王子
リリアーヌ・アルディスは私の婚約者だった。アルディス公爵家の令嬢で、その性格は幼い頃から自分のことしか考えていないと思えるほどの傍若無人。欲しい物があればあらゆる手段を持ってしても手に入れようとする、我欲に塗れた女だ。
それでも公爵家、それもアルディスといえば公爵家の中でも最も発言力のある名家だ。その令嬢となれば、私の婚約者に選ばれても不思議ではないだろう。国王である父とアルディス公爵の話し合いによって、私の知らぬところで決まってしまっていた。
もしかするとこの婚約を機に行動を改めるかもしれない。私はリリアーヌに対してそんな期待をしていたが、しかし予想通りというべきか、やはり裏切られた。
リリアーヌは、私の目の前でだけはずっと猫を被っていた。決して我が儘を言わず、おしとやかに過ごしている。しかし他の者から話を聞いていると、やはり他での行動は今までと変わることのないものだったらしい。
学園に入り、私はある少女に心を奪われた。ティナ・ブレイハという男爵家の令嬢だ。私は何かと理由をつけてはその少女に会いに行っていた。確かに婚約者はいるが、王族は必ず側室も取っている。別に問題はないだろう。そう思っていたのだが、リリアーヌはそうは思わなかったらしい。リリアーヌに従う女たちが、嫌がらせをしているという報告を受けるようになった。
そしてある日、それを目撃した。たまたま通りかかった階段で、リリアーヌがティナを、階段から突き落とそうとしたのを。幸いティナは他の生徒に受け止められ大事には至らなかったが、それを見た私は怒りで我を忘れてしまった。
リリアーヌを詰問し、その場で婚約破棄を言い渡す。そうして怒り心頭のまま自室に戻り、先に部屋に戻っていたグレイに何かあったのかと聞かれたのでありのままを答えると、
「いや、お前馬鹿か」
未だ怒りに支配されていた私はグレイを睨み付けた。しかしグレイは私をかわいそうなものを見るような目で見てきており、その視線に気圧されてしまった。
「まあ確かにリリアーヌ様の最近の行動は目に余るけどな。陛下が決められた婚約をお前の一存で破棄できるわけがないだろ」
「あ……」
そうだ。婚約は国王である父が決めたものだ。当然ながら王子である私にそれを破棄する権利などない。さっさと報告して怒られてこい、と半ば無理矢理に王城まで連れて行かれ、そして父に全てを報告して、
「何をしているのだ貴様は!」
父の怒鳴り声に体を竦ませる。さらなる怒声を待っていたが、しかし父はそれ以上は何も言ってこなかった。そっと見てみると、父は沈痛な面持ちで額を押さえていた。
「王族が一度言ってしまったことを簡単に曲げることなどできない……。ましてや、今回は大勢の耳に入ってしまっている。今回はこちらで手を回しておくが、次からは気をつけろ……」
下がれ、という父の言葉に、私は少しばかり安堵しつつ部屋を辞した。父に申し訳ないことをしたと思うが、私は間違ったことをしたつもりはない。これで良かったのだろう。
「やはりこうなってしまったか……」
父のそんな言葉が聞こえたような気がした。
その後、リリアーヌが自宅で引き籠もったと聞いた。さすがに少し言い過ぎたのかもしれないとは思ったが、あの状態は放置するわけにはいかなかったことだ。いい薬になっただろう。少なくともリリアーヌがいなくなった学園は平和そのものだった。
「殿下。もう少し他にやり方はなかったのですか?」
ある日、クリステルがそう聞いてきた。考えるまでもないことだ。
「ない。あれが最善だった」
「ですが……」
「くどいぞ、クリステル」
声に怒気をこめて言うと、クリステルは何故か悲しげに目を伏せた。失礼しました、と立ち去っていったクリステルはどこか寂しげに見えた。
私は、何か間違えたのだろうか。
ある日、噂でリリアーヌが戻ってきたと聞いた。またティナに余計なことをするのではと少しばかり警戒する。その日、夜に話したティナによれば、友達になった、ということだった。
何を企んでいるのか。少しばかり不気味に思う。
次の日の朝は一階のエントランスでティナを見かけた。もう一度話を聞いてみようと思って近づいてみると、見知らぬ誰かと話をしていた。
いや。見覚えはあった。リリアーヌの素顔に似ている。だがリリアーヌは厚化粧で有名であり、素顔を晒すようなことはしないはずだ。
「初めて見る顔だな。ティナの新しい友人か?」
そう声をかけると、その誰かが息を呑み、ただただ絶句していた。どうしたのかと思っていると、
「で、殿下。本当に分からないのですか?」
「ん? 私も会っているのか? そう言えばどこかで見覚えが……」
