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その会話が頭に入ってこなかった。思考は完全に停止して、ただただ呆然としている。
――リリア! しっかりして!
さくらの声に、少しだけ頭が回転し始めた。同時に、王子の言葉が頭の中で再生される。こいつは、今、何を言った?
そして思い出した瞬間、リリアの心は急速に冷めていった。
――さくら。平気よ。
――でも……。
――平気。ふふ、むしろ頭が冷えたわ。私はどうして、こんな男を好きになっていたのでしょうね。
確かに婚約そのものは親が決めたものだ。だがそれでも、リリアは王子が好きだった。一目惚れだったのだが、確かに好きだったのだ。そのために、ティナに取られたくなくて嫌がらせをしたのだから。
だというのに、この男にとっては自分などどうでもいい存在だったのだろう。確かにティナもリリアを見た時は最初誰か分からなかったと言っていたが、この男は幼い頃にとはいえ、化粧をしていないリリアを何度も見ているはずだ。それなのに、リリアに気づかなかった。
ああ、とリリアは内心でため息をつく。この男にとって、自分は取るに足らない存在だったのだ、と気づかされた。それだけで、十分だ。
そしてリリアは、笑った。
「ひっ……」
周囲から短い悲鳴が漏れる。いつの間にか周囲から好奇の視線を向けられていたらしい。そしてリリアの笑顔を見た何人かが、口を手で覆っていた。その笑顔に気づいたティナとアリサですら、わずかに頬が引きつっている。
リリアはゆっくりと立ち上がると、王子へと口を開いた。
「久しぶりですね、殿下」
「ん? その声……。まさか、リリアーヌか!?」
王子の驚愕の声に、リリアは笑みを深くする。本当に気づいていなかったのか、と。
「お前、ここで何をしている? またティナに何かしているのか?」
「そのようなことはありません。ティナさんと少し話をしていただけですよ。平和的に、ね」
「信じられるか」
嫌悪を隠そうともしない王子の声。本当に、何故このような男を好きになっていたのだろうか。
「あら、別に殿下に信じてもらおうだなんて思っていません。事実を述べたまでです。それとも、貴方は何もしていない私を悪者にしたいのでしょうか? したいのでしょうね。ええ、よく分かりますわ」
あまりな言い方にティナとアリサが蒼白になる。王子は逆に、顔を赤くしていた。
「貴様……。不敬にもほどがあるぞ」
「あら。ここは学校の敷地ですよ。不敬罪は存在しません。それとも何ですか? 無理矢理外に連れ出して不敬罪としますか? まあ、怖いですわ」
王子の顔が激しい怒りに歪んでいく。リリアはそれを楽しげに笑いながら見つめ、やがてふっと嘲るように笑った。
「ご心配なく、殿下。私がティナさんに嫌がらせをすることはありません」
「そんなこと信じられるわけが……」
「だって……」
もう貴方には何の興味もありませんから。
言われた言葉の意味が分からなかったのか、王子は間抜けに口を開いて固まった。リリアはくすくすと小さく笑う。それを聞いた周囲の誰もが、一歩、後ろに下がった。
「それではティナさん。私は教室に向かいますね」
話を振られたティナはびくりと体を震わせ、しかしすぐに頭を振って笑顔を浮かべた。
「はい。ありがとうございました、リリア様」
「アリサ。私の部屋を掃除しておきなさい。後は自由時間でいいわ」
「畏まりました」
立ち上がり、アリサが恭しく一礼する。リリアは満足そうに頷くと、では、と王子へと顔を向けた。
「ごきげんよう、殿下。二度と私に話しかけないでくださいね」
満面の笑顔でそう言って、完全に固まる王子を置き去りにしてリリアはその場を後にした。
寮を出て、すぐ側にある校舎に入る。そして誰もいない教室を見つけると、リリアはそこに入って鍵を閉めた。そのままその場に、崩れるように座り込む。
「……っ」
瞳から涙が溢れた。堪えようとしても止めどなく溢れ続け、リリアの顔と服を濡らしていく。声も抑えきることができず、嗚咽が何度も漏れてしまう。
――リリア……。
頭の中に響く声は、リリアを気遣ってか優しげな声音だった。だがそれに返事をすることはできない。
自分の初恋の相手は王子であり、婚約した以上は王子も自分のことをそれなりに好いてくれていると思っていた。だがそれはリリアの願望であり、ただの幻想だった。王子はまずリリアに興味すら持っていなかったのだから。
――リリア。良い子だから、泣き止んで。ね?
そんなことを言われても、自分の意志で止めることができない。止められるなら、まず泣いていない。
そのまましばらく泣き続け、そしてふと気が付いた。
――……ひっく。
さくらの、嗚咽。
――どうして貴方が……泣いているのよ……。
――だって……。リリアの気持ちを考えると私まで悲しくなっちゃうから……。
勝手なものだ、と思う。結局はさくらのそれは、想像のものだ。自分の気持ちを理解しているとは思えない。
それに、とさくらが続ける。
――リリアのことを抱きしめてあげたいのに……私じゃ何もできない……。
「……っ」
リリアは思わず目を剥いた。そんなことを考えているとは思わなかった。何故、と考え、すぐに自嘲する。さくらはいつも、リリアのことを考えてくれている。だからこそ、今回のことも自分のことのように傷ついているのだろう。
――リリア、ごめんね……。何もできなくて、ごめんね……。
――気にしなくていいのよ……。気にしなくて、いいの……。
さくらとリリアの嗚咽が重なる。さくらはリリアの中で、リリアは誰もいない教室で、静かに泣き続けた。
失恋のお話、でした。
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ではでは。




