『信長イジメ』 はじめました! by.竜興
弱いものイジメは、かっこ悪いです!
というわけで……信長イジメはじめます。 なにこの罰ゲ-ム?
自宅警備員の底力を、思い知るがいい。
初夏のさわやかな朝の風が、庭の木々を柔らかくそっとつつみこむ。
稲葉山の麓にある、俺の屋敷にも早めの朝が訪れた。
おだやかな暖かさを纏った朝の日差しが、庭の木々の隙間から縁側を照らしている。
俺は、美少女に促され微睡みからゆっくりと目覚めていく。
優しくおこしてくれる女がいるというのは、まさに人生の勝ち組、男の永遠の憧れである。
俺は今、その憧れの世界にいるのだ。
心地よい環境を守るのは、自宅警備員の誇りなのだ。
いろいろ苦労したが、その価値はある。
いまだにおあずけを喰らっているのが、ツライですが……。
なにせ彼女は、なかなかお堅いですし。
何より、俺の準備がまだ整わないのである。
いわゆる
起床という、ただの朝の日課である! 文句があるか。
ご期待の所、申し訳ないが、俺はまだ子供である。
この快適な、生活環境を守るため。
俺は断固として戦うのだ!
「信長なんて、こわくなんかないやい!」
なんとしても、信長の尾張統一を阻むのだ。
とはいえ、歴史知識チートは諸刃の剣だ。
桶狭間までは、平常運転、歴史を変えすぎたくないので注意が必要である。
松平元康が死んでしまっても、それはそれで多少は困るのだ。
その旨いろいろ頭を悩ませたプランを、重元らに伝えてある。
俺はまだ、子供である、俺の家臣はそこまで多くはないのだ。
目指すは、織田信清の配下の調略の完遂である。
竹中重元に、信清の部下達の懐柔の進捗状況を確認した。
ついでに、『斎藤家は、土岐家の再興をする』と、森可成他 旧土岐家家臣にコナを掛けさせておいた。
別に失敗しても構わない、まだ今は、疑心暗鬼になれば良いのだ。
土岐家の旧臣には、頼芸の名が良く効くのだ。
それとは別に、尾張国上四郡を支配した「織田伊勢守家」との共闘も大切である。
当主は、守護代 織田信安である。
彼については、父がすでにいろいろ策を巡らしているので、俺は手を出していなかった。
弘治2年(1556年)の『長良川の戦い』で信長の岳父.斎藤道三が義龍に討たれると、彼は父上と呼応し信長と表立って敵対するようになっている。
(うんうん、いい感じ)
同年の稲生の戦いで信長の弟で末森城主の織田信勝(信行)が、信長に反乱を起こした時には信勝に味方した。
まあこの時点では、信長に負けてしまっている。
(あ~残念、)
どうも上手くいっていない。
そればかりか、信安は長男の信賢を廃し次男の信家を後継にしようとした。
このため、逆に息子の信賢により岩倉城から追放されるハメになったのである。
(ぜんぜん、ダメじゃんか~ぁ!)
信安は、現在美濃白金に隠居している。
「というか、なぜに美濃に来るんだよ~!」
俺は、思わず声をあげてしまった。
「岩倉との盟約の誼で、あずかることに……」
「まだ子供の俺が、いろいろ悩んでいるのに呑気に隠居だあっ?」
くそ腹が立つ!
その時は暇だったので、逃げてきた信安を半兵衛・光秀・快川紹喜和尚らと精神的に追い詰めて遊んでやった。
その成果だろうか?
織田信安は心を入れ替え、誠心誠意 土岐家(俺)に下僕の如く従うようになった。
洛中で長く暮らしたというし、もう一人といっしょでなにか使い道があるだろう。
~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~
一方の、織田信長はというと、……
尾張下四郡を支配する清洲織田(大和守)家の守護代.織田信友を萱津合戦で破り自刃させた。
弟信勝(信行)との内訌(稲生の戦い)に勝利し、後にしれっと邪魔者(弟)を殺している。
尾張の支配を固めつつあった信長は、ついには守護の斯波義銀をもあっけなく追放した。
主家を圧倒する経済力、津島・熱田の湊を抑えて得られる信長の財力には目を見張るモノがあった。
(ほぼ歴史の通りかな?)
とはいえ、尾張上四郡を支配していた嫡流岩倉織田(伊勢守)家は、いまだ健在であった。
岩倉織田氏の内紛を察知した信長は、きたるべき信賢との戦いに備えていた。
父織田信秀死後独立勢力化していた犬山城主織田信清に対し、自分の姉(犬山殿)を嫁がせ味方に組み入れていたのだ。
(まあ、今川家からの調略もあって万事順調ではないようだが……)
土岐家が、今のところヘタを打っているため、信長の尾張上四郡の支配が現実味を帯びてきている状態である。
そして1558年(永禄元年)7月
ついに、『浮野の戦い』が幕を開けた。
尾張統一を目指す信長は、岩倉の内紛に乗じて岩倉城攻略をはかり出陣した。
すでに犬山勢は味方である、この戦いを制すれば、尾張が信長のモノとなる。
「ようやく、ここまで来たか」
信長は感慨深く、独り言を漏らした。
7月12日
信長は、二千の軍勢を率い出立し、ここ浮野の地において決戦を挑んだ。
清洲から岩倉までは三十町足らずの距離であったが、そのまま直進すれば戦闘には不利な地形が続く。
そのため信長は、慎重に地形を選んで迂回した。
その場所こそが、岩倉西方の浮野という地である。
信長はそこに自軍を展開したのだ。
対する岩倉の信賢軍は三千、城を出て信長軍と対峙した。
数に劣る信長軍。
だが、信長は勝利を確信していた。
浮野の地において両軍の激戦が続いた……。
まずは互角と言ったところ、数に勝る岩倉勢の方が多少押している。
しかし、信長は冷静であった。
(勝ったな!)
