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リリアは真っ直ぐに自室に向かう。二日続いて主が早く戻ってきたことにアリサが大いに驚いていたが、それすらも無視してリリアは寝室に入った。鍵を閉めて、さらにさくらが密偵などが潜んでいないことを保証して、そうして、
「……っ!」
リリアは必死に声を押し殺し、声なき叫びを上げた。歓喜の叫びを。
――さくら!
――うん! すごいよリリア! おめでとう!
――ありがとう。どうしよう、本当に嬉しい……。こんなに嬉しいのは初めてよ。
――あはは。大げさだね。でもリリアが嬉しそうで、私も嬉しい!
大げさに言っているわけでもなく、本当に心の底からそれほど嬉しいのだが、さくらはそれを表現の一つとして受け取ったようだ。しかしそれでも構わない。リリアの喜びが少しでも伝わっているのなら、それでいい。
――ありがとう、さくら。これも全て貴方のおかげよ。本当にありがとう。
――あはは。それこそ大げさだよ。リリアががんばったからだよ!
――私だけだとまず無理よ。今までできていなかったんだから。
リリアはいすに座ると、机に成績表を置いた。それを見ていると、自然と口角が上がってしまう。まさかこれほど嬉しいとは思わなかった。
――リリア。本当に嬉しそうだね。
――ええ。本当に嬉しいわ。
――ん……。じゃあ、そんなリリアに、ごほうび!
リリアが首を傾げる。ご褒美、と言うが、さくらに何ができるのだろうか。それ以前に、これはさくらがリリアに知識を与えてくれたからこそ取れた成績だ。褒美をもらうとすればさくらだろう。
――じゃあ私へのご褒美ってことで。リリア。お願いがあるんだけど。
――なにかしら? 何かを食べたいのならすぐに用意するわよ。
――うわーお、私の決心が揺らいじゃうよ! でも違う、別のやつ! でもあとで苺大福が食べたいです!
――正直でよろしい。後で買いに行きましょう。それで?
――うん。リリア。お昼寝しよう。
は? とリリアが思わず間抜けな声を出してしまう。しかしさくらから感じる雰囲気は真面目そのものだ。本当に、それが自分にしてほしいことらしい。何故、と疑問に思うが、さくらがそうしてほしいのなら従うだけだ。
――すぐに起きてもらうから着替えなくてもいいよ。
――分かったわ。
言われるままにベッドに横になる。目を閉じようとしたところで、
「あの、リリア様……。成績を報告してほしい、と頼まれておりまして……。よろしければ、教えていただいても……」
扉越しのアリサの声に、リリアは視線だけを向けた。目を閉じ、そして告げる。
「一位」
「え……? ええ!? 本当ですか!」
「本当よ。疲れたから少しだけ眠るわ。静かにしておいてね」
「は、はい! おやすみなさい!」
アリサが大慌てで駆けていく足音が聞こえる。それほど驚くことか、と不思議に思いながらも、リリアはゆっくりと息を吐いた。
予想以上に疲れていたのだろうか。リリアはすぐに意識を手放した。
寝室の机にあるリリアの成績表。順位は一、点数は一つ減点されただけのものだ。
減点されたものはさくらが教えられなかった魔法のものである。
気が付けば、リリアは真っ暗な部屋にいた。正確には部屋かどうかも分からない。ただただ闇が広がる世界だ。リリアはしっかりと大地に足をついているのだが、その大地すら黒く、短く生えている草すらも黒い。ただただ黒一色の世界であり、違いは濃淡があるだけだ。
その黒の世界に、一つだけ場違いなものがあった。それが今、リリアの目の前にあるものだ。淡いピンク色の花を満開に咲かせた巨木。リリアは実物を見たことがないのだが、確か桜、という木だったはずだ。
咲き誇る桜を、リリアは陶然と見つめていた。今までこれほどまでに美しいものを見たことがあっただろうか。うっとりと眺めていると、
「綺麗でしょ?」
背後からの声に、リリアは勢いよく振り返った。
そこにいたのは一人の少女だった。年はリリアと同じか、もしくは少し下だろうか。リリアの服とは対照的な、黒を基調としたセーラー服だ。長い黒髪を首元でまとめている。その瞳もまた黒く、リリアはその目を不思議と吸い込まれるように見つめていた。
