『桶狭間の戦い』
今回は、信長サイドの物語です。
『信長公記』をベ-スにした、多少真面目な作品です。
( もちろんこれは小説です。)
― 七重八重 ―
永禄3年(1560年)5月
今川義元が4万とも云われる軍を動員した。
大高城への後詰めにしては、少しばかり規模が大きかった。
織田信長が尾張の統一に手こずっているのを察知して、尾張の経済力を狙っていた。
伊勢湾の交易の独占が、主な狙いであったようだ。
蟹江を奪ったのもその為である。
「今川が攻めてくる!」
その噂で、清洲の町 いや、 尾張中が騒然となった。
「きいたか?」
「聞いた聞いた、今川がすごい大軍で攻めてくるらしいな」
「ほんとじゃろうか?」
「じゃろうな」
「はたして勝てるのじゃろうか?」
この時の尾張の状況はというと。
信長の尾張の統一は難航していたが、幸いにも岩倉、美濃は平穏を保っていた。
岩倉の織田信賢は、領地の保全・防衛はおこなうも、自ら積極的に仕掛けてくる気配はない。
土岐義龍も、現状は静観を決め込んでいた。
北からの脅威は、案外薄かった。
信長は今川に対抗して知多半島・西三河を織田の影響下に戻すべく画策していた。
そして現在は、奪われた大高城を攻めさせている所だった。
今川の襲来は、大高城の救援を兼ねてのものである。
17日、今川義元勢の先陣が、沓掛に着いた。
翌18日、松平元康勢が強行し、大高城へ兵糧を運び込んだ。
この一連の動きから、佐久間大学や織田玄蕃は、
「今川勢は明日の朝方の満潮という援軍の出しにくいタイミングを見計らって各砦を攻め落としにかかるに違いない」と予測した。
夕方には、清洲城の信長の元に丸根・鷲津の両砦からの注進が届いた。
しかし、その時信長は特に追加の指示はしていない。
夜まで雑談をしただけで平静であった、そればかりか気を揉む家臣に解散を命じてしまった。
家老たちは、……
「こりゃいかん最早、策無しじゃ」
「明日は、籠城の用意を進めねばなりませぬな~」といいながらも、この日は帰って行った。
19日、家臣の心配は的中し、夜明けになって鷲津砦・丸根砦が今川勢に囲まれたとの報が入った。
注進を聞いた後、信長公は奥に入った。
「誰ぞ、鼓を持て!」
「では私めが」
正室の濃姫が、かねて用意しておいた鼓を取った。
濃姫も信長の胸中を察してか、あえてそれ以上の声はかけなかった。
”ポン、ポポポン”
鼓の調子に合わせ、信長は悠然と幸若舞 『敦盛』 を舞い始めた。
” 人間五十年~ん 下天の内を くらぶればぁ~っ 夢、幻の如くなり~
一度ぃ生を得てぇ~ 滅せぬ者の~ あるべきか ”
信長は、舞いながら決断をしていた。
(さて如何したものか。)
信長には、ひとつだけ腹案があった。
ある意味、おお博打である。
敵の大将首 ただひとつを狙うのだ。
暗殺は、すでに失敗している。
今川の軍勢が、尾張の大高城、織田方の砦を目指すには、行軍に不向きな桶狭間という山間の田園、窪地を通る必要がある。
『桶狭間こそが、少数の兵で敵本陣を狙える場所である』と、織田信長は以前より目をつけていたのである。
父信秀以来、三河との国境付近は織田家との係争地なのだ。
領内も含めて、地理には精通しているのである。
― 清洲城表御殿 ―
「出陣の合図じゃ、貝を吹けい」
「さっさと具足をもってこい、それと湯漬けじゃ!」
と、たて続けに命令を下した。
心得ていたかのように、湯漬けが差し出される。
もちろん討ちあわび、勝栗、昆布もすべて、濃姫の差配により用意されていた。
「うむ」
慌てて引き出された具足を小姓に身につけさせながら、立ったまま湯漬けを掻き込んだ。
”がさがつっずずずっ”
咀嚼する手間すらも惜しむかのように、そのまま飛び出していった。
信長は、兜を被って馬にまたがり、単騎で城門を駆け抜けていってしまった。
「殿が、御出陣でござる」
「「「出陣じゃ、遅れを取るな~」」」
この時、信長の急な出立に間に合い後に従ったのは……、
岩室長門守・長谷川橋介・佐脇籐八・山口飛騨守・賀籐弥三郎の小姓衆わずかに五騎であった。
とても出陣とは思えぬ僅かな手勢
見送りのものすらまだ集まっていない。
途中信長を見かけたものは、朝が早い老人ぐらいであった。
老婆が、稲荷神社の横で腰掛けている。
近所の稲荷詣での帰りのようだ。
(そうだ、これは使える。)
「熱田に参る!」
信長が叫んだ。
主従六騎は、熱田神宮まで一気に駆けていった。
辰の刻(7時)ごろ、東の空に方に二条の煙が立ち上っているのを見て、信長公は鷲津・丸根の両砦が陥落したことを知った。
(…すまぬ) 信長はそう呟いたであろうか…?
