ティナ
この国の貴族には大きく分けて二種類ある。上級貴族と下級貴族だ。上級貴族には親の仕事を引き継ごうとする場合には優遇措置があるが、下級貴族にはそれがない。特に男爵位は何かしらの功績を立てたものや何代も続く商家などに与えられる爵位であり、貴族としては最も格下である。領地などもない。上級貴族からも平民からも『成り上がり』などと言われ、名だけの貴族と揶揄されることもある。
それでもやはり貴族というものに憧れる平民は多いらしく、申請が後を絶たない。厳しい審査はあるが、それでも毎年幾人かは男爵位が与えられている。
ティナの生家であるブレイハ家は、ティナが生まれる少し前に男爵位が与えられた。ブレイハ家は王都から馬車で一週間ほど北上した場所にある小さな町で宿を経営している。その町の中では最も大きな宿であり、小さな町の宿とはいえ何代も続く宿であることが評価され、ついに男爵位が与えられた。
ティナはそんなよくある経緯の男爵家の娘。ただそれだけのはずだった。
・・・・・
私が殿下と知り合ったのは、本当にただの偶然でした。目の前を歩く男子生徒がペンを落としたので、それを拾って渡しました。その男子生徒が殿下だった、というだけのことです。殿下はとても驚いたように目を丸くしていましたが、すぐに笑顔になって、ありがとう、と言ってくれました。
この学園で殿下はとても有名な方です。誰に対しても優しく、私たち下級貴族や庶民に対しても分け隔て無く接していただけます。そんな殿下に憧れる人は多く、私もその一人でした。そのために、こうして直接お礼を言われたことが、とても嬉しかったものです。
ただ、ペンを拾ったその日から、私の学園生活は変わってしまいました。殿下が時折話しかけてくるようになったのです。
校舎へ行く途中やすれ違った時など、殿下は気さくに話しかけてくれます。この学園でできた私の友人二人も何度か居合わせたことがあり、殿下が話しかけてきたことに驚いているようでした。
「ティナ、何をやったの?」
友人の一人、ケイティンが聞いてきます。その顔はとても心配そうにしていました。
「その……。殿下がペンを落として、私がそれを拾って渡した、だけ。それだけのはずだよ」
「いやいや、それだけでああはならないだろ。ティナと話す時だけ殿下がすごく輝いて見えるんだけど」
もう一人の友人、アイラがそう言います。けれど私にはそれ以上の心当たりが本当にありません。私がずっと首を傾げていることから察してくれたのか、友人二人は顔を見合わせました。
「本当に分からないのか。もしかして、殿下の一目惚れ、か?」
「そんな、ティナにだなんて……。でもそうかもしれないね」
そんな会話を私の目の前でしてくれます。私は慌てたように言いました。
「そ、そんなはずはないよ! だって殿下には婚約者がいるんだよ! いくらなんでも……!」
「でもその婚約って殿下が決めたわけじゃないんだろ?」
「殿下の初恋はもしかすると、ティナになるんじゃないかな」
それを聞いて、私は軽い目眩を覚えました。
この学園には有名な生徒が二人います。一人は当然ながら殿下です。そしてもう一人がその殿下の婚約者、リリアーヌ・アルディス様です。リリアーヌ様は苛烈な性格として有名であり、誰もが極力関わらないように努めます。私としても、可能な限りリリアーヌ様は避けていました。
ですが、もし二人の話す内容が事実であれば、今後はそうも言っていられなくなります。リリアーヌ様はきっとお許しにならないでしょう。私は気が重たくなり、ため息をついてしまいました。
そして、その不安は的中してしまいました。
ある日から、私は一部の人から嫌がらせを受けるようになりました。一部のクラスメイトから無視されたり、荷物を隠されたり、廊下で突き飛ばされたり、といったことが多く起こるようになりました。
その頃は、殿下が私を特別扱いしているという噂が流れ始めた頃でした。すでに私は諦めていたので、それらの嫌がらせを全て受けることにしました。リリアーヌ様に直接謝罪を言えればまた違ったのかもしれませんが、私にはそんな勇気はありませんでした。
分不相応にも殿下に話しかけてしまった私に責任があるでのしょう。アイラもケイティンもそんなことはないと言ってくれますが、私の行いがなければ殿下は私など気にも留めなかったはずです。やはり、私が考えなしに行動したせいだと思います。
