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「どうやら俺たちの勘違いだったようだな」
ケルビンが嘆息していすに座り直した。クロスは難しい表情をしながら書類を睨み付けている。
「どうした、まだ何かあるのか?」
ケルビンが聞いて、クロスは書類を差し出した。
「父上。これらを即座に計算できますか?」
書類を受け取ったケルビンはそれを一瞥しただけで、首を振った。
「無理だ。少し時間がかかるし、暗算するのも難しい」
「リリアをどう思いますか」
「…………」
ケルビンは再び書類に視線を落とす。ざっと計算してみたが、やはり最後まで暗算で済ますのには無理がある。
「アリサからの報告であの子が勉強のために部屋に籠もっているとは聞いていたが……。ここまで結果が出るものなのか?」
しかも独学だ。アリサの話では、大量の紙に何かを書き殴っているようだが、アリサ以外の誰かがリリアの部屋に入ったことはないらしい。
「さすがは私たちの娘です。良いことではありませんか」
アーシャが楽しげに笑う。確かに悪い方向に向かっていたのなら正さなければならないが、良い変化なら歓迎するべきだろう。
「ただどうにも根を詰めすぎのような気もします」
アーシャの不安はケルビンも思っていることだ。どういった理由にしろ、二週間も部屋に閉じこもっていたのだから。後半は花を育てたり食事に出てきたりと改善はされていたが、それでもやはり不安は残る。
「クロス。動かせる者はいるか?」
「ええ、もちろん。手配済みです」
ケルビンの問いに、クロスは不適な笑みを浮かべた。そうか、とケルビンも笑みを浮かべる。二人で忍び笑いをする様はかなり不気味だ。先ほどまで口論していたとは思えない。
「可愛い愛娘だからな。任せたぞ、クロス」
「可愛い妹ですからね。お任せ下さい、父上」
なんだかんだ言っても、この二人はリリアを大切に想っているのだ。
アーシャは、不器用な二人だと思いながら、側に控えるメイドに紅茶のお代わりを頼んだ。
リリアは自室の荷物を馬車に積むようにアリサに頼み、自身はテオと二人で庭を歩いていた。この弟とはあまりまともに会話をした覚えがない。というのも、リリア自身が弟を遠ざけていたためだ。
なにせこの弟は何でもできる。まさに天才だ。そんな弟を遠ざけた理由は至極単純、嫉妬である。それでも何故か、この弟はリリアを見つけると何が楽しいのかいつも笑顔で話しかけてくる。迷惑なことこの上ない。
今日もテオは、リリアの隣をとても嬉しそうな笑顔で歩いていた。
「お姉様。お姉様の花壇はどれですか? 見てみたいです」
「そんなものを見てどうするの? まあ、いいけど」
不思議に思いながらも、リリアはテオを屋敷の裏側へと案内する。
いくつも並ぶ花壇の中で、小さな芽しか出ていないもの。それがリリアとアリサの花壇だ。馬鹿にするつもりだろうか、と少しだけ思っていたが、テオは予想外の言葉を吐いた。
「お姉様が学校にいる間はどうするのですか?」
「さあ……。まだ考えていないけど。アリサは私と一緒に来る予定だし」
「じゃあ僕がお世話します!」
テオの申し出に、リリアは目を丸くした。何故、と疑問に思う。確かにテオなら園芸などすぐに覚えてしまうだろうし、任せてもいいのだろう。だが純粋に目的が分からない。
「私のものでなくても、テオならお父様に言えば用意してもらえると思うけど」
「お姉様の花壇がいいんです!」
余計に意味が分からない。分からなさすぎて、テオを見る目が珍獣を見るそれに変わってしまう。そんなリリアの眼差しを受けて、テオは視線を落とした。そして上目遣いに聞いてくる。
「だめ……ですか?」
その泣きそうな表情は卑怯だろう。内心で思いつつも、口には出さずに思案する。
――どうせなら任せようよ。
――それはいいけど……。テオの目的が分かるの?
――目的というか理由は分かるよ。リリアは分からないの?
何故だろう。さくらの姿を見たことはないのに、小馬鹿にしたような少女の表情が目に浮かぶ。少しだけ腹立たしく思いながらも、このまま答えを聞くのは負けの気もするので、それ以上の会話はしなかった。
「分かったわ。テオに任せましょう」
「……っ! はい! ありがとうございます!」
花が咲いたような笑顔とはこのことを言うのだろう。身内から見てもとても魅力的な笑顔だ。この笑顔で一体何人の女性を虜にしているのだろうか。どうでもいいことではあるが。
――リリア。テオに園芸のやり方を教えてあげてね。
――私が教えなくても、メイドの誰かが教えるでしょう。
――いいから。
そこまで言うということは、これも人に好かれるための行動ということだろうか。
「テオ。それじゃあやり方を教えてあげるから、ちゃんと聞いてね」
「はい! お願いします!」
テオが姿勢を正す。リリアはよろしい、と頷くと、そのまま続ける。
「まず種の植え方だけど、土を掘って種を入れてまた埋める。それだけよ」
――なんかすごい適当すぎると思うんだけど!
さくらが嘆くように叫ぶのと、
「リリア様……」
いつの間にいたのか、少し離れた場所でアリサが悲しげに眉を下げて言ったのは同時だった。
「…………。冗談よ」
テオの困惑の瞳とアリサの悲しげな視線から、リリアは逃げるように目を逸らした。
その後、リリアはアリサと共にテオに園芸のやり方を教えた。教えた、といってもリリアが分かるものは限られている。ほとんどアリサの手伝いをしていたようなものだ。それでもテオは何故かリリアから教えてもらうことにこだわったし、アリサもリリアの説明の補足に徹していた。
未だにどういった状況だったのか、自分でも分からない。
学園に向かう馬車に揺られながら、リリアはその時のことを何度も思い返す。もうお手上げだとさくらに答えを聞こうとしたが、すげなく断られてしまった。
――リリアは人の気持ちを考える努力をした方がいいからね。学園につくまでよく考えてみたら?
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ではでは。