信長は、兵が集まるのを待ち、熱田神宮にて戦勝祈願をおこなった。
法螺貝の音に、出陣を知った尾張の雑兵が一人二人と追い着き、人数はようやく二百ほど集まっていた。
”ポン、ポポポン”
拝殿のさらに奥から鼓の音が聞こえた。
池からは、白鳥が空へと舞いあがった。
「神が嘉したもうた、勝利は間違い無しじゃ!」
「「「お~っ!」」」
兵の気勢が上がった。
熱田からは海岸線を避けた内陸の道を進んでいった。
(潮の満ち引きの関係で、今の時間は道が悪いのである。)
丹下砦に入り、さらに善照寺砦に進んで兵が集まるのを待った。
陣容を整えるべくさらに後続を待った。
そして、信長は忍びからの連絡を待っていた。
― 桶狭間では ―
時刻は、お昼にさしかかっていた。
今川義元の方は、このとき桶狭間山という所にて、兵馬を止めてお昼の休息していた。
義元は、『鷲津・丸根の陥落』を聞いて機嫌をよくし、陣中で謡をうたっていた。
「ほっほっほ、まこといい知らせでおじゃるなあ」
「……」
その頃、松平元康は、この戦で先懸けとして昨日の大高の兵糧入れから、先ほどの丸根の攻略まで散々にコキ使われ、大高城でやっとこさ休息をしていた。
「くっそ~!三河兵ばかりに負担かけさせやがってぇ」
「辛抱ですぞ!」鳥井元忠が慌てていさめた。
「判っておる、でも腹立つわ~」
― 前哨戦 ―
信長が善照寺に入ったのを知った佐々隼人正・千秋四郎の両名は、なんと三百あまりの人数で抜け駆けし打って出てしまった。
この無謀とも云える攻撃は、今川軍によっていとも簡単に跳ね返されてしまう。
佐々と千秋は首を挙げられ、配下の兵も五十余騎が討死してしまったのだ。
(この行動は、信長の命を受けていたとも云われる。)
これを聞いた義元は、
「どうよ~、『我が軍の凄まじさ圧倒的ではないか』これじゃ天魔鬼神も近づけないよね。気持ちいぃ~」と、
めっちゃ上機嫌になり、なんの手立てもせずに謡を続けたと云われている。
さすがに油断しすぎである。
(抜け駆けが、信長の策だとすれば、ドンピシャである。)
信長は、さらに中島砦に進もうとした。
しかし、中島までは一面の深田である。
その間を縫うような狭い道がつながっているだけであり、たいそう危険である。
「一騎打ちをするのならともかく、行軍はとても目立ちます。そりゃ無いですわ」
と、家老たちは信長の馬の轡をとって諌めた。
それでも信長は家老の意見などには耳を貸さずに、そのまま振り切って中島砦へ移った。
話によれば、この時点でも信長の兵数は二千に満たなかったということである。
(小勢ゆえに見逃されたのかもれない)
信長はさらに中島砦からも出ようとしたが、今度ばかりは家臣達にひとまず押しとどめられた。
ここに至って信長は全軍に通達した。
「聞け!敵は朝飯喰ってから今まで、大高に行ったり、鷲津・丸根で槍働きをして、心身共に疲れ果てた奴らだ。
それにくらべてこっちは、来ばかりの新手である。
(ウソをつけ、移動でクタクタだよ、という心の声は、華麗にスルーである)
こっちは小勢だけど大丈夫!怖くなんかないぜ。
『運ハ天ニ在リ』、と古の言葉にあるを知ってるか?