浮野で戦う信長の元へ信清の援軍一千が到着する。
犬山からの援軍の登場で、形勢は一気に傾く。
思いがけない事態というものには、意外と反応出来ないものなのだ。
側撃をくらい陣立てが脆くも崩れてゆく。
信賢軍は劣勢に追い込まれ、壊滅が間近となっていた。
追撃のタイミングを計る信長と、勝利にぎらつく清洲勢。
信長が鍛え上げたつわもの達の集団が、まるで猟犬(前田・橋本)がヨダレを垂らすかの如くその牙を剥いていた。
「もうすぐだ」
一方の信賢は、思わぬ苦戦に堪えていた。
「壊走すれば、ケツをやられるぅ、持ちこたえよ~っ!」
信賢があらん限りの声をあげる。
激闘が続き、負傷する者がどんどん増えてゆく。
戦においては、逃げるのが一番危険なのである。
「殿!それがしが殿をいたします」
配下の将、堀尾泰晴が、殿を申し出るが、それではわが軍は壊走してしまう。
「もうしばし待て、兵は同数だぞ!きばれや~っ。持ち堪えよ~」
織田信賢は、諦めなかった。
そこへ、元岩倉当主、織田信安が美濃の支援を得て、颯爽と息子の救援に現れた。
信長の予想に反し、土岐義龍はこれまでの誼とばかりに、快く救援の兵を信安に貸し与えたのだ。
『息子を救う親の気持ちを無碍にするほど、わしは落ちぶれてはおらん!!』
この義龍の檄には、美濃の国人もおおいに感動し進んで協力を申し出た。
亡き斎藤道三に思いを寄せていた者も、土岐家の当主としてその器量を認めざるを得なかった。
信安を旗頭とする美濃勢三千五百が浮野を目指していることを知ると、信長は慌てて全軍に後退を指示した。
かくして、信賢は300名を超える死者を出したものの、なんとか岩倉城を死守したのであった。
(岩倉勢には後に大名となる山内一豊の父の山内盛豊や堀尾吉晴の父の堀尾泰晴も参戦していた。)
信長の退却戦の折、……
なかば壊走する軍の中に、鉄砲の名人、橋本一巴という男がいた。
鉄砲を肩に担ぎ退いていたところへ、追撃してきた林弥七郎という弓の名手に声をかけられた。
二人は近しい間柄であった。
「橋本一巴よ!おまえとは長年の知り合いだが、この場は敵同士。ここで見逃してやるわけにもいくまい。いざ尋常に勝負」
「心得たぞ、弥七郎」
弥七郎は矢をつがえ、狙いを定め放った。
矢は過たず見事橋本の首筋に命中した。
橋本一巴は、倒れながらも脇差しを抜き放って応戦したが、もはや敵わじとその場で自害した。
林弥七郎は、苦しまぬよう涙を呑んで介錯をした。
一巴の火縄は、消えてしまっていたのである。
玉ぐすりがあったのかも不明だ。
信長の突然とも云える、いきなりの退却戦における逸話である。
信長は、その後も執拗に岩倉を狙うが、攻略することは敵わなかった。
尾張統一の夢は、あの日に信長の手のひらからこぼれ落ちてしまったのであった。
― 稲葉山城の屋敷 『自室』という名の司令支部にて―
「はは~ん、信長ざまあ~」
やつめ このぶんでは、将軍義輝公にお目見え出来そうな状態でないな。
格上の岩倉が残っていては、のこのこ挨拶に出掛けてもまるで意味がない。
『信長、初上洛ならずだな』
よかったよかった。
― おまけ ―
さて、
ある日の、俺達の会話である。
「くそ~腹が立つ!」
俺は織田信安のあまりの脳天気振りに腹をたたていた。
「「若様、如何なされました?」」
俺の荒れっぷりに、半兵衛と光秀が声を掛けてきた。
「なぜに美濃に来るんだよ~!」
「岩倉との盟約の誼で、あずかることに……」
廃嫡されかけた息子信賢の先制により、信安は岩倉城から追放されるハメになったのである。
「あいつぜんぜん、ダメダメじゃんか~ぁ!」
「しかし…」
光秀は根が真面目である。
「まだ子供の俺が、いろいろ悩んでいるのに呑気に隠居だと、俺が許さん!半兵衛知恵を貸せ!!」
「ははっ」
くそ腹が立つ!
知恵袋として、快川紹喜和尚を、招いた。
……結果。
織田信安さん他 には、真人間に更生していただきました。
「いやあ、3日ほど食事を抜いた上でお説教とは、和尚もなかなかやりますな」
「竹中様の、小部屋の閉じ込め周りを騒がしくさせて、絶対に寝かせないというのもなかなか」
「いやいや、竜興様の優しい心遣いが一番効いたのでしょう」
「まったくそうですなあ」
にこやかな会話の二人。
「もう~、壊しちゃダメだって!言ったのに~」
うつろな目でだらしなく涎を垂らすばかりか、糞尿まで垂れ流しはじめた、バカ殿達。
信安らを優しく介抱し、お粥を与えた俺であった。
もう、おひと方と共に従純な下僕に仕立てるのには、多少手間がかかってしまった。
まあ、駄犬を厳しく躾しつけ有効活用するのも、警備業務の一環であろう。
ささやかながらも、俺の手札は着々と揃っていった。
さあ、そろそろ本題ですね。
イジメと言うより、いやがらせでしたね。