A1 顔合わせ8
内心で頷き、クリスに視線を戻す。クリスは少しばかり緊張しているようだった。だがその緊張の中には僅かながらも期待が混ざっているのが分かる。少しだけ言い辛く思ってしまい、リリアはそっと目を逸らした。
「もう少し待ってほしいそうよ」
「あ……。そうですか……」
落胆のため息をつき、項垂れてしまう。そこまで落ち込むとは思わず、リリアは慌てたように言った。
「クリスには後で必ず挨拶するそうよ。クリスだから嫌だというわけではないから」
「本当ですか? 安心しました。大精霊様と言葉を交わす機会など普通ならないものですから、楽しみだったのです」
そう言って、クリスが柔らかく微笑む。それを見て、リリアはわずかに眉をひそめた。
――な、なんだかすごくハードルが上がってるような……!
――とても楽しみだそうよ。がんばりなさい。
――聞きたくなかったよ!
リリアが小さく笑うと、クリスが驚いたように目を丸くした。どうしたのかとリリアが首を傾げると、クリスは曖昧な笑顔を浮かべて、気にしないでくださいと首を振る。
「では、がんばってくださいね」
クリスは笑顔でそう言うと、そっと離れていってしまった。何をがんばるのか、といまいち意味を理解できずに戸惑っていると、すぐにさくらから、あー、と間延びした声が聞こえてきた。
――がんばれリリア!
――は? 一体何が……。
ふと周りを見てみる。遠巻きながら、大勢の貴族がちらちらとこちらの様子を窺っていた。頬を引きつらせるリリアへとさくらが、
――上級貴族の人たちはみんな私のことを知ってるんだね。リリアが親しいらしいことも含めて。
見覚えのある貴族の一人がリリアへと歩いてくる。どうやらこの場にいる大勢と挨拶をしなければならないらしい。だがこれは、予想のできたことだ。人数が多すぎる気もするが、やることは変わらない。
リリアは笑顔の仮面を貼り付けると、最初の一人を出迎えた。
短いながらも、一人ずつ挨拶を交わしていく。リリアを褒め称える内容も多いが、さくらと会おうとするがためだと思うとどうにも複雑に思えてしまう。
――この人は、ばつ。そう思うとさっきの人はまるでもいいのかな……。
挨拶のたびにさくらが何かを呟いている。おそらくだが、さくらの中で貴族たちを評価しているのだろう。付き合ってもいい相手か、遠ざけるべき相手か。ばつ、と言われる者が多いことから、さくらの基準は厳しいらしい。この短い会話で何を見ているのだろうか。
――あ、うん。顔を覚えたいだけだから会話は関係ないよ。最初の計画だと一人ずつ会いに行ってほしいって頼もうかと思ってたけど、向こうから来てくれるなら楽だね。
どうやらそういうことらしい。面倒だとは思うが、さくらが必要だと言うなら付き合おう。
そうしてしばらく挨拶を続け、リリアの皿の料理がすっかり冷めた頃になって全員との挨拶を終えた。ようやく料理を食べることができる、と思ったところで、
「では時間だ」
王の声が部屋に響いた。悪態をつきそうになるのを堪え、皿をテーブルに置く。王へと視線を向けると、王もリリアを見ていたようで目が合った。
「リリアーヌ。さくら様は、どうだ?」
――どうなの?
