S5 アリサの記憶(前編)
壁|w・)番外編その5。リリアとアリサの出会いを、アリサ視点で。
フィリス男爵家は父がたった一代で財を成した商家だ。扱う物は数多く、幼いアリサには何がどのように売れているのか分からなかった。ただ、父が商談をしている姿はとても格好良かった。この家には自分しか子供がいないため、自分が父の跡を継ぐのだと信じて疑わなかった。
家族の意向でアリサは学園には通わなかったが、父の知り合いらしい優秀な家庭教師はつけられていた。教師によっては学園の教師よりも優秀だったかもしれない。それが学園ではなく家庭教師をつけられた理由だろう。
アリサは、自分で言うのもなんだが、優秀だったと自負していた。特に魔法に関しては、自身が興味を覚えたこともあり、教師よりも数多くの魔方陣を覚えてしまった。
父の跡を継ぐために、貪欲に知識を求める少女。その少女に期待を寄せる両親。全てが順調であり、このまま問題なく、誰もがアリサが継ぐものだと思っていた。
あの日までは。
ある日、両親は商談のために王都へ向かうことになった。それを聞いて、アリサは珍しく両親に我が儘を言った。自分も行きたい、と。両親は滅多にない愛娘の我が儘を快諾して、共に王都に向かうことになった。
まだ幼いアリサにとって、王都というのはそれだけで特別な場所だ。だからこそ、商談を兼ねてとはいえ、王都に行けると決まった時はとても喜んだものだ。
「いいか、アリサ」
王都へ向かう馬車の中、父がアリサへと何度も言い聞かせてきた言葉。
「王都には、僕たちが住む町よりも多くの屋敷がある。その一部は、上級貴族のものだ。間違っても、彼らには関わってはならない。上級貴族が相手だと、僕もアリサを守ることができなくなる」
アリサも上級貴族がどういうものかはすでに教わっている。彼らの逆鱗に触れてしまえば、生きて王都を出ることはできなくなるだろう。無論、幼いアリサに言い聞かせるための脅しの意味もあるだろうが、実際に消息を絶つ者もいるのだから軽んじることはできない。
「はい。知らない屋敷には入りません」
「うん。アリサなら大丈夫だと分かってはいるけどね」
父は微笑んでいたが、とても心配そうでもあった。
そして父の心配は的中した。
両親が商談している間、近くの店に行ってきてもいいという言葉に喜んだアリサは、一人で王都を歩き回った。父は、アリサなら間違いなく離れることはないだろうと思っていたのだろうが、初めての王都に興奮したアリサは、いつの間にか道も分からないほどに離れてしまったことに気づかなかった。気づいた時には、帰り道など分からなくなっていた。
それでも、アリサは父に迷惑はかけられないと一人で王都を歩き回った。
「おや、お嬢さん、とても素敵なドレスだね。貴族の子かな?」
ある場所で馬車に乗った男に声をかけられた。馬車には王家の紋章が刻まれていたため、王家が関わる何かだろう。アリサが素直に頷くと、男はそうかそうかと頷き、
「迷ってしまったんだね。どれ、おじさんが送ってやろう」
そうして男はアリサを乗せて馬車を走らせた。
上級貴族が住まう区画に。
男は、ここからなら分かるだろう、と少女を下ろすと、気をつけてお帰り、と去ってしまった。
「ここ、どこ……」
アリサは冷静さを欠いていた。それを自覚した時にはすでに手遅れで、先ほど以上に見慣れない場所だ。帰り道など分かるはずもない。もう一度、誰か馬車に乗っている人を探すために彷徨い始めた。
そうして長い時間歩いたアリサは、大きな屋敷の前にたどり着いた。
「わあ……」
見たこともないほど大きな屋敷だった。広大な庭には花壇もあり、多種多様な花を見ることができる。初めて見る花もあり、ふらふらと吸い寄せられるかのようにその庭へと入ってしまった。
初めて見る花、大きな屋敷、そういったものに興奮したまま庭を歩いて回る。やがて屋敷の前にたどり着いたアリサは、ようやく我に返った。
他人の敷地で自分は何をしているのだろう。そう思った時に戻ればまだ間に合ったかもしれない。だが屋敷の扉は開かれており、すぐ近くに人がいるかもしれない、とそんな期待を持ってしまったアリサは、その屋敷に入ってしまった。
その直後。
「何をしている?」
低い声に、アリサは体を竦めた。振り返れば、鎧を着た男が立っていた。その手には、鞘に収められているとはいえ、剣がある。思わず後じさるが、すぐに何かにぶつかった。慌てて振り返れば、そこにも別の男の姿。
「ここがアルディス公爵家の屋敷と知って入ったのか?」
アルディス公爵家と聞いて、アリサの頭は真っ白になった。上級貴族の中でも、間違いなく最上位に位置する貴族だ。関わるべきではなかった場所だ。急速に頭が冷えていく。今まで自分は、何をしていたのだろう、と。
対する男二人からは殺気すらも感じられるほどの威圧感。立っているだけでやっとだ。
