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『喜太郞の改名、そして……』

暗躍が始まります。

 朝のさわやかな風が庭の木々を静かに揺らす、稲葉山の麓の俺の屋敷にも明るさが訪れた。

やわらかな朝の日差しが、障子をとおして部屋に差し込む。


微睡みから目覚めて、となりに美少女がいるというのは、男の永遠の夢である。

俺は今、その夢の世界にいるのだ

彼女を手に入れるのは、いろいろ苦労した、

その価値はある。


 おあずけを喰らっているのが、ツライですが……。

なにせ彼女は、なかなかのおてんばですし。

何より、俺の準備がまだ整わないのである。



いわゆる

添い寝だ!文句があるか。



時系列が判りにくくて申し訳ないが、俺はまだ子供である。


(今はちょうど、土岐頼芸を美濃に迎えた頃だ。)



さて、

ある日の、麓の御殿での会話である。



「おい、喜太郞」と、父に呼ばれた!


「なんですかお父さん」と答えた。


「お前は芸術に興味はあるか?」


「それなりには(警備員志望ですから)」


「そうか」



この日は、別に大した会話がなかった。

ただ思うことがある。


いくらなんでも 『喜太郞』 は、ないわ~。


親父のシブい声が、なんだか甲高く聞こえてくるのは幻聴ではあるまい。

いつまで経っても慣れない。



そろそろ、俺も改名をしようと思う。


その時、俺はひとつある重大なミスをした事に、はじめて気付いた。

俺は密かに名乗りを、『はじめ』にしようと思っていたのだ。


「『斎藤 一』を狙っていたのに~」


すでに我が家の名字は、『土岐』になってしまっているではないか、困った。

(ひとこと言って置くが、Wikiyの写真は見るな!あれは参考にはならん!!別人だ。)


仕方がない。

廃番になった『一色姓』を再利用しよう、『壱識いっしき』だ。


土岐(壱識)竜興 としよう。


なにかの手続きで必要な時は、『壱識竜興』と名乗ればいいし、一色と間違うからちょうど良かろう。

何だか、不識庵みたいで良いではないか。


『壱識庵』良いではないか。

「よしよし、お茶会とか、なんか芸術家っぽいことした時に使おう」


それと、あえて当主に成るまでは、『龍』ではなく『竜』と表記しよう。

子供感が、にじみでて良かろう。



早速、父上にも報告した。


「ちちうえ~、なまえかんがえましたぁ~」


「そうかそれは良い、お前ももうすぐ一人前だな?では、お祖父様のお相手を頼む」


「え、お祖父様?」

はてな。



それは、土岐頼芸のことであった。

お祖父様が、孫に『文武』の『文』の方を教えたいらしい。


土岐氏は代々、守護として在京することが多くかったと聞く。

室町時代の今日迄200年以上にわたり『京の文化』を美濃へ持ち込んでいるとのことだ。


鎌倉末期、初代の土岐頼貞公は「歌人・弓馬上手」といわれ、まあいわゆる文武両道な方だった。

子孫には「文を廃さば、すなわち、わが家ふるわず」と伝えたという。

 (迷惑な話だ)

初代頼貞公、二代頼遠、三代頼康と勅撰和歌集に載るほどの歌人だった。

特に三代頼康は三国の守護として、また幕府の侍所所司として五職三管領の要職であったので、

僧侶や公家との交際の中から一流の文化人となったらしい。



つまりは土岐を名乗るのなら、キチンと勉強しろということだ。

(親父俺を生け贄にして逃げたな? やられた!)


というわけで、図らずもお祖父様とのお勉強会がはじまった。


 俺は、自宅警備員のプライドに賭け、無駄な仕事はしたくないのだが……、

名目上でも『お祖父さん』ともなれば話は別である。

自宅警備には、家族の協力が必要不可欠なのである。


確か、自宅警備員の心得にも、『家族との関係にはじゅうぶん留意するよう』にと書いてあったはずである。

支える家族あってこそなのだ。



糞つまらんかと思っていたが、案外面白かった。



~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~


 

能や連歌、絵画も学んだ。


絵画の中でも、鷹の絵を書くことに土岐氏は秀でていた。

「土岐鷹」として有名らしい。


こんな処にお目当ての『自室警備員』がいたとは、灯台もと暗しだ。

早速お祖父さんに最高の画材を用意して、その腕を存分に振るって貰った。


お祖父さんを褒めに褒め、持ち上げたおかげで上機嫌になってくれたようだ。

「お前は見所がある」と、褒めていただいた。

孫として正式に認めて貰った。

有り難いことに、旧土岐家家臣への添え状も、快くしたためてくれた。


「やった~」


俺にも、『警備仲間』が増えたようだ。

(光秀は優秀なのだが、あいつは巡回タイプである)


学ぶと云えば、

快川紹喜和尚が、まだ美濃崇福寺にいる。

彼は、歴史では永禄3年(1560)別伝宗教乱にて美濃を去り甲斐へ行くことなる。

放っておくといろいろと面倒事が起こりそうだ、親父との争いが起きないよう注意しておこう。


とりあえず、美濃崇福寺にいる快川紹喜和尚を、家庭教師として招いておいた。

必要があれば、泣き落としをしよう。


~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~



 俺は、自宅警備員のプライドに賭けて。

なんとしても、信長の尾張統一を阻むのだ。


「尾張上二郡を強化してやる」


とはいえ、桶狭間までは歴史を変えすぎたくないので、そこは充分注意が必要である。

今川義元が勝ってしまっても、それはそれで俺も困るのだ。

微妙なさじ加減が難しい。


その旨を踏まえ、俺がいろいろ頭を悩ませたプランを、重元らに伝えてある。

俺はまだ子供である、ゆえに俺の家臣はそう多くはないのだ、有効に活用しよう。

目指すは、織田信清の配下の調略である。


彼は織田信秀の死後領地を横領し犬山に独自勢力を築いている。

当時、信秀の甥にあたる織田信清が犬山城主であったのだ、まあ彼のものだとも言えなくはない。


信長となかば敵対関係になったのも、……

「信長の破天荒さに付いて行きたくなかったんだなあ」と、好意的に解釈が可能である。


まあ、信長もバカではない、尾張統一を果たすには一時的にでも彼を味方につける必要がある。

信長の姉(犬山殿と呼ばれる)を信清と娶せ懐柔をしている 。

まあ史実では、さんざん利用され不要になれば反乱に追い込まれあっさり追放されている可哀想な御仁だ。


仕方が無いので俺が救済してやろう。

竹中重元には、適度に信清の部下達を懐柔をしておくよう伝えておいた。



 別ルートでは、信長の家臣の切り崩し工作をおこなう。

対象は、美濃出身者である。

『斎藤家は、本気で土岐家の再興をする』と、森可成他 旧土岐家家臣にコナを掛けさせてまわった。

勧誘自体は別に失敗しても構わない、適度に疑心暗鬼になってくれれば今はそれで良いのだ。

土岐家の旧臣には、斎藤よりも土岐の名が良く効くのだ。

頼芸の『旧土岐家家臣への添え状』が役に立ちそうだ。



次回、 竜興の 『信長イジメ』 始めました!


ご期待ください。

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