さようなら、爺っちゃん!!
それは、お約束のような話だ。
かんたんに言おう、テンプレだ!
ちなみに昨日の夕食は、天ぷらだ。
深夜、コンビニで買い物をした帰り、軽トラにはねられた……。
笑うな!
「軽トラでも人は殺せるものなのだ」と半ば感心しながら俺は息を引き取った。
せめて、火野の2トンが良かった…と思いながら…。
そうして、Narrow読者のお約束の通り、俺は転生を果たした。
Narrow信者でよかったぁ~俺は心からそう思った。
残念ながら女神様は、いなかった…Orz。
めんどくさい描写は、さくっと飛ばそう。
俺は、『斎藤竜興』だ~っ!
え、知らない?
誰それ?
ふふふ、良いだろう、と・く・べ・つに教えてやる。
俺は、かの有名な『美濃のマムシ』こと、斎藤道三の孫である。
竹中半兵衛に、居城.稲葉山城をたった16人で奪われ……
織田信長に稲葉山城を攻められ、あっさり負けた『美濃の人』と云えば、お判りだろう。
「だ~っ、キャンセルだ~!」
神様、俺が悪かった、せめてチェンジしてくれ~ぃ。
~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~
まあ、生まれ変わってしまったものは仕方がない。
俺は、世間の世知辛さを知る、諦めのいい男なのだ。
とりあえず、父上と母上そして、お爺ちゃんに愛想良く接しよう。
とはいえ、俺に歴史を変える力など無い。
天文17年(1548年)
『美濃と尾張の間で政略結婚(濃姫と信長)が交わされた』
俺、斎藤(喜太郞)竜興は、天文17年(1548年)生まれ……あれっ?
その年に生まれたんだ~、どうにもならん!
俺と信長との年の差は14才。
この差は、とてつもなくでかいのだ。
~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~
天文22年(1553年)
祖父.斎藤道三は、『正徳寺』というお寺で織田信長と会見をしました。
茶目っ気を出したお爺ちゃんが、信長を覗きに出掛けます。
ボクも、さり気なく付いて行きました。
(これはチャンスです。)
道中、とんでもない格好でやってきた信長でした。
まるで、不良です。
お祖父さんは、随伴の兵の装備には感心しましたが、信長の格好には呆れていました。
お祖父さん自身変わり者のクセに、意外とお堅いです。
お寺に戻り、正装をやめ軽装にしょうとしたお祖父様に……。
「お爺ちゃん!相手に合わせて『みすぼらしい格好』をするのは恥ずかしいよ~」と
指摘してあげました。
信長は、会見の席では一転して正装して現れます。
でも、お爺ちゃんもそれ以上に立派な正装でした。
小僧の付け焼き刃な正装とは、風格がまるで違います。
おかげでお爺ちゃんは、信長の『くだらないイタズラ』に引っかかることなく普通に会見が終りました。
会見の主導権を握れなかった信長は、娘婿として格下のままです。
つつがなく会見が終わったようです。
信長は、肩を落としすごすご帰って行きました。
変な格好でやってきただけに、余計に格好が悪いです。
ボクは、『お爺ちゃんかっこいい!』と無邪気に祖父に抱きつきました。
それが、ボクの精一杯のチートでした。
とりあえず、お爺ちゃんにお願いして、
明智十兵衛光秀を近習に、竹中半兵衛を小姓にいただいた。
二人ともお祖父さんの秘蔵っ子だ。
~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~
1556年
『長良川の戦い』
道三が死んだ。
俺は、まだ8才だった。
叔父上達の死に続き、またもや力およばずである。
ただ、『美濃国は喜太郎(竜興)に譲る』と、お祖父様は俺にご遺言をくださった。
信長では無く、俺にである。
『美濃国譲り状』ゲットだぜい!
国人衆は、親子げんかに巻き込まれただけとして、父に許していただいた。
変な遺恨が残るのは御免である。
その代わりに、『美濃国譲り状』は、親父に渡しました。
ボクまだ子供だし、当然父上が美濃を支配するべきじゃん。
というわけで、美濃一国と引き替えに、お祖父様方に付いた国人を守りました。
俺の、家中での評判は大層よくなったようです。
「喜太郎様は、とんでも無く聡明な方だ」と褒められたので……。
「だって、父上の子ですから」と答えておいた。
まあ、賞賛は嬉しいが、過剰な評価は御免だ。
まだ子供の俺に対して、やたらに阿諛追従してくる輩もいる。
こういう馬鹿、(評判の悪い斎藤飛騨守)は無視しながら排除しておこう。
俺だって、父上に疎まれたくはないのだ、まだ8才だぞ、どないせいちゅうねん!
とりあえずは修行だな、「じゅうべえ~、はんべえ~!!」
こうして、おれの転生チートが始まった!
まさに、お約束で物語は展開いたします。