「あ、あまり見つめられると、照れちゃうんだけど……」
えへへ、と恥ずかしそうに笑う少女。その声と笑い方に思い当たるものがあり、リリアは自然と目を見開いていた。
「もしかして……。さくら?」
「おお! だいせいかーい! こうして直接会うのは初めて、だね。初めまして、リリア。私がさくらだよ」
花が咲いたような無邪気な笑顔。リリアも自然と頬が緩み、しかしすぐに首を傾げた。
「ここはどこ?」
「あー……。ちょっと説明が難しいんだけど……。簡単に言えばリリアの精神世界。心の中、だよ。さらに言えば心の中の片隅、かな。この場所だけ間借りさせてもらってます」
「そう。使用料を頂かないといけないわね」
「ええ! い、いくらかな、あまり高いと困るんだけど……」
狼狽え始めるさくらを見て、リリアは苦笑してしまった。冗談よ、と言うと、そうだよねとさくらは安堵の吐息をついた。
「貴方にはお世話になっているもの。いくらでも使って構わないわ」
「本当? じゃあ広さを倍、いや三倍に……」
「調子に乗らない」
額を小突くと、さくらは驚いたように目を丸くした。唖然と、リリアの顔を見つめてくる。そんな反応を示されるとは思っておらず、リリアは首を傾げてしまった。
「どうしたのよ」
「ん……。何でも無い。あはは……」
力なく笑うさくら。だがとても幸せそうな声音だった。リリアはしばらくその様子を見ていたが、やがて桜へと視線を戻した。
「この木は本当に綺麗ね。桜、という木だったわね?」
「うん。私と同じ名前で、私が一番好きな花。気に入ってもらえたかな」
「ええ。もしかしてこれを見せたかったの?」
桜に視線をやったまま聞くと、背後で頷く気配が伝わってきた。
「うん。どうしても見て欲しかった。あとは、まあ……。自己紹介、かな」
「そう。確かに貴方と直接会うのは初めてだものね。そんな気がしないのだけど」
「いつも一緒だからね」
今思い返せば、リリアがさくらの姿を見るのはこれが初めてだ。ずっと声しか聞こえていなかったのだから当然だろう。むしろ、こうして直接会うことができるとは思ってもみなかった。
ふと、重たいものが背中からのしかかってきた。振り返り、ため息交じりに、自分に抱きついてきたさくらへと言う。
「重たいわよ」
「むむ! 重たくないよ! その、できればこのままで。人肌恋しいといいますか……。だめ、かな?」
上目遣いに聞いてくる。それでもリリアは拒絶しようとして、そしてふと思い至った。
さくらの声はいつも聞こえている。静かにしていても、呼べば応えてくれる。それはつまり、この場所にずっといるということだろう。
この桜以外は黒一色の世界に。たった一人で。
「仕方がないわね……」
そう思うと、無下にしようとは思えなくなった。いつも助けてくれるさくらがこんな場所に一人きりでいる。せめて自分がここにいる時ぐらいは、甘やかせてもいいだろう。
「ありがとう、リリア」
嬉しそうなさくらの声に、リリアも薄く微笑んだ。もし妹がいたとすれば、このような感覚なのだろうか。
こんなうるさい妹は御免被るが。
「ん? リリア、今さらっと失礼なこと考えなかった?」
「さて、なんのことかしらね」
「んー……。ま、いいか。今はリリアを堪能しちゃう!」
許可をもらったためか、さくらは遠慮無くじゃれついてくる。妹というより犬か猫だな、と思いつつ、リリアはそれを受け入れた。
桜を見ながら。彼女には見えないように、優しげな微笑を浮かべて。
ようやくさくら登場です。イメージ通りの外見だったでしょうか。
このシーンがずっと書きたかった、だからこその連続投稿でした……。
私がこの拙作を書くにあたり、いくつかどうしても書きたいシーンがあります。
そのうちの一つが今回のお話です。
元のイメージは『姉にじゃれつく妹』でした。転じて『リリアにじゃれつくさくら』。
……姉妹どこいった? なぜに幽霊になった? 自分でも不思議です。
ちなみに書きたいうちの一つはラストなのでそれを書いたらこのお話は終わります笑
誤字脱字の報告、感想などいただければ嬉しいです。
ではでは。




