『桶狭間』 その前に!! そうだ、京都へ行こう!(上)
前回の桶狭間はいかがでしたかね?
今回時間が多少戻ります。
主人公龍興の物語りに戻るわけです。
時間が少しだけ、半年ほど巻き戻ります。
1560年という年は、戦国時代に在ってひとつの大きな転換点となる年である。
現代から見れば、戦国時代で最も重要な年であると言えよう。
尼子晴久、長宗我部国親らが、この世を去り、石田三成、直江兼続が生を受けた。
浅井長政が、飛躍したのもこの年でもある。
そして最大の出来事は、やはり『桶狭間の戦い』であろう。
俺は、信長の躍進に 『 待った 』 をかけるべく行動を開始した。
成長を遂げた俺は、『No!(ちょい待ち)』と言える男なのだ!
― 竜興の元服 ―
永禄3年(1560年)
新春
”ちゃん、ちゃららら~ らららぁ~♫”
『初春を寿ぎ、皆様方にもお喜びを申し上げます!』
さあ、ようやく12才になったぞ、少し早いのだが、俺は父にねだって元服した。
なぜなら、俺も、もう立派な男であるからだ。
『信長のご要望』を阻止するためには、今のタイミングがギリギリなのだ。
これ以上手をこまねくことなど出来ない。
元服の烏帽子親は、前の守護 土岐頼芸(お祖父様である)がつとめてくださった。
稲葉山城の城下の屋敷で、元服の儀が執り行われた。
美濃各地から、守護代・城主・国人・地侍・僧・その他、名や地位のある方がお祝いのために大集合してくれた。
儀式は、美濃の守護 『土岐家』としての格式であり、将軍家からの使者もいただいた。
正式に、『土岐竜興』 と名乗ることとなった。
配下に、明智氏、竹中氏、安藤氏他を付けて貰いました。
大勢の方々、美濃の仲間、民衆に祝福されて俺は幸せであります。
というわけで、御報告とお礼のために、将軍足利義輝公に拝謁いたします。
まあ、いわゆる『上洛』という奴です。
あの信長に先んじて上洛出来るのか、と思うと感慨深いです。
― 竜興の上洛 ―
雪解けを待ちます。
3月吉日
お供を引き連れ、一路 『京の都』 を目指します。
すでに、先触れは出してあります。
浅井家、六角家が友好国ですので、京の都まで何も障害はございません。
と云うわけで意外と気軽な旅であります。
逆に言えば、信長の場合は上洛しようとすれば、道中全て敵対勢力なんですね。
「はははっ」
思わず笑っちゃいます。
「信長ざまぁ!」
暗躍した甲斐がありました。
多少気がかりなのは、浅井久政の息子の賢政(後の長政)の動向くらいかな?
彼は、反体制派の『自己中戦士』です。
もういい大人なのに、酷いですねぇ。
親の顔が見たいです。
さあ、出掛けましょう。
城下を出発する際は、大勢のお見送りがありました。
領民の皆が、俺を祝ってくれるのだと思うと、気合いが入ります。
姿勢を正しカッコを付けて、いざ出張です!
領内の見聞がてら、ゆっくりと旅に出ました。
ここ数年で、美濃の情勢は急速に安定しております。
おかげで、町は活気づいておりますし、村人も明るい表情です。
『信長の侵攻がない』というだけで、皆がこんなにも幸せなんだと思うと頑張った甲斐があります。
― 西濃 ―
道中 『南宮大社』に、立ち寄ります、旅の安全の祈願をお願いいたしました。
もちろん、他の寺社にも気を配りましたが、ここは別格です。
そう、別格なのです。
旅の安全の祈願して、
太刀を奉納いたしました。
― 浅井領 ―
関ヶ原を抜け不破の関を越えると、そこからは浅井家の所領です。
竹中重元の意識を犬山周辺に向けさせているので、浅井との不和もなく友好を保っています。
おかげで、山間の難所をなんの心配もせずに難なく通過出来ます。
俺も、ゆくゆくはここを攻略するのでしょうか?
ある意味ここを攻めるというのは、天下を狙うと言うことですね。
「もしここで戦闘になったならば」と思うと、ぞっとします。
狭い山の隘路ですから、『桶狭間』なんてめじゃないです。
まあ、『桶狭間』は、一見死地では無さそうでガッツリ死地という場所です。
対して、こちらは天然の要害ですね。
正気であれば、はなから攻める気なんて起こりません。
地形的には、難易度最大です。
(ここを無事に通過するには、関ヶ原に大軍を集結させた上で、近江側に圧力をかけ士気を砕かなくては無理だな。
後、考えられるのは計略・調略だろうな、半兵衛が得意そうだ。
大義名分無しに、気軽に通過するなど考えにくいな。)
一見難易度の低い場所が死地であるという点では、『桶狭間』は、着眼点が秀逸です。
難易度MAXの、ここ不破の関に引き込まれる馬鹿はいませんからね。
そのようなことを思案しながら、無事柏原の宿に着きました。
柏原の宿では、浅井久政殿の配下の赤尾清綱殿が、もてなしてくださいました。
普段、赤尾屋敷で小谷を護る重鎮を派遣していただきビックリしました。
流石は、久政殿です。
上洛を急ぐ旅ですので、帰りに寄らせていただきます。
― 観音寺城 ―
流石は、近江の覇者、六角家です。
城下町はすごく賑わいを見せています。
観音寺城では、新当主に成られた六角義治様に持て成していただきました。
彼は俺の、義兄となります。
その人となりを確認することは、今回の上洛の案件のひとつでした。
まあ、多少性格が単純で子供っぽいですが、思っていたほど悪くもなかったです。
人生経験が、足らないだけでしょう。
自宅警備員とニートとは、全くの別モノです。
しっかり、『理論武装という心の装備』をしていなければ、怠惰な豚になり果ててしまいます。
似たような境遇ですが、要は心構え次第なのです。
というわけで、数日義治氏とは腹を割って語り合いました。
残念ですが、彼は一般人の坊やでした。
でも、『国を護る・民を守る』ということについては、お互い合意出来ました。
まあ、ニートでは無かった、それだけでも充分です。
さあ、京の都を目指しましょう!
義治氏のお父上である六角義賢氏が、案内をかって出てくださいました。
有り難いことです。
これも、お爺ちゃんのおかげです。
実を言うと、土岐家と六角家は、古くからの親戚なのです。
お爺ちゃんが、六角定頼公(義賢さんのお父さん)の娘を娶っております。
「はあ~、ご縁ですね!」
さあ、明日は京都です!
ご感想、お待ちしております。