――ん? 出たくない。ごめんね。
リリアは仕方ないと頷いた。そのまま王へと伝えると、王は残念そうにしながらも、何故か安堵のため息をついていた。不思議に思いながらも、王の言葉の続きを待つ。
「どうやらさくら様は皆の前に姿を見せたくはないらしい。私では大精霊様のお考えを察することはできないが、お前たちなら心当たりのある者もいるのではないか?」
王がぐるりと周囲を一瞥する。一部の者が顔を青ざめさせていた。裏で何かをしていた者たちだろうか。王はその様子にわずかに口角を上げ、しかしすぐに無表情でそれを隠した。
「すでに聞いているとは思うが、さくら様は堅苦しい場を好まないそうだ。よって、ここからは自由に振る舞うといい」
ずいぶんと投げやりだと感じてしまう。王は近くのいすに座ると、側の使用人に料理を持ってくるように命じる。使用人たちが慌てたように働き始め、静まり返っていた会場は少しずつ元の喧噪を取り戻していった。
王が終了を宣言すると、一人、また一人と王に挨拶をして会場を出て行く。もう夜も遅い時間だ。リリアも帰りたいと思っていたのだが、家族が帰る素振りを見せないので仕方なく付き合っている。挨拶もまだ続いているのだから仕方がないかもしれない。
王と挨拶をした者は、最後にリリアに挨拶をしていく。まるでそこにさくらがいるかのような振る舞いだ。王も彼らがさくらに対して挨拶をしようとしていることが分かっているためか、それに何も言わずに静かに見守っていた。
彼らはリリアと共に今もさくらがいると思っているらしい。しかしそれは間違いだったりする。それが分かるのはリリアだけであり、リリアは笑顔で全ての挨拶を受け流していた。この挨拶を聞くべきさくらは、今はいない。故に余計に面倒に思えてしまう。
そうして人が少なくなっていき、最後に残った者は王族とアルディス公爵家、アグニス侯爵家のみだ。使用人たちも多くが帰され、残っている者は王城で長く働く、信用できる者たちだけらしい。
挨拶してくる者もいなくなり、リリアはやれやれとため息をついた。
「お疲れ様でした、リリアーヌ様」
クリスが笑顔で言ってくる。リリアはクリスを半眼で睨みながら、肩をすくめた。
「本当に疲れたわ。私に挨拶しても、今はさくらはいないのに」
リリアのその一言に、クリスだけでなく全員が目を丸くしてリリアを凝視する。リリアはわずかに頬を引きつらせながら、何でしょうか、と声を絞り出した。
「リリアーヌ。さくら様は今、どこにいる?」
王の少しばかり緊張しているような声に、リリアは小さく首を傾げながら、すぐに首を振った。
「申し訳ありませんが、私も存じません。陛下のお話が終わってすぐに、出かけてくる、と私の中から出て行ってしまいました」
「な……。そ、そうか……」
王が扉の方を見て、少しばかり同情するような目になる。帰っていった貴族たちはさくらに言葉が届いているものと思ってリリアに挨拶をしていた。その全てが聞いてもらうことすらされていないと知れば、彼らはどう思うだろうか。もっとも、教えるつもりもないが。
「できれば挨拶をと思っていたのだがな……」
王の言葉を聞いて、リリアは分かりましたと頷いた。
「は?」
全員の間抜けな声を聞き流しながら、リリアは静かに呼んだ。
「さくら」
「ん? 呼んだ?」
ひょっこりと。リリアの後ろからさくらが顔を出した。誰もが息を呑む中、リリアはいつも通りにさくらに言う。
「どこに行っていたのよ」
「ちょっと異国の王子様にご挨拶」
つまりはレイに会いに行っていたのだろうか。あとで詳しく聞かなければならない。
「あとは食べ歩き。料理美味しいよ。冷めても美味しい。リリアもどう? あれとあれなんかおすすめ」
「そう言うなら持ってきなさい」
「あいあいさー」
黒い小柄な少女が部屋を走り回り、手に持った皿にいくつかの料理を載せていく。すぐにリリアの元へと戻ってきて、へいおまち! と謎の言葉を発した。
「どれどれ? ……なるほど、美味しいわね」
「でしょ? これも美味しいよ。あとはね……」
「待ちなさい。一度に言われても食べられないわよ」
さくらと言葉を交わしながら、さくらが持ってきた料理を二人でつまむ。ふと視線を感じて王を見ると、その場にいる誰もが凍り付いていた。
「その……。よろしいですか……?」
王が、緊張を多分に含んだままさくらに声をかける。さくらは振り返ると、あ、と声を上げた。
「挨拶? 挨拶だね! こんばんは!」
礼儀も何もあったものではない。しかしこの場にそれを気にする者など誰一人としていない。唯一リリアだけがわずかに顔をしかめるが、しかし王を含む誰もが何も言わないので、リリアも何も言わずにおく。
その場にいるリリア以外の全員が跪き、頭を下げた。きょとんと、呆けてしまっているさくらへと王が言う。
「再びお目にかかることができ、光栄でございます。大精霊さくら様」
「あー……。はい。私もとても嬉しいです、陛下。でも堅苦しいのは嫌いなので楽にしてほしいですね」
さくらが申し訳なさそうにそう言うと、王は笑みをこぼし、畏まりましたと立ち上がった。王が立ち上がったので、周囲の者も順番に立ち上がる。
「姿をお見せ頂けたということは、この場にいる者は直接ご挨拶させていただいてもよろしいのでしょうか?」
王のその問いに、さくらは頷いた。それを受けて、王が合図をする。その場に残っている者が顔を輝かせた。
次で顔合わせは終わり、ですよー。
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ではでは。