大丈夫だ!心配するな熱田の神様がついている。
つべこべ言わず、一気に突っこむぞ。
敵が来て危なそうなら無理をしないで少しだけ引いてもいいぞ!
その代わり敵が退いたら攻めかかるんだ、いいな。
こうやれば不思議と大丈夫だからな、心配いらない! 敵の大将義元を討ち取ろうぜ!!」
「「「「お~っ」」」」
「分捕りはせず、首は置き捨てにせよ。この一戦に勝たば、此所に集まりし者は家の面目、末代に到る功名である。一心に励むべし」
ここで、前田又左衛門利家・毛利河内・毛利十郎・木下雅楽助・中川金右衛門・佐久間弥太郎・森小介・安食弥太郎・魚住隼人が、手柄の首をもって参陣した。
信長公は、これらの者も手勢に組み入れ、桶狭間の山際まで声を潜めて、音を立てずに進軍した。
すると、一転にわかにかき曇り、強風が吹き付け、大地を揺るがす豪雨となった。
(何だか知らんが俺は今日ツイているぞ。)
この突然の嵐によって、沓掛の峠に立つふた抱えほどもある楠が東へ向け音を たてて倒れた。
人々はこれぞ熱田大明神の御力であろうと私語き合った。
「噂では、上総の介様がばらまいたお金が、全部表だったらしいぜ」
「勝利間違い無しの神託が降りたとか?」
「日本武尊が、白鳥を使わしたらしい」
妙に縁起の良さそうな話が、あちこちで聞かれた。
(これも景気づけの一環である。)
どうやら、今川勢は突然の雨に、狼狽えているようである。
「我、勝てり!」
やがて空が晴れてきた。
信長は槍を空高く突きだし、大声で「それっ、皆の者かかれえっ」と突撃命令を下した。
それを受け信長軍は、義元の本陣めがけ黒いかたまりとなって駆け出した。
この様子を目のあたりにした今川勢の一部は大慌てである、流石に大混乱しひとたまりもなく崩れていった。
― 未刻:午後2時 ―
この混乱の中にあって、義元は
「喧嘩か?騒がしいのう」と呑気であったが……。
「「「敵襲~!」」」
「殿、織田軍の奇襲攻撃にございます」
血まみれの、武者が注進してきた。
「な、にっ」
「なんと言うことでおじゃるか?皆いかがいたしたのじゃ」
「不味いですな、とりあえず陣を払いましょう」
義元の本陣は信長の襲来を告げらると大慌てで逃げだした。
まずは総大将を護ることこそが第一である。
弓も槍も鉄砲も打ち捨てられ、指物が散乱したままであった。
義元の塗輿までも置き去られたらしい。
義元は、周りを三百騎ばかりの護衛に守られながら大急ぎで後退していた。
今川勢は大軍のため統率がとりにくい上、混乱しているため指揮が伝わらない。
旗本本隊が孤立状態である。
そこを織田勢に捕捉され、数度にわたって執拗に攻撃を受けた。
「殿をお守りしろ」
「どけぃ!」
「一歩たりとも、退かぬわぁ」
”カキ―ン”
”ガシュッ、ガガッ”
「小癪な」
「松井殿ぉ、後はお頼みもうしたぁ~」
”バュッ” ”ズサッ”
「庵原殿~ォ、久野殿ォ、くぅっ退くぞ」
戦闘を重ねるうちに五十騎ほどにまで減ってしまった。
好機と見たのか、イラチなのか、信長自身も馬を下りて、旗本に混じって自ら槍をふるい敵を突き伏せた。
(馬に跨がり、すれ違いざま斬り捨てて突き進んで行くのではないのか?)
