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そして翌日。アルディスの庭に、少し大きめの幌馬車が入ってきた。その御者台に座っているのは鎧姿の大柄な男と、いかにも庶民といった服を着ている男だ。屋敷の前で待っているリリアたちの元へと来ると、御者台の二人は身軽そうに下りてリリアたちに深く頭を下げた。
「護衛の任を受けて参りました。クラブとお呼び下さい」
「同じく、ディオスです。よろしくお願いします」
庶民のような服を着た方がクラブ、鎧姿の方がディオスと名乗った。二人ともに少し暗い金髪で、顔立ちもどことなく似ている。兄弟だろうか。家名を名乗らなかったのでそこまでは分からない。
正直に言えば、どうでもいい。
「貴方たちの名前なんてどうでもいいわ。それより荷物を……」
――リリア。だめだよ?
リリアが言葉を止める。目の前の男二人を見てみれば、怪訝そうに眉をひそめていた。隣をちらりと見てみれば、ティナが驚いたように目を瞠っていた。一度だけ咳払いをして、改めて口を開く。
「冗談よ。ディオスと、クラブね。覚えたわ」
今度は護衛二人が目を丸くした。上級貴族の人間は護衛などに気を遣わない。だからこそ最初のリリアの反応が普通であり、言い直した方が意外に思える言葉だろう。リリアが捨てるべきは『貴族の普通』だ。だからこそ、常に気遣いを忘れてはならない。
――のんびりしすぎて油断しちゃったかな? 気をつけてね。
言い方は軽いが、その声には厳しさもあった。内心で頷き、改めて護衛二人へと笑顔を見せた。
「少しの間だけど、よろしく。荷物はここにある分だけど、積み込むのを手伝ってもらっていいかしら?」
「あ、いえ! 私共がしますので! リリアーヌ様とご友人の方はどうぞ中でお待ちください!」
驚きから覚めたのか、クラブが姿勢を正してそう言った。じゃあお願い、と言って背後へと振り返った。そこにいるのは、家族たちだ。
「ではお父様。お母様。お兄様。行ってきます」
リリアがそう言うと、家族たちが笑顔で頷いた。
「テオ。引き続き花壇は見ておきなさい。学園に戻る前に寄るから、楽しみにしているわ」
「はい! 任せてください!」
鼻息荒く頷いてくれる。リリアは満足そうに頷くと、先に馬車へと向かう。背後ではティナとレイが家族たちに挨拶をしていた。
馬車はかなり広い造りになっていた。別邸までの三日間はここで生活することになる。途中には宿のある村はあるが、一つだけだ。野営もすることになるだろう。暇を持て余すことになるが、勉強道具一式も揃っているしいくつか本も持参した。暇つぶしの用意としては十分だ。
そして少しばかり意外なこともある。
――馬車だ! 旅だ! わくわくだー!
さくらが異様に元気だ。どうやら馬車で街の外に行くのが楽しみで仕方がないらしい。時折見るさくらの姿を思い浮かべながら、こういうところは外見相応の子供だ、と思ってしまう。
ティナとレイが馬車に乗り込み、護衛二人が最後に荷物などを再確認して、馬車は走り出した。
馬車は街を出て、北へと延びる道をゆっくりと進んでいく。リリアは馬車から見える景色をしばらく眺めていた。
――いい景色だね。あ、鳥だ。やっほー。
――聞こえるわけがないでしょう。それにしても、貴方は楽しそうね。
――うん。こんな景色を見るのは初めてだからね! 見てるだけで楽しいよ!
それはいいことだ、と思う。せっかくならさくらにも楽しんでほしいのだから。
ふと視線を横にやるとディオスと目が合った。どうにも視線を感じると思ったが、ディオスがずっと見ていたらしい。
「何か?」
聞いてみると、ディオスは言いにくそうに顔をわずかに曇らせ、しかしすぐに小声で言った。
「あの二人はどういった関係なのですか?」
ディオスの視線の先にはティナとレイがいる。二人で話をしているようなのだが、レイはとても楽しそうに話しているのに対し、ティナの笑顔はどこかぎこちない。確かにどういった関係か、見ただけでは分からないだろう。
ティナはレイに対する接し方を未だに決めかねているようだった。相手は他国の王族であり、本来ならティナが関わることなど絶対になかった存在だ。雲の上のような人であり、その人が気さくに話しかけてくる。恐れ多いなど感じる以前に、恐怖しかないのかもしれない。
だがリリアには助けるつもりはない。レイはティナに、身分のことは気にしなくていい、と言ったらしい。ならばあとはティナの問題だ。もっとも、そう簡単に割り切れるものではないだろうが。
「二人は私の友人よ。他に説明が必要?」
ティナはともかく、レイの素性は隠している。本来なら護衛の優先順位のためにも身分は明かした方がいいのだが、レイが断固として拒否していた。曰く、自分の身ぐらいは自分で守る、と。だから護衛は二人に集中してほしい、と。父と兄はその意見を尊重したようだ。
ディオスはまだしばらく二人を見ていたが、やがて小さく頭を下げた。
「申し訳ありません。出過ぎた真似をしました」
「いいわ。何か気になることがあれば遠慮なく言いなさい」
その言葉にまたディオスが目を瞠り、そして深く頭を下げてきた。
「ありがとうございます」
リリアはそれには何も答えずに、景色へと視線をやった。
日が沈み始めた頃、馬車を止めて野営の準備を始める。リリアたちも手伝おうとしたが、護衛たちは頑なに拒んだ。あまり食い下がっても無駄な時間を使うだけだと思い、大人しく野営の準備が終わるのを待つ。
護衛たちに呼ばれて、護衛たちが用意したらしいたき火を囲んで夕食を取り、馬車に戻る。温かい毛布の中で就寝した。
夜遅く。リリアは何故か目を覚まし、そっと起き上がった。月明かりを頼りに馬車の中を見る。ティナの姿しかない。
――どうしたの?
さくらの声。そしてすぐに察したのか、ああ、と納得の声を上げた。
――たき火の側で男同士の会話中。
さくらの声に従い、そっと外をのぞいてみる。たき火の側に三つの人影があった。微かにだが、声も聞こえてくる。
「本当ならもっと贅を尽くすものなんだがなあ」
これはディオスの声だ。何の話をしているのだろうか。
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ではでは。




