170
「効果は、簡単に言ってしまえば止血と治療。早く覚えて」
すぐにリリアは魔法陣へと視線を落とし、それを頭の中に叩き込んでいく。そしてすぐに、覚えた、と顔を上げた。
「さすがだね。じゃあ戻ろう」
「でも、どうやって描けばいいの? 道具なんて何も……」
「ナイフがあるじゃない。確かにあれを使うとリリアが疑われることになるかもしれないけど。保身か友達、どちらを取るかは任せるよ」
そんなものは聞かれるまでもなく、答えは分かりきっている。それを察したのか、さくらはようやく笑顔を見せた。
「急いでね」
そしてまた視界が暗くなり、リリアはすぐに目を覚ました。座ったまま寝ているような状態だったらしい。時間はあまり経っていないようで、先ほどと何も変わっていない。
リリアはすぐに、側のナイフを手に取った。おそらくこれが凶器だろう。そのナイフを使い、床を少しずつ削っていく。それほど時間もかからずに、魔法陣が完成した。掌程度の小さな魔法陣だが、これで十分だろう。ティナの体、傷口に接するように横たえると、すぐに魔法陣が仄かに光り始め、そしてあっという間に消えてしまった。
――さくら!
――大丈夫。傷口、ふさがってるよ。
視線を落として見てみれば、確かに傷口は、綺麗にとは言えないがふさがっていた。一生跡が残りそうだが、命を落とすよりはいいだろう。ほっと安堵の吐息をつくのと同時に、
「これは、どういうことだ?」
その声に視線を上げると、王子が呆然とした様子でそこにいた。その側には兵士も大勢いる。
「殿下……」
王子を見て、その周囲の兵士を見て、リリアは小さくため息をついた。
なぜ王子がここにいるのかは分からないが、シンシアが呼んできたわけではないらしい。シンシアの姿がどこにもない。それに、王子は本当に困惑しているようだった。
今の自分の状況を思い出す。血だまりの中で気を失っているティナと、その体を抱きかかえているリリア。リリアの手には血まみれのナイフ。疑うな、という方が無理だろう。だが、疑いを晴らすのは後でいい。リリアは王子に視線を戻し、言った。
「ティナをお願いします。傷はふさぎましたが、それ以上は何もできていません」
「あ、ああ……。分かった」
王子が視線を兵士へと向けると、すぐに兵士が一人、リリアの前に屈んだ。その兵士にティナを預け、お願いします、と頭を下げる。兵士は驚いたように目を瞠り、そしてすぐに、しっかりと頷いた。
「リリア様!」
シンシアがようやく戻ってきた。声は一階からで、教師を数人連れている。王子と兵士たちを見て、顔を強張らせた。
「シンシア。アリサに事情を話して、お父様たちに報告をして。今すぐに」
「ああ、待て。こちらも一人、同行させよう」
リリアは眉をひそめ、しかしすぐに頷いた。現状、もっとも疑わしいのはリリアだ。シンシアを一人で行動させることなど許されるはずはないだろう。不安そうにしているシンシアに笑顔で頷き、三階へと送り出した。
「リリアーヌ……」
王子の声にそちらへと視線を戻す。王子は苦渋に顔を歪めながらも、続ける。
「すまないが、共に来てほしい」
その声と顔から、王子自身はリリアを疑っていないことは分かる。だがそれでも、立場上、ここで無罪放免とはいかないのだろう。リリアは、畏まりましたと頷き、立ち上がった。
――さくら。これでいいのよね?
――うん。大人しく従おうね。
リリアは内心で頷くと、王子や兵士たちとともに一階へと移動する。その頃にはこの騒ぎで起き出した生徒が数人、こちらの様子を窺っていた。兵士たちが壁になるように立ったためにリリアの姿は見られていないだろうが、すぐにこの騒ぎは広まるだろう。
エントランスでしばらく待つと、寮の前に馬車が留まったことが分かった。兵士たちに促され、寮の外の馬車に乗る。
「お待ちください、殿下!」
背後からの声に怪訝そうに振り返ってみれば、王子も馬車に乗ろうとしていた。仮にも疑いのあるリリアと共に乗ろうなどと何を考えているのだろうか。
「お前たちはリリアーヌが犯人だと思っているのか?」
「そういうことではなく……」
「何かあれば、私が無理矢理に乗ったとでもしておけ」
王子はそれだけ言い捨てると、リリアの隣に座った。兵士たちも諦めたのか、それ以上は何も言わず、兵士がもう二人乗り込んで馬車が走り出した。
「リリアーヌ。何があったのか聞いておきたい」
「それは構いませんが……」
向かい側に座る兵士の二人へと目を向ける。この二人がいる中でしていいのか、と。そして兵士を改めて見て、誰が乗り込んだのか理解できた。
「ブロソ?」
対面に座ったブロソが頷く。その隣は、
「グレン様?」
「おう」
王子の護衛でもあるグレンは片手を上げて挨拶をした。それ以上は言葉を発さずに、真剣な表情で口を結んでしまっている。もう一度王子へと視線をやると、王子も真剣味を帯びた目でリリアを見た。
「ここには信頼できる者しかいない。ブロソのことは私はよく知らないが、リリアーヌは知っているのだろう?」
「はい。信頼できるでしょう」
「ならば問題はないな。話して欲しい」
リリアは、畏まりましたと頷き、起きてからのことを話す。もっとも、それほど長い時間のことでもない。すぐに話を聞き終えた王子は、難しい表情をしていた。
「それを証明できる第三者はいるのか?」
「いませんね」
共に行動していたシンシアはリリアの関係者だ。シンシアがどのように証言しても考慮はされない。王子はため息をつくと、頭を抱えた。
「ティナが無事だったことがせめてもの救い、か……」
学園の敷地外なら身分差もあるため死罪とまではならないが、学園内では形骸化しているとはいえ、身分差は考慮されないことになっている。ティナが死んでいたなら、リリアも死罪を免れなかっただろう。今回、ティナはしっかりと生きているため、悪くとも死罪にされることはあり得ない。
――それでも、流罪程度は覚悟しなければならないかしらね。
リリアの内心での呟きに、さくらは何も応えてはくれなかった。
誤字脱字の報告、感想などいただければ嬉しいです。
ではでは。




