、言った?』
「!?」
まさかの瑠璃からのドイツ語に面食らうクロエ。瑠璃は悪戯が大成功した子どものように笑ってたどたどしい言葉で続ける。
『これで、ボク、除いて、話すこと、できない!』
『……まだまだですけどね!』
そう言ってクロエもこの場を離れて一行は引っ越しの準備を行うことになった。