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気づけば、さくらの歌は終わったようだった。ふう、と息を吐き、照れたような笑顔をリリアへと向けてくる。
「以上! どうだった?」
問われたリリアは何も答えずに、立ち上がってさくらへと歩き始める。不思議そうに首を傾げるさくらを、そっと抱きしめた。
「お? なに? どうしたの?」
戸惑うさくらに、リリアは感情を押し殺して言う。
「何でも無いわよ。褒めてあげるって言ったでしょう」
「イメージと違うけど。でも、いいや。あったかいし」
嬉しそうに笑うさくらの頭を撫でながら、リリアは考える。さくらはどこから来て、何を望んでここにいるのだろうか、と。自分はさくらのために何ができるだろうか。考えても、答えが出ることは、ない。
しばらくそうして撫で続け、さくらが身じろぎをしたので離してやる。リリアと目が合うと、さくらは不思議そうに首を傾げた。
「リリア。どうしたの?」
「何でも無いわ」
リリアは首を振り、桜の木の下に座った。隣を手で叩くと、さくらはすぐに嬉しそうにしながらそこに座った。
「せっかくの誕生日だし、朝まで話しましょうか」
「ん? いいの? 明日が辛くならない?」
「気にしなくていいわよ」
リリアがいいならいいけど、とさくらが嬉しそうに笑うが、こちらを心配そうに見てもいた。
「さくらが以前いた場所はどんなところなの?」
リリアが聞くと、さくらの表情が一瞬強張った。無理に作っていると分かる笑顔を浮かべ、聞き返してくる。
「急にどうしたの?」
「郷愁の歌なんて聞いたから気になったのよ」
きょとんと。さくらが首を傾げた。目を閉じて、何かを思い出そうと少し上を向く。そうしてしばらくしてから、ああ、と手を打った。
「ほんとだ。郷愁の歌だ」
「気づいてなかったの?」
さくらが照れたように笑いながら頷いたのを見て、リリアはため息をついてしまった。どうやらさくらはあの歌を選んだことに特に理由はないらしい。だがそれでも、と思う。無意識で選んだからこそ、さくらの心を映しているのかもしれない。もっとも、それを聞いてもさくらが答えるとは思えないが。
「それで? どんなところ?」
もう一度さくらに聞くと、さくらは腕を組み唸り始める。長い時間そうしていて、やがて首を振った。答えられない、と。
「いつか、話したいとは思うけど……。今はまだだめ」
ごめんね、と謝るさくらに、リリアは肩をすくめただけだった。
リリアはさくらのことを誰よりも信頼している。さくらもリリアのことを少しは信頼してくれているはずだ、そう思っていたのだが、どうやらリリアの思い違いらしい。そう思うと、少し悲しくもなってくる。
リリアの表情からそれを察したのか、さくらが慌てたように言った。
「私の都合だから! いつかきっと話すから! だから、そんな顔しないでよ……」
さくらの言葉が尻すぼみになっていく。怪訝に思い見てみれば、さくらの瞳が濡れていた。
「分かってるわよ。貴方が話してくれるまで待つから。いつかきっと話してくれるのでしょう?」
「うん……」
「それで十分よ。まったく、泣き虫なんだから……」
頭を撫でてやると、それだけでさくらは機嫌良く笑った。それじゃあ、と次の話題を探す。
そうして、暗い世界で二人きりで、リリアの目覚めの時間までとりとめの無い会話を続けた。
翌朝。ベッドから起きたリリアは、気怠げにため息をついた。
――気持ち悪い……。
――だから言ったのに……。
暗い世界で一晩中過ごしたのはこれで二度目だが、慣れるものではない。体は疲れておらず眠くもないのに、心は夜更かし特有の気持ち悪さを持っている。その矛盾のためか、まるで自分の体が自分のものでないような、そんな気持ち悪さだ。
だがここでこうしていても仕方がない。リリアはゆっくりと立ち上がると、着替えのためにアリサを呼んだ。
家族と朝食を取った後は、もう一度だけ桜を見てから馬車に乗り込んだ。今更授業に出る必要はないのだが、さすがに寮にすらいないというのは少し問題があるだろう。誰にも何も言わずにいたのだから、誰かが訪ねてきているかもしれない。
そう思って一泊しかしなかったのだが、どうやらすでに手遅れだったらしい。
「一緒にご飯に行こうと思ってたのに」
夕方、寮のリリアの部屋で、ティナは拗ねたように頬を膨らませていた。どうやら昨日の間にリリアを誘いに来てくれていたらしい。リリアは苦笑しつつ肩をすくめた。
「少し用事があったのよ。代わりに明日、行きましょう。それではだめ?」
「だめじゃない。明日だね。約束だよ」
「ええ。約束よ」
ティナはそれで納得したようで、機嫌を直して笑ってくれた。
――単純だね。
――そうね。どこかの誰かみたいね。
――どういう意味かな!
さくらはティナ以上に単純だと思っているのだが、本人に自覚はないのだろうか。そう思っていると、さくらはむう、と唸って黙ってしまった。機嫌を損ねたらしく、リリアは苦笑しつつもティナへと視線を戻した。ティナが言う。
「でも、本当にどこに行ってたの? 誰もいないから驚いたよ」
「アルディスの屋敷に戻っていたのよ。お父様に少し、お願いしたことがあって、それを見にね」
そう説明すると、ティナは興味を持ったのか目を輝かせた。わずかに頬が引きつるのを感じながらも、リリアは桜の木のことを話す。それを聞いたティナは、驚いたように目を丸くした。
「私は見たことないけど、確かお隣の国の花だったよね。よく持ってこれたね……」
「そうね。お母様も協力してくれたのでしょう。何を使ったかは分からないけれど」
魔法陣の中には物を軽くするものなど、運搬に便利なものもいくつかある。母ならそれらの魔法陣も持っているだろう。母にも感謝しておかなければならない。
「私も見に行っていいかな」
おずおずといった様子でティナが聞いて、リリアは苦笑しつつも頷いた。
「いいわよ。ただ休暇中は花は咲いていないから、来年以降ね。来年の今頃の時期に休みを取りなさい」
来年、ティナがどういった仕事をしているかは分からないが、休み程度なら取れるだろう。ティナは、そうするよと笑顔で頷いた。
その後は日が暮れるまでティナと話をして、夕食の時間の前に帰っていった。
その日の夕食は部屋で簡単に済ませ、リリアはいつもより早めに就寝した。
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ではでは。




