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「日付の変更? もうすぐってこと?」
「うん……」
まだ明日も少し時間があると思っていたが、どうやらそれはないらしい。確かにこれは、さくらも言いにくいはずだ。思わず苦笑して、さくらの頭を撫でた。
「分かったわ。残りの時間はのんびりとお話でもしましょうか」
「うん……」
さくらが頷き、二人で桜の木の根元に座る。しばらくお互いに黙り込んでいたが、やがてさくらが、ぽつりぽつりと思い出話を始めた。
どれほどそうして話していただろうか。
「ピーマンを食べた時の貴方の反応は面白いわよね。みぎゃあって」
「だって本当に嫌いなんだよ! いや確かに自分でもおかしな反応になってるって分かってるけど!」
ずっと。ずっと他愛ない話を続けている。大事な話など今更せずに、いつものように。心の底から楽しく思える時間だ。
二人でひとしきり笑い、そして不意にさくらが真顔になった。その変化の示すところを察して、リリアも表情を引き締めた。もう時間らしい。本当にあっという間だった。
「リリア……」
「時間なのね?」
リリアが確認するように問うと、さくらが小さく頷いた。リリアも頷き、立ち上がる。さくらも続いて立ち上がった。
「リリア。もう思い残すことは、ない?」
さくらの問いに、リリアは少し考える。目を閉じ、わずかに口角を持ち上げた。
「ない、と言えば嘘になるわね。ティナやアリサ、シンシアたちともっと一緒に過ごしたかったと思うし」
「うん……」
「それに、さくらとももっと一緒にいたかったわね」
「へ!? あ、うん。私ももっとリリアと一緒にいたかったな。リリアで遊ぶのは楽しいし」
「へえ?」
「ごめんなさい。リリアと、です。だからそんな目で見ないで怖いから!」
さくらが叫び、リリアが思わずといった様子で噴き出した。さくらも釣られるように笑い、笑い声が小さくなり、また真剣な表情になる。
「じゃあ、リリア……。時間、だから」
リリアは頷き、そしてすぐに苦笑した。本当に、泣き虫だ。
「どうして泣いているのよ」
「だって……」
ため息をつき、さくらの体を抱いて頭を撫でる。これも、最後だ。
「今までありがとう。取り憑いたのがさくらで良かったわ」
リリアが言って、さくらも小さく頷いた。
「うん……。私もリリアで良かった。お疲れ様でした……」
そうしてそっと体を離す。未だに涙を流しながらも、さくらは柔らかく微笑んだ。
「それじゃあ……」
「ええ。あとはよろしくね」
リリアがそう言って笑いかける。さくらが泣いているのを見ていると、自分も泣いてしまいそうになる。この後もあるさくらのために涙は見せたくはない。だから、絶対に泣かない。
「うん……。こちらこそ。ありがとう、リリア」
そしてさくらは、笑顔で言った。
「元気でね」
これから消える自分に何を言っているのか。少し呆れながらも、さくらも、と返しておく。
そして、唐突に。
リリアの意識は闇に沈んだ。
・・・・・
そして彼女は目を覚ます。窓から差し込む光に眩しそうに目を細め、ゆっくりと体を起こした。わずかに戸惑いの表情を見せ、周囲の様子を確認する。やがて、小さく自嘲気味に笑った。
「まったく。意識しすぎかしらね」
そう言って、リリアは肩をすくめた。やはり日付の変更で入れ替わり、というのは違ったらしい。おそらくはただのリリアの夢だろう。もうすぐだと意識するあまり、あの妙な夢を見てしまったらしい。
――おはよう、さくら。朝から妙な夢を見たわ。
いつものようにさくらへと挨拶をする。いつもならさくらから挨拶をしてくるものだが、今日はない。さくらも最後の日ということで緊張しているのだろう。そう思ったのだが。
いつまで待っても、返事はなかった。
――さくら?
もう一度、呼ぶ。しかし返事はない。リリアの目がゆっくりと見開かれていく。
――ちょっと。変な冗談はやめなさい。さくら。ねえ、返事をしなさい。
呼ぶ。何度も。何度も。何度も呼び、しかしやはり、一度たりとも返事がない。
――さくら!
大きく、厳しい声音で。しかし、やはり。
リリアはすぐにベッドに横になる。目を閉じ、意識を集中させる。またあの暗い世界に行こうとして。
行けなかった。
場所は、ある。意識を集中させると、心の中にぽっかりと小さな穴が空いているような感覚がある。それがさくらのいる場所であり、そうと意識すればいつの間にか行けるようになっていた。
だが今は、場所があると分かるのに、それと同時に、そこにはもう誰もいないということも自然と理解できた。できてしまった。
さくらは、いなくなっていた。
「うそ……」
まだ時間はあったはずだ。少なくともさくらは、そう言っていた。
そこまで考えて、不意にさくらから事情を聞いた時の言葉を思い出した。
――私がいる限り、強制みたい。
「……っ!」
その時に、その言葉に少しでも疑問を覚えていれば、詳しく聞くことができただろう。その言葉を思い出せば、今のことも容易に説明できる。
リリアの心の中にさくらがいる限り、強制的に入れ替わることになる。それはつまり、さくらがいなければ、入れ替わりはない。さくらはリリアのために自ら消えた、ということだろう。
「どう、して……」
理由は分かった。だが納得はできない。さくらは一言たりともそんなことを言わなかったはずだ。だがそれも、分かる。言えば、リリアが必要ないと言い張るからだ。故にさくらは、リリアに黙って消える道を選んだ。
言ってほしかった。少しでも相談してほしかった。それほど自分は信用できないのか。そう考え、すぐに、違うと自分で否定した。さくらはリリアを信用してくれていた。だからこそ、相談しなかった。リリアがさくらに体を譲ることを選んでいたからこそ、その意志を変えないだろうと分かっていたからこそ、言えなかったのだろう。
それが正解かと聞きたくとも、さくらはいない。これからどうすればいいのか聞きたくとも、答えはない。さくらはもう、いないのだから。
リリアを諭し、導いてくれたさくらは、もういない。
それを理解した瞬間。
リリアは、声を押し殺して涙を流した。
アリサたちがリリアを呼びに来た時も泣き続け、右往左往するアリサたちを部屋から出して、それでもまだ、泣き続けた。ずっと、ずっと。
その日を境に、リリアは再び部屋に閉じこもった。
壁|w・)のー・ばっどえんど。
まだ続きます。
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ではでは。