ずっと嫌がらせは続いています。殿下も噂を聞いたらしく、私を気遣ってくれるようになりました。
「婚約者がいるのですから私のことは放っておいてください。そうすれば解決するはずです」
その言葉は結局言えませんでした。
そしてある日、私は階段の上から突き落とされました。
「え……」
一瞬の浮遊感の後、私は固い床にたたき付けられる痛みを想像して、ですがそれは襲ってきませんでした。アイラが私を支えてくれていました。そのアイラが、ものすごい形相で一方を睨んでいます。その先にはリリアーヌ様がいて、そしてそのリリアーヌ様も目を見開いて凍り付いていました。リリアーヌ様の視線の先には、殿下がいました。
そこからはあっという間でした。殿下がリリアーヌ様を責め立て、婚約破棄を言い渡してしまいました。それを聞いた私は頭が真っ白になり、気が付けば殿下に心配そうに見つめられていました。
「大丈夫か、ティナ。リリアーヌはもうここを去ったから……」
「何を……しているんですか……」
私の声は、自分の声とは思えないほどに硬い声になっていました。首を傾げる殿下へと、言います。
「リリアーヌ様は殿下の婚約者なのでしょう」
「もう婚約者ではない」
殿下は憮然とした様子で答えます。
「私が好きなのは……」
それ以上聞きたくなくて、私はアイラの制止も聞かずにその場から逃げ出しました。
その数日後には、リリアーヌ様がアルディス家のお屋敷に引き籠もってしまったと聞きました。結局私は、リリアーヌ様に謝ることができませんでした。
さらにしばらくして。お話をするために、三階のエントランスで王子を待っていた時。授業が終わっていない時間にも関わらず、誰かが階段を上ってきました。ここにいると上級貴族の方は良い顔をしないので慌てて隠れて様子を見ます。そして上がってきた人を見て、驚きました。リリアーヌ様でした。
リリアーヌ様はメイドの方と何か話をしているようでした。以前お見かけした時とは違い、とても自然な表情でした。私は意を決して、リリアーヌ様に話しかけました。
私はリリアーヌ様を……。あ、また怒られる……。リリアを誤解していました。リリアは私を許してくれ、その上友達になってくれました。今ではリリアは私の親友です。
「私ね、リリアのこと、すごく怖い人だと思ってたんだよ」
「何よ、いきなり」
今日もリリアの部屋で紅茶を一緒に飲みます。ちなみにこの紅茶はアリサさんが淹れてくれているものです。さすがはリリア専属のメイドさんと言うべきか、とても美味しい紅茶です。
「だっていろんな人を使ってすごくいじめられたしね」
「それは悪いと思ってるわよ……」
「あはは。でもこうして友達になってみると、すごく気を遣ってくれて、すごく意外だった」
そう言ってリリアに笑いかけると、リリアは少しだけ頬を染めて目を逸らしてしまいました。その仕草がとても可愛く思えます。
「あとはできれば殿下とも仲良くしてほしいけど……」
「無理ね」
即答でした。無理もないとは思いますが……。
私にとって、今のリリアは憧れそのものです。自分の意見をはっきりと言う様子はとても格好良く思えます。殿下も私にとっては憧れの人です。その二人の仲が悪いというのは、悲しく思えてしまいます。
リリアは口では色々と言っていますが、それほど殿下を嫌っているとは思えません。リリアが殿下を好きだったことは私も知っています。殿下も私を想ってくれているようですが、きっと一時の気の迷いです。今のリリアを見ていただければ、好きになってくれるはずです。
私が二人の仲を取り持てればいいのですけど。
「リリア。私、がんばるよ」
「は……? よく分からないけど……。がんばりなさい」
仲を取り持つことができれば、もう一度、リリアは殿下と婚約できるかもしれません。口では言いませんが、リリアもきっとそれを望んでいるはずです。
私を許してくれたリリアのためにも、私ががんばろうと思います。
あえてミスリードのまま放置しておりましたが、ティナの王子に対する感情は『憧れからくる好意』であり、恋愛感情とはまた違います。
むしろ、リリアと王子がくっつけばいいのに、という第三勢力。
第一と第二? 知らぬ。
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ではでは。




