水色の恋は始まらない
ジリジリと肌やコンクリートを焼く太陽の下で、数少ない日陰に身を寄せながら鉛筆を持つ。
スケッチブックにひたすら鉛筆を走らせて、線を描き形あるものに変えていく。
「……いい体」
ポツリと呟いて彼を見る。
引き締まった筋肉にしなやかな動き。
人間の中の美術品だ。
見ているだけでドキドキする。
パシャッ、と跳ねる水が太陽に当てられてキラキラ光る。
これでプール特有の塩素臭さがなければもっと楽しめたような気がした。
何度来てもこの匂いには慣れない。
「今日も熱心だねぇ」
ぽふり、と頭に手が乗せられて声が降ってきた。
視線を上げた先には水着に部活ジャージのお姉さん。
女子水泳部の部長さんだ。
彼女も彼女でとてもいいスタイルをしている。
きゅっと引き締まった手足に程よくついた筋肉。
それでも女らしい胸やお尻にはハリがある。
うちの学校の水泳部は男女合同で練習をすることが多いらしい。
理由はプールが一つしかないから。
勿論別々に練習をすることもあるが、合同で同じプールを使っている方が多い。
「部長さんもいい体です」
グッ、と親指を立てて宣言すれば苦笑された。
スポーツする人なら体を褒められて嬉しくないはずがないと思うのだけれど。
そう思いながらも、再度目的の人を見ながら鉛筆を動かした。
紙と鉛筆の擦れる音が好き。
ひたすらに書いている時にある無音が好き。
目に映る世界が輝いて見えるのが好き。
絵を描くのが好き。
「彼のこと、好きなの?」
ボキッ、と虚しい音がした。
スケッチブックに強く押し付けてしまった鉛筆は、物の見事に折れていて使い物にならない。
いや、削れば使えるけれど鉛筆削りなんて持って来ていないから。
「えっと、何て?」
「だから、彼のこと好きなのかって」
「いや、えぇ?」
何でそうなったんですか、と言いながら私は部長さんを見上げた。
部長さんは壁に背をあずけて、スポーツドリンクを口にしている。
「貸して」
部長さんがスポーツドリンクを置いて、私のスケッチブックを要求した。
別に見られて困るものでもないし、むしろ水泳部にモデル協力をしてもらっているのだから見せても問題はない。
一度閉じてから表紙を向けて渡した。
そのスケッチブックに目を通している間に、筆入れの中から予備の鉛筆を取り出しておく。
余分に持って来て良かった。
「あぁ、ほら。こういうところ」
ペラペラとスケッチブックを捲りながら言う部長さん。
私は座っていて部長さんは立っているので、自分の位置からは何を指して言っているのか分からない。
立ち上がろうとすれば、部長さんの方から屈んで私の前にスケッチブックを持ってきてくれた。
そして開かれているページ。
至って普通だ。
水泳部の皆さんをモデルにシャカシャカ描いたもの。
良く分からずに首を傾ければ、部長さんは焦れたように「ほら!これとかこれとか!」とあれそれと指を差す。
しばらく部長さんの細くて白い指が指し示す絵を見ていたが、何のことか良く分からない。
更に首を傾けていくと、ゴキッ、と骨が鳴った。
「この異常な量の彼を見て恋だと思わない人間がいるの?!」
「ここにいますけど」
何だか部長さんのイメージが変わる。
クールでお姉さんお姉さんって感じだったのに。
何かネジの外れた人みたいになっていた。
もういいか、と聞きながらスケッチブックを返してもらいまた絵を描き出す。
時間が許す限り描いていたいと思うのは、本当に絵が好きな証拠だと思いたい。
だから、やっぱり、彼を描いているのも絵にすると素敵だから。
絵描きに恋は、要らないの。