記憶を探ってみるが、やはり心当たりはない。まさか本当に、リリアーヌなのか、と思っていると、
「久しぶりですね、殿下」
「ん? その声……。まさか、リリアーヌか!?」
まさか本当にリリアーヌだとは思わなかった。そうであるなら、リリアーヌが相手とはいえ、さすがに酷いことを言ってしまったかもしれない。だがそれでも、相手がこの女となると謝罪をしようとは思えなくなる。
「お前、ここで何をしている? またティナに何かしているのか?」
「そのようなことはありません。ティナさんと少し話をしていただけですよ。平和的に、ね」
「信じられるか」
この女には今までのことがある。これまでも私の前では猫を被っていたのだ。今もそうだとは限らない。何故、周囲の者はこの女をそう簡単に信じられるのか。
その後も何度か問答を繰り返したが、最後にリリアーヌが言った言葉は何故か私の心に突き刺さった。
「もう貴方には何の興味もありませんから」
リリアーヌは笑顔でそう言って去って行った。
その後はティナがとても不機嫌になり、満足に話をすることはできなかった。ティナはリリアーヌを友人だと思っているらしい。やはり、意味が分からない。あれだけ嫌がらせを受けていたというのに、何故許すことができるのか。
それからもリリアーヌと何度か話す機会はあったが、私にとっては未だ信用できる者ではなかった。誰もが、リリアーヌは変わろうとしている、と言ってくるが、それを話す者は私と交流のある者ばかりだ。私の評価を上げようとしているとしか思えない。
「そんなことはありません。リリアーヌ様は変わろうとしていますよ」
リリアーヌと席を入れ替えたクリステルが授業前にそう教えてくれるが、やはり私には信じることができず、無言で首を振るしかなかった。
だが、それからしばらくした後の試験で、とても驚かされた。
私はこの国の王になる者として、幼い頃から英才教育と言えるものを受けている。それ故に今まで学園の試験では常に一位を取れていたのだが、その試験では二位に転落していた。これは是非とも、今後のためにも一位を取った者と交流を持っておきたいと調べたところ、なんとあのリリアーヌだった。
一体どのような方法を取ったのか。教師を脅しでもしたのだろうか。クリステルに依頼してみれば、実力だ、と答えたそうだ。全てを信じることはできないが、最近リリアーヌの近辺を調べてもらっている密偵たちは、口をそろえて不自然なところはなかったと言っていた。
その後、この国に留学に来ているレイフォードがまた姿を消したと聞いて探したところ、ある女学生からクラスメイトがいじめを受けていると聞いた。名前を聞いてみると、レイ、だった。慌てて現場に行ってみて、とても驚いた。
リリアーヌが、レイフォードを助けていた。
リリアーヌはレイフォードが私と接点があることを知らないはずだ。知っているのは学園ではグレンや王家直属の密偵など一部の者だけであり、クリステルですら知らないことだ。つまりは、私のこととは一切の関係なく、レイフォードを助けているということになる。
本当に、驚いた。ここにきてようやく、私はリリアーヌをもう一度信じてみようと思えることができた。
その後、どうにかリリアーヌと和解をすることができた。だがそれでも、リリアーヌに対する態度を変えることはできない。そう言うと、リリアーヌはその理由を察したようだった。自分の罪にもしっかりと向き合っているということだろう。やはり私は、リリアーヌのことをずっと誤解していたようだった。
その数日後には、次の夜会の招待状をティナに送ったところ、リリアーヌがすさまじい形相で部屋に来た。あれは、怖かった。
本当に怖かった。
グレンですら、視線だけで死ぬかもしれないと思ったのは初めてだ、と言ったほどだ。
床に座れと言われた時など正気を疑ったほどだが、しかしそれ故にリリアーヌがどれほど怒っているか理解することができた。今までも私に対して注意をしてくれる者はいたが、ここまでしっかりと怒ってくれた者は父上以外にいない。私がしていたことはティナに迷惑をかけることだと、ようやく理解することができた。
しかし学園外では不敬罪となるのだが……。まあ、今のリリアーヌならその程度のことは理解しているだろう。
リリアーヌは変わろうとしている。今後、彼女がどのように変わるかなど私には分からないが、しばらくは彼女のことを見守ろうと思う。それが、原因はどうであれ彼女を追い詰めた私の責任だろう。
王子の視点、でした。
彼は恋愛馬鹿ですが、無能ではない……はず。
ちょっと長くなってしまいました……。
誤字脱字の報告、感想などいただければ嬉しいです。
ではでは。




