A2 レイフォード5
「それだけ多くから話が来ているのなら、リリアさんもその対応に追われるでしょう。僕なんかが介在する余地はないと思います」
それを聞いたさくらは、不機嫌そうに目を細めた。レイの目の前に降り立ち、じっとレイのことを見据えてくる。レイはその目を真正面から見ることができずに、逸らしてしまった。
「レイの気持ちはその程度だったの?」
レイはすぐに首を振った。今となっては、リリア以外の人など考えられない。そう思っているのだが、口にはできなかった。
「私としては、レイはリリアのことをちゃんと見てるから、気に入ってるんだけどね」
レイが顔を上げ、さくらを見る。さくらは薄く微笑んでいた。
「リリアも、レイのことは悪く思ってないはずだよ。好きかどうかは分からないけど」
「そう、ですか?」
「嫌いな人の勉強を教えるなんてしないでしょ。少なくとも、自分の時間を使ってレイの勉強を見てあげてもいい、程度には考えてるってことなんだから」
そう言って、さくらは目を閉じて、そして次の瞬間には姿を消していた、目を見開いて驚くレイの耳に、さくらの声だけが届いてくる。
「伝えられずに後悔する、なんてことにならないようにね。一生、それこそ死んでからも後悔するよ」
いつもの飄々とした声ではなく、とても真剣味を帯びた声音だった。まるで、体験したかのような、そんな声だ。どういうことかと聞きたくとも、すでにさくらの気配は完全に消えてしまっていた。
・・・・・
休日に、リリアは城へと呼び出されていた。一応は茶会の誘いとなっているが、実際は縁談を申し込んできた者と会ってほしい、というものだ。正直面倒ではあるのだが、さくらの関係でとても迷惑をかけているので、その程度は応じなければならないだろう。
――最近私の扱いがひどい気がする。改善を要求します。
――却下。
――即答!?
ぎゃあぎゃあ騒ぐさくらを無視して、リリアは案内役のメイドに連れられて王城内を歩く。しばらく歩き、一つの部屋の前へと連れてこられた。ここに、他国の王族がいるらしい。帰りたい。
――気持ちは分かるけど、だめだよ。
――分かってるわよ……。
メイドに促されて、室内に入る。
その部屋は王城内にしては狭い部屋だった。豪奢なテーブルといすがあるだけの部屋だ。テーブルの向こう側には王子とクリス、グレンがいて、その側に見知らぬ男が二人立っていた。そのうちの一人は銀の髪に赤みのある黒い瞳だ。レイと同じものなので、この男がクラビレスの第二王子なのだろう。
「お越し頂きありがとうございます。貴方がリリアーヌ様ですね?」
リリアが名乗るよりも先に、銀髪の男が先に名乗った。手順があるだろう、と思いながらも、リリアは男へと頭を下げた。
「お招き頂きありがとうございます、ルーカス様」
「あれ? 名乗ったっけ?」
いきなり口調を崩したルーカスにリリアは頬を引きつらせながらも、すぐに姿勢を正した。
「いいえ。ですが、レイフォード殿下よりお話は伺っておりました」
「ああ、そう言えばレイと知り合いだったね。それなら納得だ」
うんうんと、何度も頷くルーカス。その周囲では、もう一人の見知らぬ男が頭を抱え、王子とクリスはどこか呆れたような表情だった。
「ルーカス。もう少し取り繕え」
王子の声に、ルーカスは楽しげに笑った。
「いいじゃないか。どうせ俺がどれだけ言っても、最終的な決定権はあちらにあるんだ。なら最初から僕という人間を見てもらった方がいいだろう? あとで幻滅されたくもないしね」
「やれやれ……」
王子がため息をつく。どうやらこのルーカスという男はこれが素らしい。最初から見せてもらえるのはありがたいが、それでいいのかと思ってしまう。仮にも王族だろうに。
「ところで、大精霊様もいるのかな? 是非ともお目にかかりたいのだけど」
――やだ。
さくらの答えが頭に響く。本気の拒絶の声だ。珍しいこともあるものだと思いながらも、リリアは申し訳ありませんと頭を下げた。
「今は出たくないとのことなので……」
「そっか。それは残念」
ルーカスは少しだけ落胆したように肩を落としたが、すぐに気を取り直して笑顔を見せた。
「さあ、どうぞ座って。ゆっくりとお話をしましょう」
ルーカスの笑顔の誘いに、リリアは少し警戒心を抱きつつも促されるままにいすに座った。
結果的には、警戒心は無駄に終わった。
「学年一位! それはすごい! リリアさんは努力もできる人なんだね」
この部屋に来てからというもの、あまり深い話はしていない。ルーカスはリリアの日常生活についての話を求めた。そしてついでとばかりに、レイの生活も。どちらが本当に求めていたものなのかは、リリアには分からない。
「いやあ、リリアさんと話すのはなかなか楽しい。どうかな、今度クラビレスにも来ないかい?」
「嫌です」
「はは、ばっさりだ」
リリアもすでに、ある程度態度を崩している。何となくだが、それを求められているような気がしたためだ。
「ところで」
ルーカスが不意に真面目な顔になった。少し驚きつつも、リリアも姿勢を正す。ルーカスはリリアを真っ直ぐに見て、言った。
「実際のところ、どうかな。クラビレスに来てくれるのなら、可能な限りの便宜を図る。欲しいものは用意するし、一緒に来てほしい人も連れてきて構わない。どうかな?」
失恋した直後なら、もしかすると二つ返事で頷いたかもしれない。正直なところ、今も気持ちが揺れてしまうほどだ。リリアも表情を引き締め、答えようとして、扉がノックされて言葉を止めた。
ルーカスは片眉をわずかに持ち上げると、扉の側にいるメイドに目を向ける。メイドはすぐに扉を薄く開けて、短く言葉を交わして扉を閉じた。静かに、王子の側へと移動する。王子の耳元で何かを囁くと、王子が驚いたように目を瞠った。それが聞こえていたのだろう、クリスも目を見開いていた。
「ルーカス。レイが来た」
ルーカスがほう、と楽しげに口角を上げた。ルーカスが頷くと、メイドは扉へと戻っていく。そして開けられた扉から、レイが入ってきた。
いつもの学生服とは違い、しっかりと正装をしていた。見慣れない姿にリリアは素直に感心する。そして言った言葉は、
「馬子にも衣装ね」
「う……。そう……」
肩を落としてレイが落ち込む。それを見たルーカスが忍び笑いを漏らしていた。
「レイフォード。用件を聞こうか」
笑いを抑え、ルーカスがレイへと問う。レイはすぐに気を取り直したように姿勢を正して、ルーカスへと向き直った。




