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まだ短い付き合いだが、ティナはとても素直で優しい子だ。今まで辛く当たっていたリリアに対しても友達として付き合ってくれる。それを考えるだけでも底抜けなお人好しだろう。それが欠点でもあるだろうが、それほど責められることではないはずだ。
そしてティナは、決して打たれ強いわけではない。おそらくは、むしろ打たれ弱い方だろう。何となくだが、ティナは人に嫌われることを怖れているような節がある。だからこそ、心無い言葉には人一倍敏感で、あんな紙に書かれた文字にすら泣いてしまうのだろう。
あれを書いた者にも怒りはあるが、もう一人、王子は何をしているのかと思う。リリアを捨てたのなら、それ相応の形を見せてほしいものだ。それなのに、ティナのことを守ろうともしていない。こうなることは予想できたであろうに。それとも、予想もできないような馬鹿だったのだろうか。
――本当に……許せないわ……。
リリアはゆっくりと息を吐き出す。
――あの子をいじめていいのは私だけなのに。
――今までの流れが全て台無しだよ!
さくらの叫びが頭に響く。リリアは眉をしかめながら、静かに微笑んだ。
――何か問題があるの?
――うん。もういいや。それで、どうするの?
さくらの問いに、リリアはそっと目を閉じる。少しだけ考えて、そして言った。
――まずは一人、叩き潰しましょう。
――怖いなあ……。それでこそリリアだけど。
さくらも楽しげに笑う。リリアの頭の中で、リリアとさくらの、とても楽しげな笑い声が響いていた。
翌日。リリアはいつも通りの朝を過ごし、いつも通りに教室に入った。何人かの生徒が教室で談笑していたが、リリアに気が付くと声を潜めて何かを囁きあい、忍び笑いを漏らしていた。夜会のことでも言っているのかもしれないが、特に気にするようなことでもない。
リリアは教室を見回し、目的の人物がいないことに少しだけ落胆しつつ自分の席に座った。
しばらく待っていると、リリアの取り巻き三人が入ってきた。リリアを見つけると、席に荷物を置いてすぐに寄ってくる。煩わしいと思いながらも、彼女たちを出迎えた。
「申し訳ありません、リリア様! 遅くなってしまいました!」
「別に待っていないから気にしなくてもいいわよ。それよりも、貴方……」
リリアの視線が三人のうち、真ん中に立っている方へと向く。しっかりと顔を見て、簡単に記憶を漁る。セーラ・ヴァルディア。伯爵家の令嬢で、この学園に来るまではリリアとの繋がりは一切なかった少女。どこかの夜会で会ったことはあるかもしれないが、その程度だ。
リリアは机の上に、ティナからもらったあの紙を置いた。丁寧に書かれた文字だが、所々に特徴的な癖がある。その癖は、セーラ特有のものだ。その紙を見たセーラが首を傾げた。
「あの……。どうしてリリアーヌ様がそれを……?」
どうやら隠すつもりはないらしい。それでも念のために聞いておく。
「これは貴方が書いたもので間違いないわね?」
「はい。私が書いて、あの小娘の荷物に紛れ込ませておきました。まさかあの小娘、リリアーヌ様を疑ったのですか? なんて恐れ多い、すぐに問い詰めて……」
「黙りなさい」
意識していたわけではなかったが、予想以上に低い声が出てしまった。セーラがぴたりと言葉を止め、顔を青ざめさせている。いつの間にか周囲も静かになっていた。
「別に私が疑われていたわけではないわ。夜会での一件があったから、誰かがくだらないことをしているんじゃないかと、ティナさんの部屋を訪ねたのよ」
「え……」
驚きからか、セーラが大きく目を見開いた。驚きの理由には察しがつく。上級貴族の者が二階に足を踏み入れることなどないからだ。上級貴族の誰もが下級貴族以下のものを見下し、彼らの生活圏には足を踏み入れない。その場所へ、リリアがわざわざ赴いたというのだからこの驚きは当然のものだろう。
リリアは指先で机を、紙を叩いた。軽い音がしただけだが、セーラは恐怖からかびくりと体を震わせた。
「私がどこに行こうが、貴方には関係ないと思うのだけど。違う?」
「はい……。仰るとおりです。申し訳ありません」
セーラが素直に頭を下げる。リリアは小さく鼻を鳴らしただけで、それで、とまた紙を叩いた。
「はい……?」
「これはどういうことかしら?」
セーラが書いたというこの紙にも、他に見たものと似通ったことが書かれている。殿下に釣り合わない、己の立場を考えろ、リリアーヌ様の温情を理解しろ、など。リリアの名前まで出ていたのでこれを読んだ時はさすがに呆れたものだ。
「その……。その言葉の通りです」
「つまり?」
「あの小娘が殿下の側にいることが許せません!」
セーラが声を大にして叫ぶ。その声に眉を上げ、続けなさい、という意味を込めて紙をまた叩く。
「殿下の隣はリリアーヌ様のものです! それを、あんな小娘が奪うなど許されるはずがありません! 殿下の隣にはリリアーヌ様が立つべきなのです」
なるほど、とリリアは頷いた。セーラにとってはリリアのための行動ということらしい。
反吐が出る。
リリアは怒りを必死に抑えながら、ゆっくりと視線を上げた。睨み付けられたセーラがひっと短く悲鳴を漏らした。
「言いたいことは分かったわ」
そうして笑顔を浮かべる。それを見たセーラは安堵のため息をついて笑顔になった。
「分かっていただけたようで何よりです。これは全てリリアーヌ様の……」
「セーラ。今すぐ私の視界から消えなさい」
セーラの表情が凍り付く。リリアがため息をつきつつゆっくりと立ち上がり、リリアを囲む三人を順番に睨み付けた。誰もが顔を青ざめさせていた。この三人だけではなく、教室にいる誰もが体を震わせている。部屋の中央付近にいるクリスですら、頬を引きつらせていた。
――リリア。怖い。すごく怖い。なんか殺気が出てると言われても疑わない。
――そう。
――あ、だめだこれ。うん、まあ、やり過ぎないようにね。
さくらの許可も下りた。もう何も気にする必要はないだろう。リリアは三人を順番に睨み付け、最後はセーラで視線を固定した。セーラは体を震わせ、何かを言おうと口をぱくぱくと動かしている。だが言葉にできていない以上、リリアにとってはどうでもいいことだ。
「仮にも上級貴族に数えられるヴァルディア伯爵家の者が、ずいぶんとくだらないことをするわね」
「そ、そんな……。私は、リリアーヌ様のために……」
「誰もそんなこと頼んでいないでしょう」
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ではでは。




