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「気に入ってもらえたみたいで良かった! これはね、学校の南側の商店街で買ったんだよ」
「南側……」
学園の敷地はある意味で境目になっている。学園の北側は貴族などが住まう住宅街へと繋がっており、それ故に北側の店は貴族が好んで利用する店が多い。対して南側は庶民や下級貴族が住まう場所に繋がっている。当然、南側の店は庶民向けだ。このお菓子には興味があったが、南側となるとリリアは行けないだろう。
アルディス家の建前とプライドの問題なだけではあるが、無視できない問題だ。
「良ければまた買ってくるよ」
リリアの葛藤を知ってか知らずか、ティナがそう言う。リリアはわずかに眉尻を下げると、お願い、と頼んでおいた。
ティナからもらったお菓子をアリサに預け、ティナと共に部屋を出る。残りのどら焼きはアリサと密偵の三人で食べるように言っておいた。残りは五個だったので、帰れば一個残っているかもしれない。むしろ残っていてほしい。言っておけばよかったと後悔する。
――そんなにまだ食べたいなら言えばいいのに。
――みんなで分けるように言えと言ったのは誰かしらね?
――私です。ごめんなさい。
これも人の心を掴むためだから、とさくらは言うが、どら焼きで掴めてしまう心など安すぎると思うのだが。そう思っていると、
「リリアって実は優しいよね。実を言うともっと怖い人だと思ってた……」
妙なところで効果があったらしい。取り憑いてる悪霊の指示だなどと言えるわけもなく、リリアは曖昧な笑顔を浮かべた。
――やっぱりティナは良い子だね。ところでリリア、今さらっと失礼なこと考えなかった? 悪霊とか。
――あら。悪霊でしょう?
――はっきり言ったね! 天使だよ! 天使ちゃんだよ! リリアを助ける天使ちゃんだよ!
――自分で言って悲しくないの?
――容赦なく痛いところをつくね! べ、別に痛くな……。
さくらの言葉が途中で止まる。リリアが怪訝そうに眉をひそめると、さくらがうあ、と嫌そうな声を出した。
――リリア。王子様。
――は……?
リリアが頬を引きつらせるのと、
「何をしている?」
その声が聞こえたのは同時だった。
「あ……。殿下……」
ティナが呆然としたような声を出す。リリアは声のした方向、背後へと振り返った。
「あら、殿下。いかがなさいました?」
「とぼけるな。ティナを連れてどこに行くつもりだ?」
王子がリリアへと詰め寄ってくる。リリアは面倒くさそうにため息をつくと、笑顔を貼り付けた。それは、
「……っ」
いつもの、笑顔だ。
「殿下。連れて行くも何も、ティナさんが先導しているのが分かりませんか? 私はこれからティナさんと共に夕食に向かうところですわ」
「ふん。信じられるか。ティナに前を歩くように言っただけではないのか? 誰かに……。例えば私に見られても言い訳できるようにな」
――うわ、何こいつ。うっとうしい。
――今回はさくらに全面的に同意するわ。
いつもなら王子への苦言は注意するところだが、リリア自身、この男には冷めてしまったので咎めるつもりはない。さくらと二人で、面倒な男だな、という思いを共有していると、
「どうした、何故何も言わない? 図星ということだろう?」
勝ち誇ったような王子の笑み。
――これがいわゆるドヤ顔か! どやあ!
――どや……。なに?
――何でもないよ。強いて言うなら今の王子様の顔。
――ああ。握り潰したい顔ってことね。
――怖いよ! 過激すぎるよ! でも同意する!
さくらとの現実逃避気味な会話をしつつ、リリアは小さくため息をついた。王子から視線を逸らし、ティナへと向き直る。王子は気づいていないのだろう、ティナが今にも泣きそうな表情になっていることに。
安心させようと笑みを柔らかくすると、ティナも眉尻を下げたままだったが笑顔を見せてくれた。
「せっかくのお誘いだったけど、無粋な邪魔が入ったからやめておくわね」
「はい……。ごめんなさい、リリア様」
「いえいえ。無粋な、邪魔をした、どこかの誰かが悪いだけですから」
しっかりと言葉を句切り、王子を一瞥することも忘れない。王子の顔が赤くなっていくが、どうでもいいことだ。
「では、失礼致しますね」
その場できびすを返す。自室へと戻る前に、口だけ動かして言葉を送る。
またね。
それが伝わったのかは分からないが、ティナはしっかりと頷き返してくれた。
王子が何かを、リリアを止めるような言葉を叫んでいたが、そんなものは完全無視だ。認識すらしてやらない。馬鹿が何かわめいている、程度で聞き流し、自室へと戻る。
自室に入ったリリアを、目を見開くアリサが出迎えてくれた。
「ずいぶんと早いお帰りですね……。驚きました」
アリサがそう言って、リリアは肩をすくめた。
「殿下と鉢合わせしてしまったのよ。面倒だから帰ってきたわ」
「言葉が過ぎますよ、リリア様」
そう注意されるが、しかしアリサは苦笑していた。本気で咎めるつもりはないらしい。アリサも昨日のリリアと王子のやり取りから思うところがあったのだろう。リリアは、分かっているわよ、と肩をすくめた。
「夕食、食べ損ねたわね……」
――ごはん……。
さくらと二人、重たいため息をついた。それなりに楽しみにしていただけに、ショックも大きいものだ。
「リリア様。どら焼きが一つ残っておりますが、どうします?」
「もらうわ。それを食べたら、もう寝る」
完全なふて寝だが、今回はアリサとさくらも何も言ってこなかった。アリサからどら焼きを受け取ると、そのまま寝室に入り、適当に着替えてそのままベッドに横になった。
王子にいいところがないですね……。悪い人ではないはずなのですが……。
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ではでは。