後から聞いた話では、この男二人も実はどうしていいのか分からずに途方に暮れていたらしい。最近ここで働くようになった兵士なのだが、公爵や王家に報告すれば、少女は公爵家の屋敷に無断で入ったことで罪に問われる。どのような間者がいるのか分からないこの世界、命すら失ってしまうかもしれない。かといって全てを隠してアリサの家族を探そうにも、この場所を離れなければならない。その場合は、職務放棄で男二人が責任を問われる。故に何もできなくなっていたそうだ。
アリサも、今の自分はいつ命を失ってしまうか分からない立場だと気づいてしまったがために、恐怖で動けなくなっていた。上級貴族の屋敷に入ってしまった以上、ここで殺されても文句は言えない。
誰も身動きを取れない。だがそれは、長くは続かなかった。
「何をしているのよ」
屋敷の奥から一人の少女が姿を現した。
とても綺麗な子だった。自分と同年代のように思える少女で、豪華なドレスを着ている。アリサならそんなドレスを着ようものなら汚さないようにと緊張してしまうだろうが、この少女は普段着を着ているかのようだった。事実、少女にとっては普段着と大差ないものだったのだが。
「お嬢様!」
男の言葉。どうやらこの少女は、アルディス公爵家の令嬢らしい。もっとも、他の何かとは考えられなかったが。
「何をしているのか、聞いているのだけど」
少女が目を細めて言うと、男二人は慌てたように姿勢を正した。
「見慣れない者が屋敷に入ったため、捕まえるところです」
少女の眉がわずかに動く。少女の目がアリサの目を捉えた。寒気すらも覚えるその視線を受けて、しかしアリサは目を逸らさなかった。恐怖よりも何よりも。
綺麗な目だな。
そんなことを思ってしまったがために。
「密偵とか間者とか、そういったものを疑っていると?」
少女の問いに、男二人が首肯した。少女の目が不機嫌そうに細められた。
「だから殺そうと、そういうことかしら」
男二人がわずかに動きを止め、しかしそれでもはっきりと頷いた。それを見た少女は、大きなため息をついた。
「情けない」
少女がこちらへと歩いてくる。
「こんな子供を怖れて殺してしまうなんて、アルディス公爵家の名前に傷を付けるつもりなの?」
少女がアリサの目の前に立った。アリサの目を見て、鼻を鳴らした。
「心配しなくても送り返してあげるわよ。今すぐお父様を呼んできなさい」
後半は男へと向けられた言葉だ。屋敷の中側の男が慌てたように走っていった。
それほど間も置かず、先ほどとは違う男が二人現れた。二人ともに筋骨隆々とした体つきだ。そのうちの一人は、アリサの後ろにたつ男へと言った。
「このようなことでケルビン様のお手を煩わせるな。侵入者は斬れといつも言っているだろう」
アリサが顔を青ざめさせ、少女は、
「へえ……?」
とても、とても低い声だった。思わずその場にいる誰もが凍り付いたが、しかし少女はそれ以上何かを言うことはなかった。
その短いやり取りで、この場で何があったのか、何となく察しがついたのだろう。おそらく公爵本人だと思われる男が、苦笑して言った。
「まあ、私自身、いたいけな少女を殺してしまおうとは思えないな。それで、リリア。お前はどうしたい?」
問われた少女は、公爵を真っ直ぐ見て言う。
「屋敷から追い出してしまえばいいだけです、と思っていたのですが、気が変わりました。私が家族の元へと連れて行きます」
これには全員が驚いたようだった。信じられないものを見るかのようだ。
これも後から聞いた話だが、当時のリリアがアリサのために動こうとしていることが信じられなかったらしい。ただしそれは、直後の言葉で否定されたが。
「目を離せば、ここにいる誰かが殺してしまうかもしれませんから。このような少女を怖れて手にかけるなど、アルディスの名を貶めることにしかなりません」
公爵はなるほど、と頷いた。その顔はとても楽しそうな顔だった。
「よし分かった。ならば私もリリアの護衛として共に行こう」
「ケルビン様!?」
隣の男が悲痛な叫び声を上げる。当然だろう、娘のために公爵本人が護衛をするなど聞いたことがない。むしろ護衛される立場のはずだ。しかし公爵は意地の悪い笑顔で隣の男の肩に手を置いた。
「何か文句でもあるのか?」
「いえ……」
何となくだが、苦労していそうだなと思ってしまう。もっとも、ここに迷い込んでしまった自分が言えることではないのだが。
その後はそれほど待たされることもなく、アリサは少女と公爵と共に屋敷を出たのだった。
壁|w・)主とメイドの最初の出会い。前後編になりました。
視点の都合上書かれていない裏設定。アリサが敷地の側にたどり着いた瞬間から密偵さんたちが監視していたりします。
前話のあとがきで『胡蝶の夢』と書きましたが、書いていてなんか違うと思ってしまったので削除しました。
タイトル詐欺どころか予告詐欺になりました。申し訳ありません。
ちなみに、夢の中でさくらの世界を訪れる、というありがちな内容だったですよ。




