A2 レイフォード4
夜。レイは自室の扉の鍵をしっかりと閉め、魔方陣が描かれた紙を取り出した。双方向に声を届けることが可能な魔方陣で、レイはこれで自分の家族と連絡を取り合っている。レイが長期休暇でも帰らなくてもいいのはこの魔方陣のおかげだ。
魔方陣を何度か叩くと、ほんのりと光り始めた。そして声が届く。
「レイか? どうした?」
長兄、つまり第一王子の声だ。懐かしい声に頬が緩むと同時に、この魔方陣を預かっているのはもう一人の兄、第二王子なので怪訝にも思う。
「久しぶり、兄上。そっちには誰もいないよね?」
「口調を砕く前にそれを確認しろ。まあいないがな」
「誰かいたとしても、僕の言動なんて誰も気にしないだろうに」
「…………。そう言うな」
長兄の不機嫌そうな声に、レイは小さく笑みを零した。長兄は昔からレイが自分のことを過小評価することを嫌っている。自分に自信を持て、と耳にたこができるほど言われてきたことだ。
「まあそんなことはどうでもいいから」
「お前な……。まあ、いい。それで?」
「うん。ルウ兄は?」
「ルーカスなら、そちらの国へ向かったぞ。ああ、そうだ。こちらもそれで話を聞きたかった」
ルーカスというのがレイのもう一人の兄、第二王子の名前だ。あの兄のことだから直接来るだろう、と思ったのだが、どうやら遅かったらしい。もう出立しているとは思わなかった。
長兄の聞きたいこと、それは何となく分かる。おそらくは大精霊のことだろう。故にレイは先に言った。
「大精霊様のことなら、僕もそこまで詳しくはないよ」
「そうか。まあ、仕方ないな。事前に情報が欲しかったのだが」
「でもリリアさん……。大精霊様のお気に入りの人は、知ってる」
相手が息を呑んだのが分かった。レイは少しだけ意地の悪い笑みを浮かべ、
「知りたい?」
返事は、ない。長兄も混乱しているのだろう、とレイは楽しげに笑いながら返答を待つ。
「なるほど、それがお前の惚れた相手か」
今度はレイが絶句した。否定することもできずに固まっていると、長兄は忍び笑いをしつつ、言う。
「惚れた相手に、自分の国、というより自分の兄との縁談の話がきた。慌てたお前はこうして連絡を取ってきた、と。そういうことだな」
「な、なんで分かるの?」
「お前が分かりやすいだけだ」
いまいち釈然としないが、これ以上何を言っても長兄には通じないだろう。レイは嘆息しつつ、話を続けることにする。
「うん。、まあ、そういうことだよ。それでルウ兄を止めようと思ったんだけど……」
「残念だが、先ほど言ったように、すでにそちらへと向かったところだ。国一番の駿馬を使っている上に魔方陣や食料の準備も万端だったからな。二週間もあればそちらに着くだろう」
「いくら何でも早すぎるよ……」
通常、どれだけ条件に恵まれていても、一ヶ月はかかるはずだ。それが二週間とは、次兄よりも馬がかわいそうだと思ってしまう。
「細かいことはお前たちで話すと良い。こちらとしては、どちらが結婚しても問題はない」
少しだけ冷たい長兄の声。だがレイは、長兄が本当は優しい人だと知っている。レイは、相手に見えないと分かりつつも姿勢を正し、言った。
「兄上。もし僕が、国を捨て、婿養子としてリリアさんと結婚したい、とか言ったら、どうする?」
それを聞いた長兄は。
一瞬の沈黙の後、楽しげに笑った。
「祝福してやるよ。ただし早めに連絡しろよ」
その言葉を最後に、魔方陣の光は消え失せた。予想通りでもあった長兄の言葉にレイは満足そうにしつつ、魔方陣の紙をい丁寧にしまう。
「今の声の人がレイのお兄さん?」
「うわあ!?」
突然背後から声をかけられ、レイはいすから転げ落ちた。慌てて声のした方を見ると、さくらが目を丸くしつつも手を差し出してきた。
「ごめん。そんなに驚くとは思わなくて」
「いえ……。気にしないでください」
さくらの手を取り、立ち上がる。レイがいすに座り直し、さくらはレイのベッドの上に浮かぶ。何となく落ち着かないので座ってほしいものだが、それはそれで、女の子に自分のベッドに座られるというのも少し恥ずかしいものがある。何も言わないことにして、さくらへと向き直った。
「で、今の声の人が?」
「はい。僕の兄です。第一王子のアイルディン・クラビレス。こちらに向かっているのが第二王子のルーカス・クラビレスです」
「リリアのお相手は?」
「ルーカスですね。早ければ二週間後にはこの国に到着するそうです」
早すぎるでしょ、とさくらがため息をつき、レイも同意して頷いた。何をそんなに急いでいるのか、と思ってしまう。
「まあ、焦る気持ちも分かるんだけど」
「え? どういうことですか?」
「まだ聞いてないのかな。リリアへの縁談の話がたくさん来てるよ。近い国から順番に。リリアがもてもてで、私はとても不愉快です」
そこでようやく気づいた。よく笑うこの人が、この部屋に来てから未だ一度も笑っていないことに。表情からは分からなかったが、おそらく本当に機嫌が悪いのだろう。しかし、レイには思い当たる節がない。
「あの……。どうかしたんですか?」
仕方なく聞いてみると、さくらは目を細め、ちょっとね、と前置きして、
「たくさんきてるのって、私目当てだよね。リリアが好きだから、とかそういったものじゃなくて、大精霊がついている人が欲しいってことだよね」
「それは……」
レイは何も言えず、そっと目を逸らした。全てそうだとは言わないが、確かに多くのものが、大精霊が欲しいから、だろう。
「でも、さくら様が嫌だと言えば……」
「リリアが、この人がいいって決めたのなら、私は何も言わないよ。みんなは私の意見を聞いてくれるけど、リリアだけは私と対等に接してくれるからね。だから、私も助言はしても命令はしない。どんな相手であっても、リリアがいいなら、いい」
そこまで言ってから、さくらは嘆息して、そうしてようやく笑顔を見せた。楽しげであり、嬉しそうな笑顔。
「もっとも、リリアは私の意見もちゃんと聞いてくれるって言ってくれたけどね」
くるくると、さくらがその場で回る。もしかすると、ここに来る前にリリアにそう言われたのかもしれない。だからさくらは不機嫌でもあり、上機嫌でもあるのだろう。
「もっと早く動けば良かったですね」
レイがそう無念そうに言うと、さくらがぴたりと動きを止めた。怪訝そうに眉をひそめ、レイを見る。見られているレイは居心地悪そうに居住まいを正した。
「諦めるの?」
さくらの短い問いかけ。レイは悲しげに眉尻を下げた。