信長の周りの者達も主に負けじと勇戦し、鎬を削り、鍔を割り砕いての火花を散らす激戦を展開した。
そのため、歴戦の馬廻・ 小姓衆にも手負いや死者が相次いだ。
そうしているうちに、服部小平太が義元に肉薄した。
「いたぞ~義元だ~」
「「殿、お逃げくだされぃ」」
迫り来る織田兵と斬り結びながらも、主君を気遣う今川家臣の悲痛な叫び声が谷間に響き渡る。
「信長公配下 服部小平太なり、義元公お覚悟!」
「おのれ、よくも~みなを~下郎がぁ」
自分を案じてくれる家臣の声を力に変えて、義元は佩刀を抜いて服部の膝を払い、これを凌いだ。
彼も生き延びるのに必死である。
太刀を振るい、小平太を威嚇する。
「助太刀いたす!」
だが、その横合いから今度は毛利新介が猛然と突進してきた。
”どすっ”
さすがに義元も今度は防げきれず、毛利の槍に突かれ手傷を負う。
「ぐはっ、くぅっ」
倒れ込む義元、それに群がろうとする信長の家臣。
必死に義元を逃がそうとする今川の兵。
味方の加勢がこず、義元は覆い被され倒れ伏す。
終には組み打ちとなり義元は必死に抵抗するも、毛利新介に討ち取られた。
最後の最後まで必死に生き延びる執念を見せて、毛利の指に噛みついたとも言われている。
首を討たれた哀れな義元の遺体が、彼の忠実な家臣の亡骸と共に戦場に残された。
戦は、今川の掃討戦に移行した。
桶狭間は谷が入り組み、谷底には深田が作られている。
戦をするのにはまったくの難所であり、今川勢の転進を阻んだ。
逃げまどう今川勢は田んぼに踏み込んでは足をとられ、織田勢に追いつかれていく。
無様を晒し、あえなく首を挙げられた者が大勢いた。
~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~
信長の元には手柄首を得た者達が、続々と実検におとずれた。
もう、すでに信長の目標は達せられていた。
今川義元の首ただひとつである。
かつて、「海道一の弓取り」と謳われた男の首だけである。
「これで、しばらくは尾張に踏み入れてはこれまい」
そう呟いた。
そうしている内に、戦勝を祝う村の衆が現れた。
村の安堵を願いに来たのである。
戦国の農民もまた、たくましく生きていくものなのだ。
「わしの勝利を、早くお濃や、お市に知らせねばな、尾張が勝ったぞ!」
信長は、帰宅を急ぎたくなった、首実検は清洲にて行うと申し渡そうとした。
(義元の首のみを見れば、それで充分である。)
が、奇跡の勝利に酔いしれる兵士達が、主に褒められようと手柄を片手にこぞってやって来る。
「仕方あるまい」
身の回りの手勢と一緒に帰陣しょうとしたが、そうもいかない状況だ。
大勝利の中、信長のプランがひとつだけ達成出来なかった。
近隣の村から次々と、村長をはじめ村人がお祝いに駆けつけて来てしまった。
帰りの道はすでに、大勢の見物人で埋め尽くされているようすだ。
信長としても戦勝のムードに水を差すわけにも行かなかった。
今後の為にも、この勝利を伝え広める事は大切なのである。
『鵜殿長照が逃げだし、大高城が開城しました』
『大高城が撤退したのを受けて松平元康も兵を退くもようです』
『鷲津砦朝比奈勢も退去した模様』
『鳴海城、動きございません』
との報告を受けた。
とりあえず、このままここにいて祝宴をしようものなら自身が義元の二の舞になりかねない。
鳴海城の岡部の動向も気になる。
(岡部元信か……厄介だな)
今のところ、開城するつもりは無さそうである。
とはいえ積極的な動きはないようだ。
警戒を緩めることは危険なので、大高城に兵を入れいったん休息を取らせることにした。
開城した鷲津砦・丸根砦に兵を入れ、善照寺砦とともに警戒に当たらせた。
信長としても今の状況では、岡部元信に万が一背後を突かれた時に持ち堪える自信がなかった。
― 大高城 ―
皆、疲労困憊である、さすがにこれ以上の行軍はもう限界であった。
しかし、皆疲れた中にも明るく晴れやかな表情があった。
そうこうしている内に、兵が待ちきれず酒に手をつけ、勝利のお祝いの宴が始まってしまったようだ。
「やれやれ」
信長も小姓に具足を解かせ安堵の声を漏らした。
夢想で書く方がいろいろ楽でした、…Orz 。
いやあ、さすがに信長様は資料が豊富ですね。
しかし、資料が多いというのも、それはそれでなかなか大変ですね。
一応主人公は竜興くんなので、脚色した表現は控えめです。